☆ こにゃんこのケセラセラな毎日 ☆

人生なんてケセラセラ
♪なるようになるさ 先のことなど分からない♪

一瞬の出来事

2019年04月23日 | 子育て思い出話*-* コナン編 *-*
最近、心を潰されそうな、凄惨な交通事故が続いています。
お亡くなりになった方々、ご遺族の方々には心よりお悔やみ申し上げます。
 
TVで交通事故のニュースを見ていたら、コナンが幼児の頃を思い出しました。
あれは、コナンが2歳くらいの頃だったと思います。
 
お出かけするのに駅へ向かって歩いていました。
コナンを歩かせ、ワタクシは帰りは疲れるだろうから、と畳んだバギーを
引きながら歩いていました。
大通りへ出ると、信号は赤だったので、信号待ちをしていました。
青に変わったので渡るわけですが、当時、幼いコナンを連れていたワタクシは
青信号に変わってすぐに渡ることはしませんでした。
信号変わっても突っ込んでくるかもしれない車に用心して、3秒数えて
右左確認してから横断歩道を渡るようにしていました。
その時も、3秒数えて、右左見て車が来ていないことを確認してから
横断歩道を渡ろうとしたのですが、バギーが歩道の縁石に引っかかって
出遅れてしまいました。
待ちきれなくなったコナンはワタクシの手を離れて、横断歩道を走って
渡っていきました。
と、隣にいた年配の男性が『危ないっ』と叫んだのです。
バギーに気を取られていたワタクシがハッと顔を上げたら、
右方向からすごい勢いで自動車が走ってきました。
車からしたら赤信号なのに、横断歩道めがけて突っ込んできたのです
驚いたワタクシは、慌てて横断歩道を走り、渡っていたコナンの手を捕まえて
引っ張りました。
 
キキキキーッ
 
急ブレーキをかけて止まった車の、助手席のドアがコナンの鼻先にありました。
コナンの手を引っ張らなければ、間違いなく車に跳ね飛ばされていました。
ワタクシ、あまりの衝撃に足がガクガク震えたのですが、信号が変わるので
コナンを抱えて横断歩道を渡り切りました。
『危ない』と叫んだ男性が『バカヤロウ 赤信号やぞ』と車に向かって
叫んでいるのが背中越しに聞こえてきました。
コナンがどこかケガをしていないか確認をすると、どこもぶつけた様子はありませんでした。
コナン自身はきょとんとしています。
ワタクシは全身が震えていました。
赤信号を突っ込んできた車はしばらく止まっていましたが、コナンが大丈夫そうだと
確認したのか、そのまま走り去っていきました。
 
幸い、コナンは無事でしたが、あの時の恐怖は未だにはっきりと記憶に残っています。
あの時、『危ない』と男性が叫んでくれなかったら、ワタクシ、出遅れて
コナンの手を引っ張るのに間に合わなかったと思います。
 
どんなに歩行者が気を付けていても、運転する人が交通ルールを無視したり
危険な運転をしていたら、交通事故に遭遇してしまいます。
ドライバーの方には、最新の注意を払って運転をしてほしいし、
年配の方にはなるべく早く免許を返納してほしいです。
これ以上、悲しい思いをする人がいなくなることを願わずにはいられません。
 
 
 
 
 
 
 
人気ブログランキング参加中ポチッ♪とクリックをお願いしま~す
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

変わってくる、食べ物の好き嫌い

2009年01月28日 | 子育て思い出話*-* コナン編 *-*
コナンは発達障碍児にありがちな偏食はありません。
でも、それなりに、好き嫌いはあります

小さい時、歩き始めくらいのコナンは、食べることに全く興味がなく、
毎食、部屋中を歩き回るコナンを追いかけては、口に食べ物を放り込んでいました。
その当時は、とりあえず、何か食べてくれればいい、という感じでした。

そして、その後は、食べるようになったものの、まぜまぜご飯という、変わった食べ方をしました。
(こちらの話は過去記事  ♪まぁぜて まぁぜて♪ をご覧ください。)

コナンの場合、食わず嫌いということも多くて、初めて見たものに、拒否反応を示して
食べようとしないので、羽交い絞めにして、無理やり口を開けさせて、食べ物を放り込む
という、荒技をやったりしていました。暴れるコナンに無理矢理食べ物を食べさせる、
というのもいかがなものかって感じですが、口に入った途端、
『ン』となって、モグモグさせて『美味しいやん』と
食べられるようになったものも多いのです。
その中の一つにミニトマトがあります。今では大好物です

