オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

生き物の遺伝子に逆らう跡継ぎ芸

2023-06-29 10:10:07 | 身体障害者の登山と遠泳

 

 

 由緒ある伝統芸能の家元とのお付き合いから、いろんな日常の他言できないトラブルの相談などを受けて動いて差し上げたりしてるうちに、銀座生まれの銀座育ちという一番下の息子を子役にどうか? という話になり、地元の野球チームやサッカーチームで走り回っていたのを定期的に遊びに行かせているうちに、7~8歳のとき、国立能楽堂で大御所と二人で演じる百萬の子役に抜擢されて初舞台、堂々と物怖じもせずに演じ切ってその度胸の良さも笑いの種になってはいるが、地元の小学校のミニバスチームのキャプテンになり、中央区の選抜にも選ばれて忙しくなったことで、本人は能の世界とは疎遠となってしまった。

 いまでもバスケを続けて高校生になっているから、すでに身長は176センチの俺を超えてしまってる。

 芸術・芸能・政治の世界というものは、狭い鳥小屋みたいなもんで、社会全部を相手に生きてる周旋屋との接点は、たまに狭い世界での椅子取りゲームのトラブル処理くらいで、そんな狭い場所で生涯を過ごすのは俺の血では無理。

 だから他の腹違いのお兄ちゃんお姉ちゃんらとおなじで、好きにまかせて自由自在に生かせてやってる。

 小学生高学年で、太平洋で1時間以上は遠泳して、谷川岳くらいは楽に登り降りも出来ていた。

 俺の日常の忙しさをずっと見ている訳だから、どの子供らもハートは強いもんだろう。

 俺が生きて来た濃い場所からの出発であれば、子供らもみな有利なんだろうが、みな最初からやり直しになるのが生き物の遺伝子の足りないところ? いやいや優しいところだろう。

 であれば、継がせるべきものはナニが起きてもへこたれない、孤立無援の四面楚歌でも自分を貫くことくらい、あとは他人や社会への愛と機微の深さと、精力絶倫さくらいのもんだろう。

 これが身に付けば、どこても愉快に生きてゆける、大笑いだ。

 

 男同士の愛のもつれや、男同士の嫉妬に確執、男同士の・・・周旋屋稼業を長くやって遊び惚けて生きて来てると、別段に珍しい話でもないが、メディアを賑わす事件やトラブルの原因が、そんな話ばかりになってることには、ほとほと薄気味悪さしか感じ得ない。

 こっそり、日陰で、目立たない関わり合いだったから、その関係は濃くなっていたのではないのか?

 これほどあからさまに、あけっぴろげで報道されてくると、醒める関係も多くなり、暴力的な話題ばかりが幅を利かせるようになる。

 当たり前だな、男同士、オス同士の恋焦がれのこんがらがった痴話だから。

 愛や恋って~ものは、こそこそ、ひそひそ、ひとりとひとりがもつれ合うからこそ素敵な話になるのであって、団体で、集団で、皆がやってるから、おなじ性器を持つ者どうしの絡み合いなんざ、綺麗な話ではない。

 凸と凹、無いモノどうしが重なり合って、完結する、こういうのを自然という。

 おなじ男にはいっさい興味もない俺なんざ、どうでも良い幼稚な話題。

 性差別をなくせ! 同性愛を認めろ! 近親相姦も愛のうち! ・・・こういう古風な左翼的な話を蒸し返して煽っているのは、どういう類の奴らなのか? 解ってるの?

 決して少数派の味方なんかではない、弱者・少数派を食い物にするだけのケダモノたちだ。

 

 生きることに疲れるという言葉は、肉体に障害を負ったり、大病を患ったりした時に、その遅々とした回復期に出る話で、健康な肉体で生きて居る者が言う言葉ではない。

 俺もオストメイトとなって退院してからの半年間は、腹筋に穴を開けて出してる腸と腹の皮膚がなかなかうまく馴染まずに、毎日の深夜に激痛の走る傷口を洗い、毎日その肉のえぐれた腹の傷口に小袋を貼りかえることの連続で、精魂尽き果ててクタクタになっている時にはそれを想ったもんだった。

