2017年4月にさいたま市中央区のカフェギャラリー南風(オーナーは沖縄出身の山田ちづ子さん)で比嘉正詔さん(沖縄平和祈念堂の前所長)の講演会があり、前置きで「沖縄弁は母音が『あいう』の3つで『え』は『い』に『お』は『う』になる」「日本の古語が沖縄弁に残っている」という話しを聞き、11月には「ウンジュよ」(あなたよ)の朗読会で原作者の元高校国語教師・宮里政充さんからいろいろと教わり、母音法則から日本民族起源を考えはじめました。
系統的に言語学や国語学の勉強をしたことがない私の仮説ですが、この小論は翌2018年12月に書いたレジュメ「『3母音』か『5母音』か?―古日本語考」をほぼそもまま再掲します。なお、5母音論については、『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)でさらに展開しており、本稿の修正を含めていずれ紹介いいたします。
なお、本稿はLivedoorブログ「帆人の古代史メモ」においても「琉球論6」として掲載しています。
1 「3母音」と「5母音」のどちらが先か
琉球弁が「3母音」、本土弁が「5母音」であるのに対し、通説では「5母音であった古日本語が、琉球で3母音方言に変わった」としているようです。
私は言語学の専門家ではなく基礎知識もありませんが、伊波普猷著「琉球語の母音組織と口蓋化の法則」(外間守善『沖縄文化論叢5』言語編)、石崎博志著『しまくとぅばの課外授業』、亀井孝論文集2『日本語系討論のみち』にざっと目を通した限りでは、「琉球弁3母音化説」には、納得できる説明は見られませんでした。「琉球弁は古日本語の5母音より3母音化した」のか、「3母音の古日本語より、本土弁が5母音化した」のか、本格的な議論が必要と思います。
私は古日本語(旧石器人語・縄文人語)は5母音「あいういぇうぉ」であり、1700年前頃(安本美典説)の邪馬台国・卑弥呼の時代後に、古事記に書かれたように、龍宮(琉球)をルーツとする薩摩半島の隼人(ハヤト=ハイト=ハエト=南風人:海幸彦)が、龍宮から妻を迎えた山幸彦(ヤマト=山人の笠沙天皇家2代目)と対立し、その支配下に置かれたことにより、琉球と本土の交流は途絶え、琉球では「あいういう」の3母音化し、本土では5母音の「あいうえお」に変わったと考えています。
なお、笠沙天皇家2・3代目の妻が龍宮(琉球)の姉妹であるということは、笠沙天皇家4代目で大和天皇の初代大王のワカミケヌ(後に神武天皇と命名)の祖母・母が龍宮人であるということであり、「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ-記紀の記述から『龍宮』=『琉球説』を掘り下げる」(季刊日本主義43号)に詳しく論証しています。
琉球弁「3母音化説」(通説)と本土弁「5母音化説」(筆者説)
2 チェンバレンの「琉球語=古代日本語説」
日本研究家のバジル・ホール・チェンバレン(東京帝大名誉教授。1850~1935年)は、「現今の日本語が古代の日本語を代表せるよりも、却って琉球語が日本の古語を代表せること往々 是れあり」(チェンバーレン『琉球語典及字書』:『伊波普猷全集』第11卷より)としています。
単語からこのような結論が得られるとすると、「母音」についても、琉球語の「3母音」が日本の古語を代表しているという説が考えられます。
3 「方言周圏論」(柳田國男)と「方言北上・東進説」(筆者)からの検討
柳田國男の「方言周圏論」(図参照)は、京都を中心にして言語は地方に拡散し、地方に古い方言が残るというのですから、古日本語の「3母音」は、遠く離れた辺境の琉球に「3母音」が残り、都では「5母音」になったということになります。
柳田國男のカタツムリ方言の「方言集圏論」
『しまくとぅばの課外授業』で石崎博志氏はこの「方言周圏論」を援用しながら、沖縄ではもともと5母音であったのが3母音に変化したとしているのですから、逆になっています。「方言周圏論」を採用するなら、古日本語の3母音が沖縄に残ったとすべきでしょう。
一方、「カタツムリ」名と「女性器」名から、私は柳田の「方言周圏論」を批判し、「方言北上・東進説」を証明しています。詳しくは「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(2018年12月:『季刊日本主義』44号参照)に書き、さらにLivedoorブログ『帆人の古代史メモ』の「琉球論4 「かたつむり名」琉球起源説」「琉球論5 『全国マン・チン分布孝』批判の方言北進・東進論」で紹介しました。
この「方言南方起源説」「方言北上・東進説」により、私はもともと「3母音」であった古日本語が琉球に残り、本土では「5母音」に変化した、と最初は考えていました。
しかしながら、現代の琉球弁は「あいういう」の3母音5音節であることから考えると、古日本語の「あいういぇうぉ」5母音が、琉球では「あいういう」の3母音5音節になり、本土では「あいうえお」5母音になった、と考えます。
4 安本美典氏の「古日本語北方説」の検討