成長とともに、食べられるものも多くなってきて、また自分でクッキングすることによって
食べられるようになったものもあります。
実は、コナン、卵料理が大嫌いだったのですが、自分で卵の殻を割って、まぜまぜする作業を
やりたがり、割った以上は、自分で食べる、と約束をしてから、卵料理を食べるようになりました。
でも、今でも、黄身と白身が別れた卵料理は食べません

そうかと思うと、今まで食べていた物が、急に嫌いなモノになったものもあります。
その代表が、イチゴです
2歳くらいまで、パクパクと食べていたんですよ。
それが、3歳になった頃に、急に『イヤ』と言って食べなくなりました。
今でも、まず、食べません 理由を聞いても言ってくれません
とっても、フシギです

コナンは基本的に和食が大好きで、幕の内弁当に入っているものなどが、好物です
なので、コナンの誕生日に、コナンの好きな物を並べると、
「どこのおじいさんのお祝い?」っていう感じになります
スパゲティやハンバーグが並ぶと「なんで、こんなメニューなんですかっ」と
文句を言う、およそ、お子ちゃまらしくない、コナンなのでしたー








人気ブログランキング参加中ポチッ♪とクリックをお願いしま~す
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クルクル クルクル・・・

2009年01月08日 | 子育て思い出話*-* コナン編 *-*
ワタクシの風邪はまだ治っておりません
でも、毎日、ワタクシの風邪っぴき話ばかりもなんですので、久し振りに
子育て思い出話をしたいと思いマス

さて、それを常同行動と言って良いのだと思うのですが、
コナンが小さいころからよくやる行動があります。
目に自己刺激を与えるのです

小さい頃は、2時間散歩の時に、ブロック塀の目地や、外壁のへりなど、をジーッと
見たまま、走っていました。(当時は歩く、という行動はありませんでした。)
の中でも、家具のへりを見て、右往左往していました。
当時のワタクシにはそれがなんなのか、分からなかったのですが、もともとじっとしているコではなく
家の中でも走り回っているようなコでしたので、好きなことをさせてあげよう
ほっといておりました。

幼児教室に通うようになって、そこの先生に
「おうちでもいつもあんな風に、家具のへりとか見ているの?」
と聞かれて、「ハイ」となんの疑問も持たずに、答えたワタクシに
「あれは、出来るだけさせないほうがいいよ。興味を移させてあげて。」
と言われて、そこから、ワタクシの戦いが始まったのでございました。

2時間散歩で、ブロック塀の目地を見ようもんなら、抱っこして、クル~ンと1周して
「ほぉ~ら コナン キレイなお花
と他へ興味を逸らさせたり、
の中で家具のへりを見て遊んでいると、
「ほら、電車
とプラレールを走らせたりして、コナンの注意を逸らすようにしていました。

いくら、他のことを示しても、おもちゃで遊ぶことに、そんなに興味のなかったコナン。
すぐに飽きて、目地やへりを見ながら、走りだします。

当時は必至で、興味を逸らすように頑張ったんですよ。でも、もともとそんなに
根気よくないワタクシ
必死にならずに、テキトーに興味を逸らすようになりました(笑)

さて、目地やブロックを目で追っていたコナン。
それだと、そういったものがないと刺激が得られないことにいつの間にか気付いたのか、
プラレールの線路などを、目の前で左右に振る、ということを習得してしまいました
目の前で左右におもちゃを振りながら、クルクル クルクルと回るのです。

これだと、注意を逸らせるのが一層困難になりました。
手に持っているものを取り上げるとパニックになりますから、それも出来ず、
そして、それが本人が一番楽しんでいることなので、それ以外のものに注意を逸らせるのが
難しくなったのです

そして・・・年長さんか年中さんの頃、鉄っちゃんになったコナン。
この遊び(?)に、意味づけをしたようで、おもちゃを目の前を走らせる度に
『ウ~ ウ~ウ~
と言うようになったのです
最初は意味が分からなかったのですが、電車が走る音を真似ているのだと、後になって気付きました。
要するに、目の前に走らせているおもちゃを電車に見立てるようになったわけです。

コナンの声は男の子にしては甲高いです。そして、その『ウ~』はそれはそれは
癇に触る声でした。

最初の頃は、単に遊びの仕方を知らずにやっていただけだったのだと思います。
でも、それはやがて、コナンのストレス発散法に変わっていったようで、
学校や学童でイヤなことがあった時などにひどくやるようになりました。

