写真はたつの市揖保町の播磨井の石碑(播磨国風土記:萩原里酒田で息長帯日売命が酒殿を造り、少足命を祭った)
「讃容(さよう)郡のところで、『清酒を以て手足を洗った』とでてくるけど、今の清酒のことを指しているのかしら?」
ヒメはヒナちゃんのメモの小さなところまで見逃していなかった。
「2つの説があるようです。1つは、今の清酒だ、と言う説。もう1つは、単に『清めの酒』のことだ、という説です」
ヒナちゃんは抜かりなく調べている。
「清酒と濁酒(どぶろく)の違いってなんだっけ?」
ちょうど高木も考えていたところでヒメが質問した。
「どぶろくを布袋に入れて圧力をかけて漉すと、簡単に清酒と酒粕に分かれるから、古代人が今のような清酒を飲んだ可能性は大いにあるね」
どぶろくやビールづくり、ワインづくりや焼酎づくりなどを密かに楽しんでいるだけあって、カントクは酒造りには詳しい。
「伯耆の加具漏と因幡の邑由胡が、清酒を以て手足を洗ったというのは、どこでのことなの?」
ヒメの質問は停まらない。
「伯耆と因幡でのことだと思います。朝廷は2人をとらえて、この佐用郡を通って難波に向かう途中、しばしば2人の一族を清水に中に入れてひどく苦しめた、と書かれているので、伯耆と因幡で2人が驕ってやったことが罪に問われたのではないでしょうか?」
「清酒で手足を洗ったのが、なぜ、罪に問われたのかしら?」
「朝廷から派遣された役人がハメを外し、神に捧げる清酒を冒涜したということで現地の人々から非難され、朝廷に呼び戻される途中の道々で見せしめのために水に浸けられた、ということではないでしょうか? 伯耆と因幡の豪族を見せしめに懲らしめるのなら、伯耆と因幡で水に浸けると言う刑罰を行ったのではないでしょうか」
「その清酒は伯耆と因幡で祀られていた大国主の祖先霊に捧げるものであった、ということになるわね」
「これは、天皇家が伯耆や因幡、播磨各地の大国主一族の祖先霊の祀りを尊重した、という逸話と思います」
「キリスト教においては、イエスがパンとワインを自分の体と血であると宣言し、それを信者は受け継ぐ儀式を行うけど、日本の場合は、大国主と少彦名が作った清酒を飲むことで、祖先霊を共に受け継ぐ、ということだったのね」
ヒメの感性は鋭く、いつも高木を遙かにこえている。それは、ヒナちゃんも同じであった。
「面白いわね。今日は、私たちも、大国主と少彦名のありがたいお酒を思いっきり飲みましょうよ」
ヒメの母上も陽気である。
「澄んだ清酒は、大国主と少彦名の霊(ひ)のお酒、ということなのか」
マルちゃんも感心している。
「しかし、清酒か濁酒か、何か手がかりはないの?」
長老はあくまでこだわる。
「古代人が普段飲んでいたのは、記録を見る限り、濁酒と思います。しかし、神に捧げる澄んだお酒は、大国主・少彦名の時代から続く、特別な清酒であったと思います。もし、天皇家の支配が確立する段階で、始めて清酒が誕生したのなら、その記録を残したのではないでしょうか?」
ヒナちゃんは、いつも答えを用意している。
「そうだよね、すでに身近にあった清酒には、わざわざ解説は付けないものね」
マルちゃん同様に、誰もが納得したようだ。
「播磨国風土記って、面白い。ヒナちゃんありがとう。『播磨国風土記殺人事件』を書きたくなってきたけど、お酒を絡ませるアイデア、いただきね」
ヒメの小説の構想は、かなり具体的にまとまってきたようだ。
筆者おわび:ある研究会への準備があり、2週間ほど、連載を中断させていただきます。
※文章や図、筆者撮影の写真の転載はご自由に(出典記載希望)。
※日向勤著『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)参照
※参考ブログ:邪馬台国探偵団(http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/)
霊の国:スサノオ・大国主命の研究(http://blogs.yahoo.co.jp/hinafkinn/)
霊(ひ)の国の古事記論(http://hinakoku.blog100.fc2.com/)