安本美典氏は、日本基語・朝鮮基語・アイヌ基語からなる「古極東アジア語」から、ビルマ系言語の影響を受けて「古日本語」が成立したという「古日本語北方起源説」ですが、別に「インドネシア系言語」が南九州から本土太平洋岸にかけて分布したとしています。
一方、アマミキヨ始祖伝説については1700年前ころに邪馬台国のアマテラス(卑弥呼)から沖縄に伝わったという説を唱えています。
彼の説では琉球は「インドネシア系言語」でも「古日本語系言語」でもないことになりますが、1700年前ころに琉球弁と本土弁が分離したとしていますから、その言語は「主語―目的語―動詞」構造の古日本語で、「主語―動詞―目的語」構造のインドネシア系言語やベトナム系言語ではないとしていることになります。
安本氏の図に私は太い点線で追加しましたが、古日本語は「主語―動詞―目的語」構造のビルマ系の海人(あま)族が琉球(龍宮)を起点として北上したと私は考えています。
安本氏の「古日本語北方起源説」と私の「古日本語南方起源説」
安本説だと1700年前ころに琉球を邪馬台国・アマテラスが支配し、アマテル始祖伝説が伝えられ、アマミキヨ伝説となったことになりますが、同時代に琉球弁と本土弁が分離したとする説と矛盾しています。それよりなにより、アマミキヨ伝説は海の彼方のニライカナイよりアマミキヨがやってきたというのであり、安本氏の筑紫の甘木朝倉にいたという卑弥呼=アマテラス説とは異なります。琉球の伝説はニライカナイが邪馬台国あるいは「ヤマト(山人)」とはしていません。
海人(あま)族のアマミキヨ伝説からのアマテラス名、奄美 → 天草 →甘木→海士・海部(隠岐)→天川・天下原(あまがはら)(播磨)→天城(伊豆)などの地名の移動、丸木船を作る南方系の丸ノミ石器の分布、曽畑式土器の分布、性器名の変遷・分布などを総合的に検討すれば、「古日本語南方起源説」「古日本語北上・東進説」にならざるをえません。
「あま(天・奄・甘・海士・海部)」地名の分布
5 宮良信詳氏の「姉妹語説」
私は通説の「琉球弁は5母音から3母音に方言化した」という説に対し、「古日本語の3母音が琉球では残り、本土では5母音化した」と最初は考えていましたが、次には、古日本語は「あいういぇうぉ=あいうゐを」5母音であり、琉球は「あいういう」3母音になり、本土は「あいうえお」5母音に変化した、と考えるようになりました。
言語学の母音研究でそのような説があるのかどうかについては、まだ確かめられていませんが、パトリック・ハインリッヒと松尾慎の編著『東アジアにおける言語復興 中国・台湾・沖縄を焦点に』の宮良信詳氏の「沖縄語講師の養成について」に、言語系統図として次の図があることに気付きました。語彙論であり母音論ではありませんが、同じ結論と思います。
宮良信詳氏の言語系統図
系統的に言語学や国語学の勉強をしたことがない私の仮説ですが、この小論は翌2018年12月に書いたレジュメ「『3母音』か『5母音』か?―古日本語考」をほぼそもまま再掲します。なお、5母音論については、『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)でさらに展開しており、本稿の修正を含めていずれ紹介いいたします。
なお、本稿はLivedoorブログ「帆人の古代史メモ」においても「琉球論6」として掲載しています。
1 「3母音」と「5母音」のどちらが先か
琉球弁が「3母音」、本土弁が「5母音」であるのに対し、通説では「5母音であった古日本語が、琉球で3母音方言に変わった」としているようです。
私は言語学の専門家ではなく基礎知識もありませんが、伊波普猷著「琉球語の母音組織と口蓋化の法則」(外間守善『沖縄文化論叢5』言語編)、石崎博志著『しまくとぅばの課外授業』、亀井孝論文集2『日本語系討論のみち』にざっと目を通した限りでは、「琉球弁3母音化説」には、納得できる説明は見られませんでした。「琉球弁は古日本語の5母音より3母音化した」のか、「3母音の古日本語より、本土弁が5母音化した」のか、本格的な議論が必要と思います。
私は古日本語(旧石器人語・縄文人語)は5母音「あいういぇうぉ」であり、1700年前頃(安本美典説)の邪馬台国・卑弥呼の時代後に、古事記に書かれたように、龍宮(琉球)をルーツとする薩摩半島の隼人(ハヤト=ハイト=ハエト=南風人:海幸彦)が、龍宮から妻を迎えた山幸彦(ヤマト=山人の笠沙天皇家2代目)と対立し、その支配下に置かれたことにより、琉球と本土の交流は途絶え、琉球では「あいういう」の3母音化し、本土では5母音の「あいうえお」に変わったと考えています。
なお、笠沙天皇家2・3代目の妻が龍宮(琉球)の姉妹であるということは、笠沙天皇家4代目で大和天皇の初代大王のワカミケヌ(後に神武天皇と命名)の祖母・母が龍宮人であるということであり、「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ-記紀の記述から『龍宮』=『琉球説』を掘り下げる」(季刊日本主義43号)に詳しく論証しています。
琉球弁「3母音化説」(通説)と本土弁「5母音化説」(筆者説)
2 チェンバレンの「琉球語=古代日本語説」