こうなると、他の遊びに誘うなど、とても無理

おまけに、なぜかリビングの、テレビの前でやるので、家族にしてみれば、大迷惑

想像してみてください
テレビのまん前で、『ウ~ ウ~ウ~』って甲高い声を出して、クルクル回られるんですよ
たまったもんじゃありません

「お母さん、テレビ見てるし、それ止めて
と言っても、聞くわけもなく・・・。
「やってもかまへんから、自分の部屋でやってよ
と言っても、リビングでやり続けるコナン
おもちゃを取り上げたりしましたが、プラレールの線路なんて、我が家にはいっぱいありますしね

「止めて」、と言う方法が良くないことは百も承知でした。
でも、この頃のワタクシたちは、ある意味、疲れてしまって、他の方法をする気力もなかったのです。

そんなある日、もう耐えられなくなったワタクシ。
コナンが楽しみにしている、『吉本新喜劇』の時に、コナンの真似をしました。

「ウ~ ウ~ウ~」と言いながら、おもちゃを左右に振り、クルクルと回りました。
あのぅ・・・
これのどこがおもしろいんですかね???

夫とジナンは大ウケでゲラゲラ笑い、コナンは苦笑いをしていました。
『お母さん、テレビの音が聞こえない
「コナンがいつもやっていることでしょ
と言って、ワタクシ、20分ほど回り続けました。20分しか回らなかったんですけど
クタクタに疲れましたね(笑)

それからのコナン。クルクル回る時は、自分の部屋に籠ってするようになりました。
どれだけ迷惑かだったかは、理解できたようです(苦笑)

だけど・・・
彼にそれを止めさせる術がまだ見つからないのです。

どうしたもんか、と未だに頭を悩ませているこにゃんこなのでした・・・。








人気ブログランキング参加中ポチッ♪とクリックをお願いしま~す
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コナンと数字

2008年12月11日 | 子育て思い出話*-* コナン編 *-*
お久しぶりの 子育て思い出話 です

コナンのようなタイプは算数が得意だったりします
漢字が得意なコもいますね

ワタクシ、コナンに勉強を教えたことは今のところ、一度もありません。
足し算も引き算も九九も勝手に覚えてしまいました。
正確に言うと、コナンが年中の時に足し算を教えてほしい、と言うので
百玉そろばんを使って教えたこともありますが、その時は全く理解できず
「今は覚える時期じゃないと思うし、後にしたら~?」と言っておしまいにしてしまいました。
それ以来、ほんとに算数は教えたことがありません。
年長の頃には足し算・引き算は会得してしまい、このままでは、黙っていても
九九は覚えるだろう、と思って、敢えて教えなかったのですが、小学校に入って
2年生の廊下に貼ってある九九表を見てあっさり覚えてしまったコナンです。
この頃には5ケタの足し算なら、暗算でできてしまうようになっていました
小2の頃には余りのある割り算も出来るようになっていました

そんなコナンの算数のルーツは数字です。

それはまだ、コトバもあまり発せなかった頃。2~3歳の頃の2時間散歩で、異常なくらい
数字に興味を示すコナン。
移動中、歩くというより走っていたコナンが、行く先に駐車場があると必ず立ち止まり、
地面に書かれている、駐車場ナンバーの数字をさすりさすりするのです。
その触っている数字には読みがあって、意味もあるのだと知ってほしかったワタクシは
やなぁ
などと話しかけておりました。
それを何回か繰り返すうちに、コナン、数字をさすりながら、ワタクシの顔を見るようになりました。
その度に「3やなぁ」「4、やな」というやりとりを繰り返すうちに
『1、2、3、4、5、6、7、8、9、10』
と言えるようになったのです

やがてそれが数字へのこだわりへとなっていき、コナンの生活に数字は必需品となりました。
それはそれである意味、大変でした・・・

絵よりも文字よりも、先に数字が書けるようにもなりました。

もしかしたら、一番病も、数字へのこだわりから来るのかもしれません。

というワケで、数字はコナンにとって、なくてはならないアイテムだったのでした








人気ブログランキング参加中ポチッ♪とクリックをお願いしま~す
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一升餅

2008年11月15日 | 子育て思い出話*-* コナン編 *-*
 昨日に続き、お祝いの思い出話です。 

コナンがめでたく1歳の誕生日を迎え、お祝いをすることになりました。
この時も、ワタクシ、頑張ってご馳走を作りました。
この時は子どもの好きそうなメニューにしました
そして、ケーキも買って、準備万端
まだ、1歳のコナンには食べられないものばっかりでしたけどネ

そして、ワタクシ、一升餅を用意しました。
ご存じですか?一升餅
各地、色々言い伝えがあるでしょうが、一般的には一歳まで無事に成長したことをお祝いすると同時に、
これからも健やかに育つことを祈る伝統的行事です。
一生と一升を掛け合わせて「一生食べ物に困らないように・・・」という願いを込めて
子どもに背負わせるんです。