 痛みが酷くて右向きでしか眠れない、これを5か月続けると身体のあちこちから悲鳴が上がっていた。

 大病院ではマニュアル通りのいろんな医療行為を勧められていたが、もう十分に生きた! と、すべてを止めにして、薬もぜんぶ捨ててやって、激痛の走る身体で車を運転して、里山歩きを始めた。

 これでダメだったら、どこぞの奥山で静かに獣たちの餌になって終わりにしてやろう。

 本気でそう動いていたが、運が良かったのかどうか、それから傷の具合が改善されてきて、そうかそうか、人間の身体は こう生きたい! という意思を伝えてやることで治癒を始めるのか? そんな心持ちだった。

 医者や病院まかせではなく、自分の意志でどうしたいのか? それを身体に伝えてやることは大事だろう。

 身体がボロボロになるほどに忙しい日々を送って、腸が破裂して腹膜炎を起こし、オストメイトになった。

 その生き様がオストメイトになっても続いている。

 自分で自分の身体を健康な状態にするために、自分で自分の手を引いて引っ張って生きて居るようでもある。

 現代の大人社会では自殺というものも多いが、俺の過去の出来事をいちいち挙げて行けば、何十回も死んでなければいけないようなことばかりだった。

 そんな果てにある今は、自由自在で愉快千万、大笑いしてばかりの毎日を送れている。

 陽の沈まない日はないが、陽の登らない日も、ない。

 オストメイトとなってそんな大変な半年後に登った2000mの山頂では、こんなオヤジでも目頭が熱くなった。

 なんども休み、なんども転げ、泥だらけになって、ゲロを吐きながら、それでも立っていた。

 この身体も克服した、と思ったよ。

 

 昨日は早朝から高齢者の病院に付き添い、介護の面談と今後の話し合いで仕事にならなかった。

 売買の契約が入っているが、それ以外でも今日は深夜まで溜まった仕事の片づけをしなければいけなくなった。

 立ち止まって、休息する時間なんて、俺の人生にはまるでない。

 ひとつ片づけると次の話が持ち上がって、終わらないことになっている。

 これを、生きて居る、というのだな。

 


人事を尽くさず、天命だけ待つ猿

2023-06-26 11:19:07 | 銀座の周旋屋

 

 

 天気図を描いていて、直前まで迷った挙句に、群馬の奥の山々を、歩いて来た。

 人の多い騒々しい山は御免なすって、人のいない山ばかりを選んで、獣たちと会話しながらのんびり歩き登るのは、いつものことだ。

 いまさら山や海で、喧しいだけの猿な人間になぞ会いたくもない。

 地球や宇宙の大自然の中で、猿には用がまるでない。

 話してることだって、お子ちゃまな暗記知識を使った会話と、経験したつもりになってる自画自賛。

 そんな幼児な人間の話など、どうでもええがな。

 カッコウが鳴いておった。

 ウザい人間が居ない山でしか、鳴かない鳥だ。

 

 毎週毎週に、山に登ることが、当たり前のことになって何十年も経つが、夏は毎週、太平洋で沖に泳ぎ出るのも当たり前のことだ。

 趣味だとかレジャーとして続けているのではなくて、いつも違うその場所その場所での現実を目に焼き付けて、行き帰りの人との関わり合い、日本人とはナニか? 俺はどう生きるべきかを考える為にやっている。

 永久オストメイト・身体障害者となってからは、腹筋に穴を開けて腸を出して、そこに袋を付けて生きているが、日常生活は健常者よりも精力的に生きることを自らに課して、鍛え続けている。

 ただただ植物のように生きて居るだけでは、意味がない。

 だから笑い飛ばして生きる、これが出来なくなったら終わるつもりでいる。

 ただ、腹筋だけは激しく鍛えられない身体になっているから、それ以外の筋肉や臓器を鍛えることで失ったモノを補うように動くようになってるが、文字通り、人体実験を自分の身体で続けている。