日本研究家のバジル・ホール・チェンバレン(東京帝大名誉教授。1850~1935年)は、「現今の日本語が古代の日本語を代表せるよりも、却って琉球語が日本の古語を代表せること往々 是れあり」(チェンバーレン『琉球語典及字書』:『伊波普猷全集』第11卷より)としています。
単語からこのような結論が得られるとすると、「母音」についても、琉球語の「3母音」が日本の古語を代表しているという説が考えられます。
3 「方言周圏論」(柳田國男)と「方言北上・東進説」(筆者)からの検討
柳田國男の「方言周圏論」(図参照)は、京都を中心にして言語は地方に拡散し、地方に古い方言が残るというのですから、古日本語の「3母音」は、遠く離れた辺境の琉球に「3母音」が残り、都では「5母音」になったということになります。
柳田國男のカタツムリ方言の「方言集圏論」
『しまくとぅばの課外授業』で石崎博志氏はこの「方言周圏論」を援用しながら、沖縄ではもともと5母音であったのが3母音に変化したとしているのですから、逆になっています。「方言周圏論」を採用するなら、古日本語の3母音が沖縄に残ったとすべきでしょう。
一方、「カタツムリ」名と「女性器」名から、私は柳田の「方言周圏論」を批判し、「方言北上・東進説」を証明しています。詳しくは「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(2018年12月:『季刊日本主義』44号参照)に書き、さらにLivedoorブログ『帆人の古代史メモ』の「琉球論4 「かたつむり名」琉球起源説」「琉球論5 『全国マン・チン分布孝』批判の方言北進・東進論」で紹介しました。
この「方言南方起源説」「方言北上・東進説」により、私はもともと「3母音」であった古日本語が琉球に残り、本土では「5母音」に変化した、と最初は考えていました。
しかしながら、現代の琉球弁は「あいういう」の3母音5音節であることから考えると、古日本語の「あいういぇうぉ」5母音が、琉球では「あいういう」の3母音5音節になり、本土では「あいうえお」5母音になった、と考えます。
4 安本美典氏の「古日本語北方説」の検討
安本美典氏は、日本基語・朝鮮基語・アイヌ基語からなる「古極東アジア語」から、ビルマ系言語の影響を受けて「古日本語」が成立したという「古日本語北方起源説」ですが、別に「インドネシア系言語」が南九州から本土太平洋岸にかけて分布したとしています。
一方、アマミキヨ始祖伝説については1700年前ころに邪馬台国のアマテラス(卑弥呼)から沖縄に伝わったという説を唱えています。
彼の説では琉球は「インドネシア系言語」でも「古日本語系言語」でもないことになりますが、1700年前ころに琉球弁と本土弁が分離したとしていますから、その言語は「主語―目的語―動詞」構造の古日本語で、「主語―動詞―目的語」構造のインドネシア系言語やベトナム系言語ではないとしていることになります。
安本氏の図に私は太い点線で追加しましたが、古日本語は「主語―動詞―目的語」構造のビルマ系の海人(あま)族が琉球(龍宮)を起点として北上したと私は考えています。
安本氏の「古日本語北方起源説」と私の「古日本語南方起源説」
安本説だと1700年前ころに琉球を邪馬台国・アマテラスが支配し、アマテル始祖伝説が伝えられ、アマミキヨ伝説となったことになりますが、同時代に琉球弁と本土弁が分離したとする説と矛盾しています。それよりなにより、アマミキヨ伝説は海の彼方のニライカナイよりアマミキヨがやってきたというのであり、安本氏の筑紫の甘木朝倉にいたという卑弥呼=アマテラス説とは異なります。琉球の伝説はニライカナイが邪馬台国あるいは「ヤマト(山人)」とはしていません。
海人(あま)族のアマミキヨ伝説からのアマテラス名、奄美 → 天草 →甘木→海士・海部(隠岐)→天川・天下原(あまがはら)(播磨)→天城(伊豆)などの地名の移動、丸木船を作る南方系の丸ノミ石器の分布、曽畑式土器の分布、性器名の変遷・分布などを総合的に検討すれば、「古日本語南方起源説」「古日本語北上・東進説」にならざるをえません。
「あま(天・奄・甘・海士・海部)」地名の分布
5 宮良信詳氏の「姉妹語説」
私は通説の「琉球弁は5母音から3母音に方言化した」という説に対し、「古日本語の3母音が琉球では残り、本土では5母音化した」と最初は考えていましたが、次には、古日本語は「あいういぇうぉ=あいうゐを」5母音であり、琉球は「あいういう」3母音になり、本土は「あいうえお」5母音に変化した、と考えるようになりました。
言語学の母音研究でそのような説があるのかどうかについては、まだ確かめられていませんが、パトリック・ハインリッヒと松尾慎の編著『東アジアにおける言語復興 中国・台湾・沖縄を焦点に』の宮良信詳氏の「沖縄語講師の養成について」に、言語系統図として次の図があることに気付きました。語彙論であり母音論ではありませんが、同じ結論と思います。
宮良信詳氏の言語系統図
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