帆人の古代史メモ(http://blog.livedoor.jp/hohito/)
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「讃容(さよう)郡のところで、『清酒を以て手足を洗った』とでてくるけど、今の清酒のことを指しているのかしら?」
ヒメはヒナちゃんのメモの小さなところまで見逃していなかった。
「2つの説があるようです。1つは、今の清酒だ、と言う説。もう1つは、単に『清めの酒』のことだ、という説です」
ヒナちゃんは抜かりなく調べている。
「清酒と濁酒(どぶろく)の違いってなんだっけ?」
ちょうど高木も考えていたところでヒメが質問した。
「どぶろくを布袋に入れて圧力をかけて漉すと、簡単に清酒と酒粕に分かれるから、古代人が今のような清酒を飲んだ可能性は大いにあるね」
どぶろくやビールづくり、ワインづくりや焼酎づくりなどを密かに楽しんでいるだけあって、カントクは酒造りには詳しい。
「伯耆の加具漏と因幡の邑由胡が、清酒を以て手足を洗ったというのは、どこでのことなの?」
ヒメの質問は停まらない。
「伯耆と因幡でのことだと思います。朝廷は2人をとらえて、この佐用郡を通って難波に向かう途中、しばしば2人の一族を清水に中に入れてひどく苦しめた、と書かれているので、伯耆と因幡で2人が驕ってやったことが罪に問われたのではないでしょうか?」
「清酒で手足を洗ったのが、なぜ、罪に問われたのかしら?」
「朝廷から派遣された役人がハメを外し、神に捧げる清酒を冒涜したということで現地の人々から非難され、朝廷に呼び戻される途中の道々で見せしめのために水に浸けられた、ということではないでしょうか? 伯耆と因幡の豪族を見せしめに懲らしめるのなら、伯耆と因幡で水に浸けると言う刑罰を行ったのではないでしょうか」
「その清酒は伯耆と因幡で祀られていた大国主の祖先霊に捧げるものであった、ということになるわね」
「これは、天皇家が伯耆や因幡、播磨各地の大国主一族の祖先霊の祀りを尊重した、という逸話と思います」
「キリスト教においては、イエスがパンとワインを自分の体と血であると宣言し、それを信者は受け継ぐ儀式を行うけど、日本の場合は、大国主と少彦名が作った清酒を飲むことで、祖先霊を共に受け継ぐ、ということだったのね」
ヒメの感性は鋭く、いつも高木を遙かにこえている。それは、ヒナちゃんも同じであった。
「面白いわね。今日は、私たちも、大国主と少彦名のありがたいお酒を思いっきり飲みましょうよ」
ヒメの母上も陽気である。
「澄んだ清酒は、大国主と少彦名の霊(ひ)のお酒、ということなのか」
マルちゃんも感心している。
「しかし、清酒か濁酒か、何か手がかりはないの?」
長老はあくまでこだわる。
「古代人が普段飲んでいたのは、記録を見る限り、濁酒と思います。しかし、神に捧げる澄んだお酒は、大国主・少彦名の時代から続く、特別な清酒であったと思います。もし、天皇家の支配が確立する段階で、始めて清酒が誕生したのなら、その記録を残したのではないでしょうか?」
ヒナちゃんは、いつも答えを用意している。
「そうだよね、すでに身近にあった清酒には、わざわざ解説は付けないものね」
マルちゃん同様に、誰もが納得したようだ。
「播磨国風土記って、面白い。ヒナちゃんありがとう。『播磨国風土記殺人事件』を書きたくなってきたけど、お酒を絡ませるアイデア、いただきね」
ヒメの小説の構想は、かなり具体的にまとまってきたようだ。
筆者おわび:ある研究会への準備があり、2週間ほど、連載を中断させていただきます。
※文章や図、筆者撮影の写真の転載はご自由に(出典記載希望)。
※日向勤著『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)参照
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霊の国:スサノオ・大国主命の研究(http://blogs.yahoo.co.jp/hinafkinn/)
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