 山登りでは、何時間も登り続けての頂上直下が一番に厳しい急登になることが多いが、腹に肛門を造設していることで、キツさは健常な頃よりも数段増して来ている。

 それでも山登りを止めないのは、自分の為、まわりの者の為。

 この身体で生きてゆくことに甘えを持たない為。

 生きて居る以上は、健康で笑っている為。

 時間はかかるようになっても、日帰りの登山で二つ三つ四つと縦走してはいる。

 ひとつひとつの行動が、健常者には無い障害を常に意識しての動きになり、それが日常になったところで行動範囲は健常者以上のことが出来るようになる。

 いつも経験と学習、笑っている意味も違ってくるし、頂上で眺め渡す景色も違ってくる。

 

 人事を尽くして天命を待つ、よく聞く諺だが、話を聞いていると、そのほとんどの尽くしたという人事についてが、俺の日常に尽くしている人事の半分にも満たない自己満足で安易に終わりにしていることに、愕然とする。

 あんたよくもま〜、その程度の人事で止めにして、あとは仏に手を合わせ、神に祈って、他力本願な日常でダラダラ天命を待っていることよと、呆れ返る。

 すぐに答えを求めるのは、人生を逃げ回ってる卑怯者のやることだ。

 おみくじ引いたり、宝くじを買ってる連中のことだ。

 とことん自力で生きること、自らを神や仏を超える存在まで高めること、すべての責任は自分の内にしかないことを肝に銘じる。

 仏に手を合わせることもなく、神に祈ることもなく、とことん妥協せずに人事を尽くす、半端者だらけの甘ったれた社会では、叶うことだらけになるさ。

 当たり前の答えだろう。

 それを現実と呼ぶ。

 死ぬ気で生きるなんてガキの遠吠えを、大人になってもやってる猿には、解らないだろう。

 そんな安易なキレイごとを抜かした時点で、撒き餌になっている。

 

 メディアでは、障害者を支援し、そこで素敵なおセンチドラマを作ろうとする古臭い煽動報道ばかりだが、俺はいまだに日常で、健常な人たちを支援して生きて居る。

 これはなんのジョークだろう??

 障害者を利用して、金儲け、善人面する行為、恥ずべき景色だ。

 あんたのオツムの具合が丸見えだ。

 

 借金や負債を持つということは、支配されるということだ。

 食い扶持作りで仲間を持ち、貸し借りを作るということは、自分に嘘をついている。

 身動きできなくなるほど束縛されて、雁字搦めになってゆくことに甘んじて、あなたはそれを責任と呼び、生きている意味だとまで持ち上げる。

 そこにある愛や恋なんて、誤解と錯覚と都合の良い勘違い、家族の為にと夫婦で住宅ローンを払い続ける為に自分を殺して生きる辛抱や忍耐など、まともな話なんかじゃない。

 だから人類の日常は猿芝居ばかり、どんどん猿芝居の演出や脚本も、獣の本性からはかけ離れて行ってる。

 生きることを、とことん突き詰めて社会と関わり合ってるいると、ナニを大事にして、ナニを捨て果てていれば良いのかも、よ〜く見えてくる。

 喜怒哀楽なんて、染められた魂の一過性の反応でしかない。

 もっと他にはないのか?

 紀元前の頃とナニも変わらない人類としての日常が送れない、人類の前には立ち塞がっている洗脳というオツム硬直、これでは退化するいがいに逃げ道はなくなってしまってる。

 

 高齢者たちの付き添いや介護看護の打ち合わせが目白押しになっておって、そこに売買の契約・決済が重なって来ておって、相変わらずに忙しい日常が始まった。

 やっちもね~。

 

 


借りる猫の手獣の手も無い無い婆

2023-06-23 10:34:50 | 地球と生きる

 

 

 ・・・わたしの部屋の鍵を誰かが勝手に替えたみたいなんです!

 40代になる独り暮らしの借主女性から電話をもらった貸主は、すぐに警察に言いなさい!! と伝えた訳だ。

 警察が来て、その女性から預かった鍵を使って玄関ドアを開けると、すんなり開いたらしい。

 ・・・誰かが部屋に入っているんですよ!!