お祝いに来てくれた姑さまに「ちゃんと、一升餅、用意しましたよ」と言うと
「なに?それ???」と姑さま。
一升餅をご存じなかったようで・・・

それは良いのですが、一升餅を見て、「こんなの、背負えるわけないじゃないの
と最初から否定的
「私の1歳の誕生日の写真がありますけど、私、ちゃんと背負えてるんで大丈夫ですよ
「風呂敷で包んで、背負わせるんです~
と説明しながら、ご飯の支度をしていました。
すると、姑さま。「じゃ、私が背負わせてあげよう」と
一升餅を風呂敷に包んで、コナンに括りつけました。そして、「コナンくん立ってごらん
とコナンを立たせたら、スッテーンと物の見事に後ろに転倒しました
ギャーーーッ
コナンが泣き叫びます。(そりゃそうだ・・・
「ほぉ~ら、見てご覧なさい。無理じゃないの かわいそうに・・・」と姑さま。
キッチンから慌てて駆けつければ・・・
姑さま、風呂敷をコナンの首の前で結んでいました
首から約2Kgの重さの物をぶらさげられりゃ、どんなコでも転倒するわっ
アンタ、うちのコ、殺すつもりかいっこにゃんこ 心の声)

一応、言っておきますが、うちの姑さまは聡明な方でございます。
そんな人がちょっと考えれば分かるようなものを・・・

さすがのワタクシもちょいキレ気味
「お義母さん、こんな首からかけたら後ろに転倒するに決まってるじゃないですか
斜めに たすき掛けにするんですよっ
と泣いてるコナンから風呂敷包みをはずし、たすき掛けにしました。
今度はコナン、ちゃんと立てました。ホッ
「ほら。ねっ」と言うと、「ふ~ん。」と姑さま

・・・・・ 一升餅を用意したのが、気に入らなかったのかしら???
と変に勘ぐってしまった こにゃんこ でございます

そして、一応は立ちあがったものの、最初の転倒がショックだったらしく、
はずしてくれと主張するコナン

ワタクシの母が、一升餅を背負ったコナンの写真が欲しい、と言っていたので
急いで写真を撮り、風呂敷包みをはずしたのでしたー。
あ~。やれやれ・・・

と、これまた、大変思い出深い、1歳の誕生日となったのでございます。

ちなみに、ジナンの1歳の誕生日の時には、姑さま、ちゃんとたすき掛けにして
ジナンに背負わせてくれました

地域や各家庭ごとで風習は異なりますし、婚家のしきたりなど知らず、
自分の持ってる常識の範疇でやってしまったが故のすったもんだでした・・・

だってぇ~ 一升餅って、全国共通のお祝い行事だと思ってたんだも~ん








人気ブログランキング参加中ポチッ♪とクリックをお願いしま~す
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お食い初め

2008年11月14日 | 子育て思い出話*-* コナン編 *-*
知り合いがお孫さんのお食い初めをする、という話を伺って、コナンの時を思い出したので
思い出話をしようと思います。

関東娘が関西男のところへ嫁いできたのですから、文化の違いでとまどうことが
多々あったわけですが、子どものお祝でも???となることが多かったです。
まぁ、姑さまとのやりとりは、関東関西というより、個々の家の風習の違い、
という感じだったかもしれませんが・・・。

コナンのお食い初めの時は、ワタクシ、一応、料理を作りました。
お赤飯に蛤のお吸い物、刺身にかぼちゃの煮つけにほうれん草の胡麻和えを作り、
姑さまが焼き鯛を買って持ってきてくれました。
ワタクシ、日にちにとてもこだわるので、きっかり生後100日目に行いました。
平日だったので、夫も舅さまも会社だったので、姑さまと2人でコナンのお食い初めをお祝したんです。

ワタクシ、お食い初めって、赤ちゃんの口に食べ物を持っていって、
食べる真似ごとをするだけだと思っていたんです。
がっ 姑さま、お赤飯やら焼き鯛やらかぼちゃやら、ほんのちょっととは言え、
コナンの口に入れたんですよ
離乳食もまだなのに
コナン、お赤飯を口に入れられて、ベッと出したんですが、
姑さま、「美味しいわよ~」と言って、再度コナンの口に入れ、
コナン、ゴックンと飲みこみました。
さすがにお刺身は食べさせませんでしたが、蛤のお吸い物を口に持って行った時には
「お義母さん 貝は止めといたほうがっ
と止めたのですが、姑さま、「大丈夫よ~」とコナンに飲ませたのです。
そしたら・・・
『キェーッ キェーーッ
とコナンが奇声を発するじゃ、あ~りませんかっ
おそらく、初めての味に驚嘆したんでしょう。
ワタクシは汗タラタラです。
姑さまは「ほ~ら 美味しいって言ってるわよ」と得意気

