お台場の、東京オリンピック会場に囲まれた場所にある中高一貫校に子どもを通わせてる知り合いの両親から、子供たちの運動会は中止になってるのに、すぐ傍で行われる東京オリンピックは開催するということが納得できない、子供たちも同じように言っていると聞いた。
さてさて、こんなだらしの無い大人社会を、子供らはどう見ているのか?
関わる者らの利益のために、スポンサーの利益のために、国民は虫かごに入れられている。
政府が、住宅ローン減税や居住用不動産への優遇措置と称して、いろんなことをやる時は、総じて不動産価額が高く市場が低迷しつつある時と決まってる。
市場の活性化が目的だとは言うが、本音は徴税という政府の収入減を増やすことが目的だ。
マスコミ上げての企画を大々的にやったあと、不動産市場は下落する。
優遇されて得したと信じていた購入層は、別に慌てずに、不動産価額が落ちてから買った方が良かったと気が付くのは、ずっと後のことになる。
そもそも住宅ローンは首枷・足枷のことだが、消費者金融・暴力金融から借りた金とは違い財産が残るとは言うが、財産とはすなわち負債のことでもあり、そういう真実を知らない消費者が社会には溢れ返っている。
モノという財産は、裏返せば負債でしかない。
俺もそうだが、30数年前に弾けたわが国の不動産バブルをド真ん中で謳歌し、そこから低迷するデフレの社会を眺めて生きて来ると、すべてのモノに興味などなくなってしまう。
あらゆる贅沢を知ると、その無駄な荷物の多さに辟易し、捨てることで身軽になるしか気持ちの健康は無い。
いつもの日常を、どんだけ豊かに愉しく過ごすか、それだけでシンプルに生きる。
国家や社会に振り回されることなく、悠々と自由自在に生きる、これが一番だ。
おなじように、生きている価値観も無駄を省き、根拠のない道徳や倫理、感情や感傷も捨て去って、風習や伝統も歴史すら、その嘘と作り話を消去してゆくと、随分と楽になるもんだ。
命はあちこちに産ませ育てておけば良い。
みな手塩にかけて育てても、俺自身の生涯とは別個のモノだ。
産み育てる、この繰り返し、そうして自分自身は山や海で遊び惚ける。
それらの為に、要らぬ拘束や自由を失うことなく食い扶持作りをするには、ナニにも拠らない自営しかない。
餌は貰うモノでは無く、自分で手にするモノだ。
借金・負債や貸し借りはいっさい負わず、それを為すには、現実社会ですべてを合理的に簡素化することが必要になるが、その分、対人間への愛情は深く濃くなってゆく。
自らの命と、他の命の関わり合い、これだけで良い。
ただ長生きすること、長生きさせることが、美徳だとか幸せだとかという価値観が、俺には無い。
生まれて周囲の洗脳・教育のまんまに生きて来た受け身・被害者人間であれば、その洗脳感覚があるのかも知れないが、いつも自分から仕掛けて、自分で動いて生きて来た者には、どうにも理解の出来ない変な価値観だ。
・・・チッ! こんな胡散臭い人間の社会で生きるくらいなら、羊水に浸かって居た方が良かったぜ! と、産まれてすぐに命を絶ってしまうことだって別に悲劇でも哀しいことでもなく、あっても良いんじゃ~ないのか?
生きるということは、他人に急かされてすることでもないし、おなじ人間に評価や褒美をもらうためにすることでもない訳で、人それぞれ、楽しいことが続くから、もっと長生きしたいとか、もう充分に生きたと後悔無く終わりにすることだって、別にそれは本人の希望で良い訳だ。
そこに良い悪いや感傷も感情もあり得ない。
息苦しいとか、ストレスや辛い我慢ばかりで過ごして、そのまんま終わってしまってる人たちは多い。
・・・ナニが楽しくて生きてるの?
いはんや豊富な財産を持ち、日々の暮らしに困ることは無いとは言っても、その身体の異変や他者とのコミュニケーションでは弱い逃避癖から、煩悶しひっくり返ってる連中だってたくさんいる。
人間の幸せとはナニか? ナニが楽しくて生きているのか? 俺は63年、それだけで生きて来た。
色んなことがあったが、そのほとんどが自分から仕掛けたアクシデントの積み重ねだったから、後悔がまるで無い。
どんな生き物でも、まず楽しく生きていたいというのは同じだろう。
その為に自分の意識や思考や感情をコントロールして、余計な雑音をすべて省いてしまって、身軽になることはとても大事なことだ。
春先から田舎の実家を売却することで動き始め、墓地ではなく丘の上に建つ大きな石碑とまわりに朽ちている10何代も前からの先祖墓の取り扱い、要介護になった90歳を超えた爺様と86歳の婆様の引っ越し、古い無駄に大きな2世帯住居に残る残置物の処分、大雑把に言えばそれだけでも今年のバブル多忙な仕事の量を超えるくらいの、時間と労力を注ぎ込んで、俺が仕切ってプランニングして動き出している。
仕掛けた以上は、多くの身内の反発や、極悪人になることも覚悟のうえで、一気に地上げを進めて行くように、どんどんドラマを作って行ってる。
銀座の店から徒歩8分くらいの場所に、小さな古いが日当たりの良い南向きの2DKを借りてある。
大病院にも徒歩5分。
普通なら、92歳と86歳の老夫婦にマンションの部屋を貸す大家はいないだろう。
長年の付き合いの、多くの人たちが動いてくれている。
自営を続けながら無償で、いろんな関わり合いに走り回って来た30年が、手を貸してくれてる。
千手観音とは言うが、現実にそうなって来てる。
この日曜日から羽田に車を4日ほど停めておいて、向こうでは4日ほどレンタカーを用意し、病院では診療データの移管や、官公庁やらの手続きも済ませ、荷造りをし、認知の入ってる爺様を大勢で刺激しないようにと、あくまでも俺ひとりで二人を飛行機に乗せて連れて来て、3日ほど新居近くのホテルに滞在させて、ゆっくり新居に移動させようと考えている。
新居には、介護用のモノはすでに準備しつつある。
ナニが起きるかも解らない。
いつも登ってる人気のない高い奥山に登る時の心境に似ている。
便漏れもあるからオムツも持参して、時間には余裕を持たせてプランニングはしてある。
こっちにくれば安心だし、結婚してる子供たちや、まわりの人間のフォローが幾らでもあるから、冥途の土産にオモシロイ猿芝居でもしてやろうかと考えている。
老人の、その人生の中身の良い悪いは別にして、人間80年90年も生きれば御の字だろう。
笑って送ってやれる準備を終えるということだ。
介護や介助の勉強も、毎日夜になるとしておって、知識だけは色々と身に着けている。
激しく生き続けている63歳の身体障害者の爺ィが、この歳でまた新しい知識を取り入れてる。
おかげで最近ボケが多かったのも、正気に戻ってキレキレの状態になっている。
一度にいろんなことを一気にこなす、これは周旋屋の秘儀でもあるが、まだまだオツムも大丈夫だと笑ってる。
これが終わったら、大量に残る実家の残置物の処分と家の売却にと、通わなければいけないが、まずは命が先。
生きているって、オモシロいし、愉しいもんだ。
関わり合ってる人間が多ければ多いほど、そのお付き合いは生きてることを実感できる。
この一億総痴呆のようなコロナ下で、高齢者を東京のど真ん中に引っ越しさせるなんて、狂気の沙汰だろうな。
人殺しの極悪人になってる。