善良なる庶民の皆様方が、ロボットのように、ただただ他人からの評価を求めて働き暮らし、お利口さんにも国家の言うがまんまの長期休暇をとるときは、無駄で余計な動きはせずに、のんびり銀座の店でいろんな山や海で使う遊び道具のメンテナンスに夢中になってる。
もう30年いじょうもそんなことだ。
空を見て、雲を見て、これならばと思い立ったら、昼くらいからノソノソと出掛けて行く。
高速の混み具合を見て、事情を察して、絶対に混まないエリアに向かうことになる。
または、深夜寝ないで車に飛び乗って、まだ暗いうちから山に入り、昼頃には帰路につく、そんな行動が当たり前になっている。
なんで間抜けな渋滞に嵌ってまでして時間を浪費し、料金も高い観光地に集まらなければいけないんだ?
ネットやメディアの情報を猿真似し、あらかじめ予定・予約を入れて暮らす、保険・保障に予防ばかりに夢中になって、未来を担保の先物市場で生きてるつもりでも、現実はいつも嘘臭い徘徊老人そのまんま、な~んにも中身のない日常。
俺はそんなド阿呆な大人たちを、ガキの頃から嘲笑って生きて来た。
・・・すごい、アクティブなんですね~
・・・アウトドア満喫ですね~
・・・ワイルドだな~
あのね、そんなコンビニで売ってるような言葉の意味や解釈すら、俺には理解不能な単語の羅列。
生まれてから、ずっと遊んで生きて来てる。
すべてが遊び、遊ぶために生きて居る。
だからあちこちに女ができ、あちこちに子供が生まれみな可愛がって遊んで育て、笑って生きる背中を見せてやっている。
小難しい能書きよりも、腹の底から笑い飛ばしてやってる。
あらゆる経験の積み重ねは、ナニが起きても自由自在な笑いに変わる。
そりゃ~、モテるわな。
女・子供はうじゃうじゃ寄ってくる人生だった。
この頃は、そんな煩わしい女・子供もメンドクサクなってる。
人間関係の断捨離だな。
60歳過ぎたらすべてがメンドクサクなってる。
俺が好きなように生きる。
そうやって生きて居たつもりだったが、俺の好きなものが変わってきたということさ。
人間が大好きだったが、女・子供が大好きだったのが、そんな自分が大好きになってきてる。
そろそろ下山のお時間なんだろう。
・・・ということで、この長期休暇も渋滞を避けて動き、あちこちに出掛けてはいるが悠々と、昨日は外房のお寺廻りと断層見物、カツオを喰らって、その後も海でのんびり釣り糸を垂れて遊ぶことになっておる。
泳げるならば沖に泳ぎ出るから準備はしてあるが、ちょいとまだ冷たいだろう。
俺の描いてる天気図によると、そういうことになる。
次のお山は長期休暇が終わってからだろう。