姑さまが帰ってから、翌朝まで、気が気じゃなかった新米ハハ。
もしも、下痢とかになったらどうしようって心配していたのですが、
な~んにも起こりませんでした。ホッ

もちろん、ジナンの時もお刺身以外のものを食べさせた姑さまです。
ジナンは奇声を発することはなく、また、体調を悪くすることもありませんでした。

みなさんの所では、お食い初めって食べる真似ごとですか?それとも赤ちゃんに食べさせますか?








人気ブログランキング参加中ポチッ♪とクリックをお願いしま~す
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

障碍の受容 *-* こにゃんこの場合 *-*

2008年10月31日 | 子育て思い出話*-* コナン編 *-*
久しぶりに思い出話を・・・。ネタ切れっちゃあ、ネタ切れなんですが(笑)

我が子に障碍がある、もしくはその疑いがある、と知った場合、
ほとんどの方がその事実をすぐには受け入れられないかと思います。

ワタクシの場合は・・・実は今でもちゃんと受容出来ているか、と言うと
ちょっと自信がありません
なぜかと言えば・・・コナンはコナンだと思っているからです。
忘れ物大王だし、ちょっとしたこだわりもあるし、扱いにくいこともあるけれど
それが、コナンが障碍だから、とか実はそんなこと考えて毎日を送っていないんですね

便宜上、特に施設利用や役所とのやりとりの中で「障碍」って言葉は使いますが
それ以外は、「ちょっと規格外なコで~」とか「独特なんです」と
コナンのことを説明する時は言っています。

でも、もしかしたら、私の心の奥底で「障碍」という言葉を使うのに抵抗があるのかもしれません。

それは、コナンを育ててきた環境にあると思うのです。

まず、未だコナンは診断名をもらっていません。
これって、結構、大きいかも

そして、発達相談や療育センターでコナンのことに関して「障碍」という言葉が使われたことがありませんでした。
ですから、ワタクシの中でコナンが「障碍児」という認識は本当になかったのです。
一度だけ、保育園に入ってすぐの発達相談で「コナンくんの障碍は・・・」と言われ、
「コナンってやっぱり障碍なんや~
って目からウロコ、って感じになったことはあります(笑)
でも、その時、そう思っただけで、幼児期はワタクシの中でコナンはやっぱり
「みんなより成長が遅めちゃん」だったのです。
年長くらいで「コナンは障碍児やんなぁ・・・」と認識が変わっていったように思います。
それは、保育園での生活の中で、集団行動が出来ずに、一人別行動をし、
先生方が、コナンと一生懸命向き合ってくださる姿に感謝する中で、
「健常児じゃないんだなぁ」と思うようになっていきました。

でも、心の奥底で「コナンは障碍児」「いや、違う」という葛藤がきっとあったように思います。
それは、自分でも気付かずに・・・、いえ、気付かないようにしていたのかもしれません。
今から思えば、そうだったのではないか、と思うのです。

そして、ワタクシがコナンは障碍児だと、意識せずにはいられなくなったのは
就学活動の頃からだと思います。
保育園で集団行動がやっと出来るようになって、クラスメートにも受け入れられるようになったコナン。
病院で「診断名が付きません」と言われたことは、ワタクシから一気に
「コナンは障碍児」という想いを一蹴させました。
そして、諦めていた「コナンを普通学級に」というはかない夢を見るハメになりました。

でも、その時、コナンに関わっていた発達相談員さんやことばの教室の先生は
戸惑いをみせました。
きっと、「コナンに普通学級はしんどい思いをするだけ」と思っておられたと思います。
ところが、ハハであるワタクシが「普通学級で」なんて言い出して
まさか、このお母さんがこんなこと言うなんてと驚かれたと思います。

そして、コナンの就学活動をあれこれしていく中で、どうも周囲はコナンに普通学級は無理だと思っているようだ、
と理解していき、学校側もコナンの普通学級在籍に難色を示している、と分かっていても
あれこれと活動せずにはいられなかった、あの頃のワタクシ。

そんなワタクシが、「コナンは障碍児」だと受容せざるをえなかったのは、
校長室で号泣しながら、「コナンを障級でお願いします」と言った、
あの瞬間だったと思います。
今、思い出しても、あの瞬間は本当に辛かったですねぇ・・・。