 今度はそんな電話が入ったらしい。

 ・・・どうして? ナニがあったの??

 貸主が聞いたという驚きの答えを、俺は黙って聞いていたが・・・

 ・・・誰かが侵入して、わたしの洋服をぜんぶ小さなサイズに替えてしまったんです!!

 これは実話だ。

 単にあんたが太っただけでしょう!! とは、言えなかったらしい。

 コロナワクチンズボズボ接種後の、長い自粛引き籠もりテレワークによって、独り暮らしの人たちのオツムがイカレテ来ている話は不動産の同業からも色々と聞くが、キリが無いくらいに毎日どこかで起きていて、警察よりも神経・精神科は儲かるんだろうな~、と、素直に感心してしまってる。

 ・・・無断で出社しないから様子を見て来て欲しい

 そんな近所の社長の頼みで社宅の賃貸マンションの部屋に出掛けて行くと、若いお兄ちゃんが真っ暗なワンルームで壁に向かって座り、壁紙を千切って食べていた、ということもある。

 ・・・上の階の人に盗聴されてるんです! 盗撮もされているかも!! 変な光の渦が部屋の中に湧いて来る!

 警察に行ったらしいが、病院に行ってみた方が良いと言われたからと、俺のところに来る人もいる。

 上の階は空室だったから連れて行き、誰も棲んでないんだよ、優しく解決してやったり、風呂場の排水口にペットボトルの蓋がたくさん流れて溜まってるとか、有り得ない話が色々と相談でやって来る。

 だいたい、30~50歳くらいの独り暮らしの女性に多い。

 真剣な相談者に対して、俺はいつも笑って聞いてあげることにしている。

 否定はせずに、まずすべてを聞いてあげて、現実に連れ戻してあげる、そんな対応になる。

 現場で起きている社会の異変は、これが対人への暴力へと変わる時、大問題となって行くんだろうが、いまはまだ、そんな笑い話で済んではいる。

 おかしな社会が目の前にあるのに、おかしいと誰も言わない社会では、みな狂い果てるだろうよ。

 俺はいつも大笑いして、そんな話を、みんなに話してあげているよ。

 コロナ騒動から始まっている右往左往の閉鎖社会、そりゃ~おかしくもなるわさ。

 山での山座同定と同じ360度を常に向いて、縦割りではなく横すべて、ありとある社会に関わり合って生きて居ると、その異変には早くから気づくことになる。

 自分がおかしいと思うことすらなくなっているからこそ、ワクチンを何度もうって、殊勝な顔して生きて居る。

 

 生きること、死ぬこと、なぜ生まれ、どう死ぬのか、一番に大事な話が曖昧なまんま、一芸馬鹿な歪んだ社会でも、金さえ持てば楽が出来る、これは心まで貧しい者の考える自慰でしかなく、そんな猿らが運良く金持ちになると、自分や他人の生命の重さなど石ころのように考えるようになり、安易な日常に堕ちて行くだけの話だ。

 性を売買の対象にし、貧困でワンパターンな知恵しか持たないからこそ同性愛や近親相姦に溺れ、金で解決するエクスタシーに流され、猿の小島でゼニカネ競争に明け暮れる、短絡的で単細胞な獣の暴走を繰り返すようになる。

 セックスのことだけではなく、なんでもそう、独創性の無い洗脳された日常だからこそ、退屈で行き詰まり、またまた洗脳されようと過ごす。

 弱く卑しい守銭奴な人類は、空っぽなのはオツムの中だけではなくなり、生きていること自体が無意味になり果てて、その集大成は現代社会の至るところに、災難を生んでいる。

 すなわち、叫んでることと、やってることの乖離分裂、別人格の日常的な同居を許す形での自己解放、そんな現代人の歪んた弱点が狙われている喜劇。

 その手の幼児な相談には、ホンモノの変態な俺はいっさい関わらない。

 

 40年以上も、日本中で不動産業のいろんな営業をやって来ていると、地方地方の地域性や、環境による人間性の違いも解って来るが、この国の財産家や資産家という金持ちの人々の日常生活にもたくさん関わって来ていると、たいした大人もいないと、そういう笑い話ばかりになっている。

