オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

競争や評価を他人と交わす猿社会

2022-05-30 11:34:34 | 身体障害者でも、介護と看護の日々

 抗がん剤治療が始まって、点滴から飲み薬に変わって、指先や舌や顎の感覚が変になり、ピリピリ電気が走るような痛みや、酷く気分が悪くなってご飯が食べれなくなったり、倦怠感や眩暈があったり、下痢が治らなかったり、いろんな副作用が出て来ているが、これも初めてのことで全てが未経験だということだが、仕方が無いと片付けるのもなんだか嫌なことだ。

 たしかに転移があり、それを抑える必要があるのは解るが、他に方法がないというのも、納得できない。

 ステージ4だと言われてから、悪い個所の幾つかの削除はすべて終わって、貧血も正常値になり、食事は出来るようになったところで、さ~頑張ろうか! という明るい気持ちになって、また抗がん剤治療で食欲がなくなってしまってる。

 これを治療というのかどうか? 疑問がある。

 食べれるものから、食べたいものから食べる、昨日、最初の抗がん剤治療から退院して、よく寝ていたのを見ていると、よほどに気が強くとも疲れ果てたのだろう。

 生きるということを、癌と治療は邪魔をしていることを、痛感した。

 できた悪いモノは取り除く、これで良いのではないのか? これが正直な感想ではある。

 

 新型コロナと言う名称を世界中に流布し、恐怖を煽り、ワクチンを何度も打たせ、これで自然免疫を破壊し、これからは軽度のウイルスであっても、重度の障害が出るようになった。

 地球上に存在するウイルスでは、人類は自然免疫で打ち勝つ身体を持っていたが、その人類の身体の方をワクチンで弄ってしまい、なんでもないウイルスでも重度の障害が残る身体にしてしまった訳だ。

 分子よりも、分母を弄って結論を導き出して来た金融経済が行き詰まり、これからは予防医学という余計なお世話で健康な人類の肉体を弱くし、災難を大災害へと変えて行くつもりなんだろう。

 集団で従順に動く消費猿の群れは、淘汰する、そんなことだろう。

 それが上手く成就するものならば、の話だが、それでも多くの人たちは自然免疫を破壊されて、生きて行くことになってしまってる。

 世界覇権の移譲がスムーズに行かない訳は、成金守銭奴な間抜けな資産家や財産家たちが、我欲に籠って嫌々を続けているお子ちゃまな惨状だが、どいつもこいつも、そのレベルの大人でしかないと世界の賢者には丸見えになってる。

 

 オランダからイギリスへ世界覇権が移った時期には、彼らは船に乗り、世界中を植民地にしていった。

 アメリカ大陸の開拓と建国、これには原住民への殺戮と略奪、人身売買、奴隷労働者への殺人にも等しい強制、いろんな酷いことを続けて来た連中が、いまはロシアや中国と言った国の人権問題を騒ぎ始めている。

 まず、お前らにはそれを言う権利は無いだろう? そういうことだ。

 広島・長崎に原爆を落として、それでいまだにギブミーチョコレートを続けている日本政府、恥ずかしくはないのか?

 逆らう政治家や役人は、抹殺されて来た。

 そんな腑抜けばかりの政治の世界や官僚・役人の世界を昭和から眺めていると、そんな腑抜けに統治されている日本人の惨めさを痛感する。

 そうして統治と労働・消費する民の関係は、いつもそんなとこだ。

 飴と鞭で管理する。

 酒やお菓子と見世物・祭りで管理する。

 それが形を変えて続いているだけのことだ。

 現代は金や資本と、メディアの報道がなければ民を管理できない時代、そこで四六時中行われていることは、箱庭の中での競争ばかり、実は同類ばかりの奇種変態だけになってしまってるのに、気が付くこともなく、それが日常だと笑って自ら箱庭に入り、満足している。

 俺はその箱庭に始終出入りして商売を続けている周旋屋、そんな構図になっている。

 ここは、大笑いするとこだろう。

 

 学校で先生に褒められたい、家では親に褒められたい、社会に出れば経営者や上司に評価されたい、メディアで名前を売りたい、こういう社会は昔からの、奴隷管理の一環だ。

 組織・集団の中で、波風立てずに自由に生きることとは、産まれて最初に叩き込まれる道徳観や価値観になっているが、それが従順な奴隷管理に繋がっていることには大きな嘘がある。

 オーディションで勝ちたい、コンテストで優勝したい、大会で一等になり、金持ちやスポンサーに拾ってもらう。

 これが立身出世だと、さも素晴らしいことのように社会全体を洗脳仕上げてしまってる。

 

 俺は俺で、そんな社会の中で、他人や社会の為にと生きてはいるが、それは奴隷管理の為ではなくって、常に同等に、笑って、愉しくいようという根幹からの行動だった。

 だから相容れない、交わりようがない。

 仲良くしようにも、おかしなものはおかしいと、言い放って生きることになってる。

 これはガキの頃からのことだから、最後は生死を賭ける戦いにもなるんだろう。

 思えば今の高齢者たちのその親の代から仲良くして来た我々の世代は、その下の団塊の世代と団塊ジュニア世代の大勢に挟まれて、それでも群れにはならずに生き抜いて来たようなもんだから、それが生き甲斐とも言えるような感じか。

 仕方の無いことだ。

 

 さて、今週前半はアメリカ市場が休場だったり、週後半はロンドンや中国が休場、主客がいない日本市場は薄商いで値を飛ばすにはもってこいの場末の余興、阿呆らしや阿呆らしや、せいぜいお楽しみあれ。

 踊らされる皆さんの学習しない損を、また苦もなく頂いておくよ。