とは言え、やっぱり、ワタクシの中では今でもコナンはコナン
障碍がある、とかそういうのは、どうでもいいんです(笑)

とか言いながら、今後のためにも診断名が付くなら、付けてほしい、なんて
思ったりもして、ワタクシのココロは裏腹~(笑)
ま、親なんて、そんなもんかもしれません

そんなワタクシが言うのもなんですが、お子さんの障碍を受け止めきれないお父さん、お母さん。
お子さんはお子さんです。ありのままを受け止めましょう。
都合の良い時だけ、「うちの子、障碍があるんです。」って言っちゃえば、いいんですよー
いつか、あなたなりに、受けとめられる時が、必ず来ます








人気ブログランキング参加中ポチッ♪とクリックをお願いしま~す
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マルコメ♪

2008年10月17日 | 子育て思い出話*-* コナン編 *-*
世の中、誕生と共に剛毛で黒々とした髪をお持ちの赤ちゃんもいますが、
コナンは、産毛程度のものしか頭髪がありませんでした。
会う人、会う人に「髪の毛、剃らはったん?」と聞かれるほど、髪の毛がなかったのです。
(生まれたばっかりの赤ちゃんの髪を剃る人もいないと思うんですけどねぇ・・・

ワタクシは全然気にしていなかったのです。
が、おババさま2人が、ウルサイ、ウルサイ
姑さまには会う度に(この頃は毎週、夫の実家にコナンを見せに通っていました。)
「髪の毛、生えてこないわねぇ」と言われ、
実家の母からは毎週 を掛けてきては事あるごとに「コナンの髪、伸びた?」
と聞かれました。
鬱陶しいこと、この上なかったのですが、のらりくらりとかわしておりました。

 1歳を過ぎても、コナンの髪は増えることも伸びることもなく、
おババさま、2人の「髪は~」攻勢がますます激しいものとなっていきました。

挙句、時を同じくして、2人のババさまから
剃ったら? 一度剃ると、黒々と髪が生えてくるそうよ
と言われました。世代が一緒なんで、発想も同じのようです(笑)
こんなおチビちゃんの髪を剃るなんて・・・。と思って、これものらりくらりと
かわしていたのですが、日に日に「剃れ」攻撃が激しくなり・・・
ワタクシだからいいようなものの、気の弱い新米ママさんだったら、
間違いなく、ノイローゼか鬱になってましたわよってくらい言われ続けました。
あの、夫が「こにゃんこも大変だなぁ・・・」と言ったくらいですから
それは相当なものだったのです。

そんな毎日が続き、とうとう、ワタクシもブチ切れました

コナンをベビーカーに乗せると、近くの理髪店へ
「この子の髪、剃ってください これ以上はないってくらい、短く
理髪店のおじさん、ビックリして、「こんな小さい子を」と言うのですが、
「もう、2人のババさまがうるさくて・・・ 剃っちゃってください
と言うワタクシの剣幕に負けて、おじさん、バリカンで剃ってくれました。

今から思えば、コナンはじっと出来ない上に感覚過敏で、理髪店なんて
地獄のようなところだったんでしょうが、当時はコナンがどういうコが分かっていなかったこともあり、
めちゃくちゃ暴れて号泣して嫌がるコナンを羽交い絞めにして、
「おじちゃん 早く 早く
とせかして、1分刈りにしてもらいました。
すんごい暴れるんで、おじさんもかな~り苦戦してました
ワタクシは暴れるコナンに「恨むなら、ババさまを恨みや~」と言いながら
ガッチリ、羽交い絞めにしていました。
ほんまにかわいそうなことをしました

さて、1分刈りにしたコナンの写メを撮り、それを実家の母に送信したら、
まだ、長いじゃないの もっと短くしなさいよ
と言われました

1分刈り以上に短くするって・・・ どうすんのよ

もう、カンペキ頭に来たワタクシ、夫の電気カミソリを持って来て、
コナンにビスケットを食べさせ、その間に、カミソリでキレイに刈ってしまいました

刈り終えたコナンの頭がコチラ

どうです? キレイなマルコメくんでしょう
コナンって、頭の形がめっちゃいんですよー

で、この写真を実家のハハに送り、姑さまにコナンを見せたら、2人とも
「あら~ ここまで刈らなくても、良かったのに~
ですって~

アンタら、ワタクシにいったいどーせいっちゅーねん
と、内心、めっちゃ怒りまくっていた こにゃんこ だったのでしたー。

その後、コナンの髪はそれなりに伸びて、現在に至ります。

どんなに薄毛のコでも3歳までには綺麗に生えてくるそうですから、
みなさま、あんまり気にしないでくださいませね~

孫かわいさも、ここまでくると、ヤレヤレですわよ








人気ブログランキング参加中ポチッ♪とクリックをお願いしま~す
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初孫の威力