 金を持ってるだけ、使い方の違いだけで、人として凄いと感心するような人物には出会ったことがない。

 だから俺みたいな独立独歩でも、悠々と自由自在に生きて居れる訳だ。

 金がなければナニも無い人間では、どうしようもないがな。

 金がなくとも大笑いして愉快に生きて居る、俺はそんな日常を65年も送っている。

 金が使い道のない場所ばかりで、と言った方が良いか。

 そこでは一匹の獣として、生きて行くことになる。

 それで充分に愉しめる日々がある。

 経験ばかりの話には、終わりがなくなり、誰とも違う自分の話が、笑って出来る。

 先輩や先生や師匠、同僚や後輩や知り合い、そんなものなど俺の話には出て来ることもない。

 組織や所属するチーム、団体での話も、ナニも無い。

 増して退屈なメディアの受け売りや覗き見話など、興味も無い。

 今日も、こんなオモシロイことがあった、それだけ。

 会話の中身が違うから、社会ではすでに孤立すらしているだろうが、別になんの問題も、無い。

 毎日そうやって生きて居ると、キリがないくらいに動き回ることになってるから、夜は瞬時に爆睡する。

 酒や薬やギャンブルにも、すでに興味は失せている。

 自営の金儲けも、これだけ長く無借金・負債なしで続けていると、別に何も困らないし、世界恐慌に向かっていたって、準備はとうの昔に終わっている。

 

 1年少し前に、いきなり大腸癌ステージ4を宣告された古女房の、根治後初の内視鏡検査と超音波検査やらに同行して来たが、腸の画像はキレイなモノで、くっつけた傷痕すらほとんど解らない状態に回復していた。

 抗がん剤治療などの後遺症や副作用の残る治療はやってないので、ナニも問題は無し、言うことを聞かずに2回うっていたワクチン接種も1年以上前に止めさせた。

 その後は自然免疫を鍛え上げることだけを続けている。

 俺も、ナニも問題なし。

 毎週まいしゅう2000m前後の奥山を歩き回っているから、体調の変化は極度に身体を追い込んだ時に自分ですぐに解る。

 だから検査の結果も解ってはいた。

 次は後発白内障の治療を行う婆様と、緑内障の治療を勧めている婆様に付き添い、別の婆様は人間ドックへの申し込みをやってやったり、介護の申請なども俺がやっている。

 御徒町の古い付き合いのメガネ屋の社長には、いろんな対応ができる高齢者用のメガネを相談して作ってもらったり、ありとある可能性を追求して動いている。

 病院やケアマネージャーとの打ち合わせも含めて、これだけで毎日が多忙になってるが、古い付き合いの女優さんが膝のお皿を割ってしまって、リハビリ専門病院に転院しているので、そっちの動けないオバサンの日常の対応も早朝から出掛けて行って、やったりしてる。

 あちこちの女どもは、どんな我儘を言っても良い人、そんな感じでいてくれるのは嬉しいが、我儘が過ぎるのが女の厚かましさ。

 その合間に、忙しい仕事をやってる感じで、これもなかなかややこしい話ばかり、売買の契約も大きいのと小さいのと・・・時々山の頂に逃げ出したくなるのが、本音だな。

 すべてをこのボケの来ているオツムで常時整理してこなしている訳で、猿には真似など出来んだろう。

 大笑いだが、旧帝国大学を出て魚釣りとキャンプばかりして、挙句に離婚していた息子の一人が、俺のいるおなじ銀座で、優秀なAIロボット開発の専門家集団の仲間入りをして、時代の最先端の仕事に取り掛かるらしいが、他人や社会の為に生きるという、責任をたくさん抱える楽しみを考え続けて欲しい。

 担ぐ荷物を増やし続けていること、それだけが自分の足腰を強くする楽しみに感じれる生き方、実感できるにはまだまだ背中の荷物は小さいな。

 こんな老いぼれの障害者をこき使うなんざ、お前ら、エエ加減にせいよ! だが、みなちゃんと生きてくれればそれでエエか。

 エロ爺ィ、変態爺ィと呼ばれていても、残りの時間は少なくなってきてるだろう。

 