2008年10月09日 | 子育て思い出話*-* コナン編 *-*
コナンは、夫側のジジババにとっても、ワタクシ側のジジババにとっても
初孫 になります。

ワタクシ自身は初孫ではなかったので、感じることはなかったのですが、
いや~ 初孫ってやつは、スゴイですね

かわいいコト、この上ないって言うのが、傍目にも分かるくらい、
こちらがドン引きしてしまうくらいの親バカならぬ、ジジバババカになってくれました。
親のように責任がないからか、ほんとに、ただかわいいだけで済むって感じでしょうか?

夫の両親も、ワタクシの両親も、子育て、厳しかったヒトなんですよ。
それが、コナンを前にしたら、そんな厳しいところが微塵もみえない
自分の親の、コナンへの関わりを見る度に
「ワタクシの時と違うじゃーーーん
と納得いかなかったものです(笑)

その分、ワタクシへの風当たりは凄かった

ワタクシ、母乳の出があんまり良くなかったんです。
でも、まぁ。今の世の中、粉ミルクっていう便利な物があるから、コナンがひもじい思いを
することはなかったわけですが、ワタクシの親世代の人は「母乳で子育てを
で来たワケですから、母乳の出ないワタクシに「まだ、出ないの?」って
プレッシャーをかけてくるワケです。
そりゃあ、もう、孫かわいさに、ワタクシへの思いやりなんてあったもんじゃありません。
毎日のように「母乳は出たか~?」と実家の母に言われ、姑さまには でせっつかれるんです。
「はぁ もひとつですねぇ
とのらりくらりとかわしていました。
心の中では「出ないモン、仕方ないじゃんよっ ワタクシはおっぱいマシーンじゃ、ないっ
と思いながら・・・(笑)

そんなある日のこと。
姑さまから が・・・。授乳中だったので、母が出たのですが、
でケンカっぽくなっています。
なっ、なにと思っていると、 を切った母が怒っています
「失礼しちゃうわっ こにゃんこが母乳出ないの、私の料理のせいだって言うのよ
ちゃんと、母乳が出るような食事、食べさせてますか、だって
こちとら、ちゃんとやってるわよっ
ひぇーーーっ 姑さま、なんてことをっ
その後は、恐ろしいほど、食べさせられました。食べないと
「母乳が出ないの、また、私のせいにされるじゃないのよっ
と母にすごまれ、新米ハハはひたすら食べるしかなかったのです
えぇ。おかげで産後の体重はなかなか減らなかったです(苦笑)

あまりに、両ババからの母乳の出が悪いのを指摘されるので、保健センターに して
保健師さんに来ていただきました。
我が家の様子を見た保健師さん、
「これだけ、お母さんがプレッシャー受けたら、出るものも出ないわよ。」
と、ワタクシに同情されて、帰っていかれました。

その後は、両ババの「母乳、母乳」には右から左へ~で聞き流して過ごしたこにゃんこでございます。

実家から我が家に戻ってきたある日。
に孫の顔を見に来た舅さま。
友だちからの出産祝いが手動のメリーゴーランドだったんです。
音色はね、すごく良かったんです。でも、手動なんで1分くらいしか持たないんですよ。
それを見た舅さま。
『鳴ってる時間が短いやんか。』
「まぁ 手動ですからね~
『こんなん、あかん ワシが電動のを買うたる
「えっ いいですよ すぐ回せば済む話ですし。」
『アンタが良くても、コナンは良いとは思ってへ~んっ
ひぇーーっ
なんで、たかがメリーゴーランドが手動だってだけで、こんなに怒られにゃあかんのだ
どーでもえぇわ ワタクシのオモチャってワケじゃなし。

というワケで「好きにしてくれっ」てなモンで、舅さまにお任せしました。

姑さま曰く、次のお休みの日、土砂降りの雨のなか、こちらでおもちゃの問屋街で
有名なところへ、で片道1時間半かけて、舅さまはメリーゴーランドを買いに出かけたそうです。

延々回るメリーゴーランドを嬉しそうに見ていた舅さま

こっちはやれやれって感じでしたよ。

いや~。ほんとに初孫の威力ってヤツはスゴイですねぇ

それだけ、かわいいと思ってもらえて、コナンは幸せ者です








人気ブログランキング参加中ポチッ♪とクリックをお願いしま~す
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『別れ』の季節