俺の季節は、ひと足はやく真夏だ

2023-06-21 10:12:37 | 銀座の周旋屋

  

 

 銀行に1000万円預けていても幾らの利息もつかない、株や債券、商品市場も外国勢の玩具にされているし、NISAや日本国債なんざもっと怪しい、ならば金(ゴールド)の現物は買っておいて、他の投資には不景気にも強い類の不動産を、ということで、俺が身内の連中にやらしている動きを真似て、愉快に未来予測しながら同じ動きをしたい人たちが続いている。

 俺は自分でまず生きて見せることから、始める。

 阿呆みたいな高額な不動産ではなくって、キャッシュで買う、不景気になればなるほど需要の出る不動産。

 ま~、銀行や証券会社の子供じみたアドバイスなんざ、相手にはされない古い顧客の方々の昨今の動きだな。

 しかも後々まで当社が関わって管理から日常生活のフォローまでさせてもらう、これ以上の安心もないだろう。

 借金・負債を持たない顧客層が、借金・負債を持たない不動産屋を真似て動く、そこには愉しい笑いしか残らない。

 先進国では、商業用不動産のバブルが弾け始めている。

 我が国も例外ではない。

 居住用の不動産も高すぎて手が出ない時代に、操作された株高に騙されて高額ローンを組んで買っておられる方々が仰山おられるが、カモ、そういうことだ。

 これから政府は高くなり過ぎた居住用の不動産を動かすために、税制やらナニやら、あの手この手の優遇措置という餌を撒き始める。

 笑って相手などせず、無視して山や海で遊び惚けて、不動産屋がたくさん破綻するのを待てばエエがな。

 不動産の作られた好景気が終わる合図でもある。

 嘘ばかりの資本主義など、興味もないと、そういうことだな。

 

 我が国の政治の世界は、昭和の頃から男色ジャーニーズとおなじようなもんで、権力や財力を保持して行くには松下政経塾みたいな同性愛・近親相姦・乱交な関係がずっと守られて、延々と続いている訳だ。

 そういう構図を作ったのも、他でもない米英の洗脳が元になっている。

 愚かしいコロナ騒動でも先頭に立って偉そうに叫んでいた政治家や専門家たちの目は、洗脳された獣の目だった。

 いまでもそんなロボットのように動かされている連中が財力や権力を握ったまんまだが、国民は跪いているだけ。

 昔から男色というものが守られて来てる原因は、古臭い伝統を守る組織の維持、不安な弱者同士の共闘、倫理に背を向けた背徳感の密やかな共有、そんなことにあるが、単に女性とのセックスでは得られないエクスタシーを求めて、という変態もいる。

 男女平等や格差是正のキレイゴトの叫び声を野放しにしているから、逆手にとって変態が常態となり、自然な関わり合いが変態になる、そんな世界にもなりつつある。

 オツム、たいちょうぷ? ですか。

 安っぽい猿の島国では、珍獣ばかりが生き残り、ホンモノの獣な俺と争う時代がやってくるんだろう。

 オモシロイ、早く来い、そんな時代、だな。

 

 たとえ最後の一人になっても、自分の生きたいように生き切る、そういう独自の生を無人の孤島ではなくって、大勢が棲み付いている社会で貫いて生きる、これがガキの頃からの夢にまで見た想いだった。

 65年を迎えて、いよいよ愉快にそれが出来ている。

 国家や組織や団体なんざ、屁みたいなもんで、まず俺が居て、そこから世界は拡がり、俺が居て、初めて人類は幸せを手にする、そういうことになっているさ。

 言いたい放題、遠慮はまるでなく、やりたいように生きる。

 死んだらすべてが終わる、そんだけのことさ。

 

 新型コロナと呼び、MERSやSARSやエイズと並び称して怖れさせ、単純なインフルエンザの亜種なのに格上げされて騙されて、怪しいワクチン接種まで言われるがまんまに何度もやってる人たちを、次も騙して踊らせるのは、簡単だろう。

 MERSやSARSとて、いまだにワクチンは出来てはいないのに、なんで1年そこらで新型コロナは出来るのか? 大笑いして俺なんかは眺めていたが、チョロくも騙されて右往左往、自粛にワクチン接種に従っていた大人社会は、いまや恥ずかしい消せない汚点を残してしまってる。

 チョロいオツムを狙い撃ち出来るだろう。

 そんな社会を冷ややかに眺めてる者は、俺のまわりの自営にはたくさんいるが、それですら基本的な当たり前のことで、別に偉いことでもないが、いかにも天下を獲ったようなつもりになってる安い猿もいる。

 下らない、免疫異常がアチコチで発覚してくると、その救済をすでに考えて動いているのが、ちょっとお利口さんな類で、そのはるか先まで読んで生きてる大人たちは、社会の崩壊をすでに諦めて受け入れる準備に入っている。

 俺が毎週毎週、山に登っているのは、こんな愚かな社会と大人たちの中でも、どう愉快に生きてゆくのか? の整理整頓の意味もある。

 意味が解らない大人社会には、ナニを言っているのかも、知れないだろう。

 ワクチン接種には従わなかったが、自意識過剰で優越感に浸ってる猿も、結局はおなじドツボに嵌って行く。

 甘く見ていると、生命すら玩具にされて、残念だったね、そういうことになる。

 

 一度すべての日常の情報源をシャット・アウトしてしまい、自分と向き合う、大事な習慣だろうがね。

 チョロチョロばかりして、自信も無い癖にキレイゴト、その醜い足元をジッと見られていることも自覚すべき。

 人間社会の幾重にも重なって解りづらくしている情報というもの、常に簡潔単純にして置くことが出来るかな?

 楽に、笑って、のんびり自分のペースで、生命の危機を何度も潜り抜けて来た者にしか、出来ないかな。

 俺の季節は、すでに夏に、なったでよ。

 梅雨の雨雲の上で遊ぶ季節。

 介護の夏、看護の夏、走り回って、俺の夏。

 


信州の2000mの山でも熱中症

2023-06-19 10:08:17 | 身体障害者の登山と遠泳

     

 

 早起きして、暑い暑い都会を抜け出し、信州長野の奥山まで出掛け、2000mを超える山に取り付いて涼んでやろうと想っていたが、大きなハエや蜂や虫虫に歓迎されて、常時20〜30匹を従えて、ブンブン喧しい登山になっておった。

 俺が噴き出す大汗に吸い付き、水分塩分を摂取している訳で、お前らの生きている場所に入ったヨソモノの俺は、好きなだけ吸わせてやるぜと、放置して引き連れてゼーゼー喘いで登っていた。

 いつも吸い付いている鹿や熊公や猪・タヌキよりも、俺の汗は美味かっただろうとは思っていたが、2時間も3時間もまとわりついていては、元の場所には戻れないだろうに、、、と思われるかも知れないが、彼等の生態は人間と違って徴税の為の定住生活ではない。

 下界は30度超えだったが、標高2000m超えても20度くらいあったのではないか? という感じだった。

 しかも期待していた風もたいしてなく、歩き始めの2時間くらいは谷間の登り上げ、蒸しかえる新緑の森はサウナのような状態だった。

 おかげで熱中症気味になり、頭痛がしていたから、休みを多目にとって、ゆっくり登ったさ。

 高山植物花盛り、いろんな花を愛でて山オバサンのようにウットリ~、な訳もない。

 山頂では、雪山では毎週いつも食べていた中本の旨辛飯を喰ったが、もう季節は生姜汁の冷やしそうめんだろうな。

 距離も上に下に横に斜めにとたっぷり歩いたし、さすがに夕方に下山する時はクタクタになっておった。

 冷たいモノをたくさん摂って上信越に乗った時は、一気に疲れが出て来て、軽井沢過ぎてトンネル工事の渋滞で徐行してると、こりゃ~横川あたりで仮眠するか? だったが、藤岡近くになると回復してきて、関越の東京方面のいつもの渋滞が始まっていたから、新潟方面に合流して高崎で降り、美味しいパスタと上州豚を腹いっぱい喰ってゆっくり休憩、塩分・水分にニンニクもたんと身体に補給して、渋滞の解消した高速をゆっくり戻って来た。

 それぞれの方面には、こういう渋滞解消までの時間潰し栄養補給の地産地消の美味い店が幾らでも存在する。

 素直に渋滞で我慢して戻る時間よりも早く戻れる裏道・下道も色々あるが、山や海で激しく体力を消耗した時は無理はせず、渋滞に嵌ってる時間を別の有意義な行動に使うのはいつものことだ。

 源泉に浸かって渋滞を避けたり、毎週毎週いろいろやってるが、日本全国に地産地消の美味いモノはたんとあるが、どれもまずはそこの大自然の中でクタクタになるまで体力を消耗させてから喰らう、消化もしてないのに美味いモノだけ喰らいに出掛けるなんて間抜けな猿では、難病奇病に罹って医療の餌になる。

 久しぶりに身体を酷使して、ハードな山登りだったから、アクセルを踏む右足も疲れ切っていた。

 こういう時はオートドライブにしてのんびり帰るに限る。

 日帰りで往復500キロを運転しての登山だから、当たり前といえば、当たり前だが、何カ月ぶりかのキツイ山歩だったから、温泉に浸かるのも止めにして、とっとと戻ってラジウム鉱石を入れた風呂でまた汗をかき、腹のパウチを交換して、すぐに爆睡したもんだ。

 顔や首筋は日に焼けて痛いし、黄斑変性な右目は歪んでるが、ま〜、しかたあんめぇ。

 これを半世紀以上も続けて来て、だからこそ良い仕事も出来れば、精力絶倫過ぎる体調管理も上手く行く訳で、社会の為でもある。

 

 死が怖くならない話や、死生観の達成、悟りを語る・・・なんて流布や布教まがいのことをやってる坊主や宗教家がいるものならば、とうの本人が一番にビビッて自信を失ってるということだ。

 すでに超越しているのならば、そんな話題すら超えてしまってる。

 精神科医のヒステリー、感染症専門医の性病罹災、歯医者の虫歯放置、整体師の変態悪趣味、内科医のカウンセラーゴッコ病、薬剤師の薬漬け・・・俗な金儲けだな。

 胡散臭い、猿芝居。

 

 日本の歴史や伝統をキチンと語り継いで、後世に遺して行かなければ、と抜かしてる中身を聞けば、おいおい、そんなもなぁ、江戸時代に外国の知恵で作られた市民管理の風習や習い事、奴隷が塀の中でおとなしく遊ぶお遊戯会、とてもじゃないがそんな猿芝居は後世に遺す必要などないがなと、笑える自己満足ばかり。

 日本の本当の伝統や風習は、山や海に出掛けていつも接してなければ解らないだろうよ。

 キレイゴトの歪んだ自意識過剰なオツムの構造が、丸見えになってるが、軽すぎて相手にもされないだろう。

 その意見や主張すら、キレイに洗脳された猿の教科書どおり。

 喜劇、と言っても良い。

 

 今朝は朝から谷中の下町に出掛けていた。

 オシャレなフレンチレストランで同い年のオーナーシェフに会って来た。

 銀座在住の古馴染の貸主に、新しくビル管理を頼まれた仕事で、貸主の真っ赤なベンツの助手席でお出掛けしていた。

 特注のポルシェやフェラーリをたくさん持って乗り回しておられた車好きな人でも、いまは高齢化で免許もソロソロ返上。

 運転は自分でしたいと笑っておられた。

 俺が紹介した熱心な在宅医療の先生たちが凄く役に立っていて、感謝されている。

 谷中には、うちの仕事をいつも頼んでいた大工の棟梁が数年前にポックリ死んで、埋葬されてる寺もある。

 ふ~てんの寅さんよりも、ふ~てんだったな~、良い街だよ。

 美味そうな店もたくさん路地にある。

 

 さ、仕事の合間にプールで泳いでこなきゃ~、夏になったでよ。

 今年も太平洋でしっかり遠泳するぜ。