2008年10月04日 | 子育て思い出話*-* コナン編 *-*
        お久しぶりの『子育て思い出』話です 

小2の年度末になり、保育園や学童で異動の発表がありました。

保育園では、コナンの就学時に大変お世話になった園長が異動になるとのこと。
コナンに別れの挨拶をさせようと、学童へお迎えに行くと、コナン、落ち着きなく外を走り回っていました
そこへ、代表指導員の先生がやってきました。
「お母さん、異動の発表が出まして・・・。私とA先生とB先生とC先生が
異動することになりました」

                       

4人とも、コナンの担当の先生だったのです!!
と言うことは・・・ 来年度、コナンのことを知る先生は一人もいない
「今日、朝の会で児童全員に発表したんですが、コナンくん、相当ショックだったようで
傍にいたA先生の胸で『イヤだ、イヤだぁ』って、泣いてたんです。
その後は荒れてしまって・・・、1日中こんな感じなんです。」
この話を聞いた時点で私が
2年かかって、やっと学童での生活に慣れてきたコナン・・・。
また、一からやり直さないといけないのか
2年前のあの状態をまた繰り返さないといけないの???
そして、頼りにしていた先生がいなくなることを悲しい、と思える
心が育ってくれたことを嬉しくも思い、その悲しさを思うと
不覚にも涙が止まりませんでした
代表指導の先生は「私としても、コナンくん担当が一人もいなくなってしまうことは
気がかりなんですが・・・。来年のクラス分けは私が担当しましたので、
来年はコナンくんのクラスはメンバー入れ替えないようにしました。
クラスまで変わってしまったら、コナンくんには相当キツイことになると
思いましたので。」
代表指導の先生のご配慮にただ感謝、感謝・・・(この間もひたすら泣いていた私
代表指導の先生はほんまにコナンによくしてくださいました。
彼がここまで頑張ってこれたのも、主任の先生の頑張りがあればこそ・・・。
通所当初は児童たちに総スカンだったコナンがみんなと遊べるようになったのも
代表指導の先生がコナンの気持ちを一生懸命代弁してくださったことが大きかったのです。
「2年間、ありがとうございました」と言うのがやっとでした。

その後、A先生が挨拶に来てくださいました。
このA先生はあの夏休みの筆箱黒塗り事件の時に、コナンに心ない言葉をかけ、
翌日、代表指導の先生と共に謝罪した、あの先生です。
A先生、4月からコナン担当で相当苦戦していたのは知っていました。
お迎え行くと「コナンくんがねぇ。○○して困るんですよ」とマイナスなことばかり
言われていたのですが、あの事件以来、コナンの良いところもいっぱい言って
くださるようになって、コナンもなつくようになっていました。
6年生のお別れ会の時は席が隣になって「コナンくんね。○○や△△ができるようになってね。
お友達とも一緒に過ごす時間も増えて、すっごい成長がみられますよ」
と言っていただけて、今となってはあの事件で先生と話し合ったことは
良かったことだったと、思っていました。
「A先生、筆箱の件では抗議したこともあったけど、先生にはほんまに
コナンによくしていただいて、ありがとうございました」(←またしても号泣
「いえいえ、お母さん、これからも困ったことがあったら、○○学童へ来て
話にきてね」

お別れを済ませた後、コナンとの帰り道。
「保育園の園長先生も4月から別の保育園へ行くのよ。お別れを言いに行こうね」
と言うとコナン
「いやっそんなことより命の方が大切だあっ
とワケの分からないことを言い始めました。
いや、お別れを言うのが辛くて、行きたくないって言いたかったのでしょう。
何度も行こう、と誘いましたが、嫌がるので、結局園長先生にお別れを言うことは
できませんでした

そして、翌日は・・・。最後となる先生と障級の鉄っちゃん仲間の
6年生のTくんに別れ際、散々暴言を吐き散らし、
「もう、2度と会いませんからっ
と捨てゼリフを吐き、プンプン怒って帰ってきました。
コナンの辛さが痛いほどよく分かって、とっても辛かったです

3月は『別れ』の季節。
一つ一つの別れを通して、成長してくれたらな~、と願わずにはいられなかったあの頃。

そして、新学期をドキドキしながら迎えた、こにゃんこ&コナン親子だったのでした。








人気ブログランキング参加中ポチッ♪とクリックをお願いしま~す

          これまで順を追って回想してきた、『子育て思い出』はこれで終わります。
          取りこぼしたお話もあるかと思いますので、これからは思いだしたものを
          年齢には関係なく綴っていけたら、と思っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする