オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

自粛などドコ吹く風、絶景の山歩

2020-04-20 23:14:42 | 登山と遠泳

 

 ・・・子供や若者たちを解放してやってくれ! その為に俺も含めて老人や高齢者が死ぬのなら、本望だ!!

 そういう強い北風がね・・・俺のまわりでは、びゅ~びゅ~と音をたてて吹いている、ということを伝えておこうか。

 

 視界不良や悪天候のとき以外でも、岐路やわかりづらい分岐に出くわすと、よ~く周囲や足元の景色を目に焼き付けておくこと、これは人気のない奥山を歩くときの鉄則だが、道だけをただトボトボと歩いていると、迷い込む、黄泉の国への入り口は、そこかしこにある。

 万が一、行程にアクシデントが発生して、日が暮れてしまっても、これがキチンと出来ておれば迷うことはない。

 ヘッドライトだけで、余裕で降りてこれる。

 ただね、電池の予備は持っておらんとね。

 

 今朝は酷い筋肉痛と、真っ黒に日焼けした顔がヒリヒリと痛い。

 

 60歳を過ぎてくると、すぐに手当てをしておくことで、翌日以降の体調はまったく変わってくる。

 歳をとると、この後の始末がとても大事になるということでもあるが、くたびれた~でダラダラしておると、次の週末がまた大変な山歩になるからこそ、キチンと過ごすようになっている。

 

 風が強いせいもあって、雪をかぶった遠くの山々まで、綺麗に見えておった。

 登っていると暑いくらいで、すぐにTシャツ1枚になって、それでも大汗をかいて、強い北風が心地良かった。

 顔がヒリヒリしてきたのは、焼け始めたということ、自粛馬鹿な社会で鈍った身体が、目を醒ましていた。

 黙々と、ぐんぐん高度を稼いでいった。

 獣たちも、鳥たちも、みなで応援してくれてるようで、あちこちからいろんな鳴き声が聞こえてきてた。

 ・・・がんばれ~、糞じじい!! と、聴こえた。

 ・・・あんがとよ~

 

 延々と飽きるほどに続く、薄暗い杉林の中の急な登りを終えて鞍部に出ると一休み、そこからは岩場に張り付いて古びた鎖と千切れそうなロープ、錆びついて傾いてる鉄のはしごを用心しながら登り、強風に身体がめくられそうになるのを堪えながら、山頂に立った。

 どこの山も、山頂が近づくと厳しい登りになる。

 とんがってるてっぺんの部分に登る訳だから、これは仕方がない。

 そのぶん、眺望は抜群、そういうことだ。

 ゆ~るりと汗を乾かして、温かいコーヒーを沸かして飲み、雪をかぶった山々を堪能した。

 重い登山靴も脱いで、疲れたビ~~、そんな休息になった。

 身長が176センチなのに、体重が80キロ近くになり、担いでるザックが20キロ超え、片足にかかる負担が100キロ超えてる。

 ・・・痩せね~とな~、ダメだ~~

 独り言を大声でつぶやいてると、後ろから登ってきたオヤジが近づいてきて

 ・・・一度ついた贅肉は、おとせね~んだよな~

 聞いてやがったようだった。

 程よく締まった身体は、登山にはちょうど良い、そんな体格だった。

 ・・・その通り、その通り

 ・・・逆に足腰が強くなるのが関の山で、悪循環になるんだよな~

 ・・・そうそう

 やけに話が合った。

 ・・・自粛なんて必要ね~んだがね~

 ・・・まったくだ、みなで素直に籠って死ぬつもりになってる

 大笑いしあって、先に次の山頂を目指した。

 ・・・お先にゆくぜ!

 ・・・あ~、あ~、俺はもう今日は此処で終わりだから、ゆっくり独り占めするよ、気をつけて!!

 

 風も、大汗かいた身体には心地良いんだが、それが強すぎると困ったことになる。

 山や海には、その人間にとってのほどほどに心地いい風が、あんまり無いんだな。

 そりゃ~そうだ、ここでは人間が主役ではない、主役は地球や宇宙のほうだからだ。

 

 さ~、今週末はまたもっと北の山に登るっぺよ。


遠回りの癖がある、オストメイト

2019-12-16 09:55:45 | 登山と遠泳

 

 土曜の夜、腹のパウチの交換をしたとき、貼付部の皮膚が赤く爛れていた。

 ヒリヒリ痛くなることもあったから、あんまり状態は良くないということだった。

 しばしコタツに入って新しく貼ったパウチを温めながら、仮眠。

 ・・・どうすんべ~か・・・

 3時間くらいユ~ルリ眠って、酷くなると厄介だし、どうすんべ~か? とは思ったが、山へ向かうのを止めようか? という意味ではなくって、雪山を里山に変えた方が良いんじゃ~ないのか? そういうどうすんべ~だった。

 で、暗いうちに出発したが、寒気団が入り込んでる影響で、山用のアルファードは中央道でもよく揺れていた。

 八王子を越えるまでに決めなけば・・・これだけ強風だと、富士山は絶景だろう。

 忍野八海からヘッドライトで山道・未舗装路に入ってゆくと、鹿がお出迎え。

 柔軟体操を軽くしたが、気温はすでに氷点下3度。

 身長は1センチ縮んで175センチ、体重が76キロまで増えているから、重い足取りでスタートした。

 昨日は単独行だったから、のんびりなんとでもなる自由に、開放感があった。

 最初のピークへの急登を終える頃、汗が出てきた。

 この分だと、この稜線の相当に奥まで行けるか? 腹の傷の具合と相談しながらだったが、問題はなかった。

 1500m越えてくると風はまだ強く、マイナス7度まで下がっておった。

 それでも中着を1枚脱いで、全身が熱くなっておった。

 土曜日は、銀座の店から浅草まで、アスファルトの道を歩いたが、汗すらかかなかったから、昨日は悪い汗がぜんぶ出たようで、サウナよりも健康的。

 霜柱の道を登り降り繰り返しながら、帰路、これが溶けてくると下山は厄介だな~、泥んこ滑り台だな~と、そればかり考えておった。

 富士山は予想通りの絶景だった。

 いくつかのピークを越え、三つ目の名前のある山の頂きに着いた頃、腹に違和感が出てきた。

 岩場や痩せ尾根で全身を使って登り降りしてたせいだろう。

 今日はこの辺にしといてやるか・・・少し降って日当たりの良い風の無い富士絶景ポイントにザックを置くと、ポールに紐を張って汗で濡れた衣類を乾かしながらラジオをつけ、湯を沸かし、飯とコーヒーを用意し、美味い一服をしながらぼんやり小1時間くらい、景色を眺めて居った。

 日に焼けた。

 腹の違和感もなくなってたし、泥んこになるのも嫌だったから、一度谷まで一気に降りて、いくつかの山を回りこんで帰ろうと考えた。

 これがいけなかった。

 1500mくらいの低山では、道はいろいろと入り組んでいる。

 あとは俺のオツムにある勘ピューターと経験則、位置は解ってるから、安易にそういうことはよくある。

 鼻歌が、唸り声に変わっていた。

 決して道迷いにはならないが、太った身体が思ったよりも足に負担になってて、なんども登り返して迂回してるうちに、バテてきた。

 落ち葉で見えなくなってる猪の堀った落とし穴にはまったり・・・バカやろう!!・・・細い獣道では枝葉に頭や顔を刺され、距離は相当に歩くことになっておった。

 最近は、20キロ超える距離はそんなに歩いてなかったから、とにかく身体が重かった。

 ・・・楽ばかりするようになったら、人間は終わりだぜ・・・森に響くように大声で独り言。

 昼過ぎには東京に戻ってる予定が、昼過ぎても、まだ奥山の獣道で格闘しておった。

 たっぷり休んでは、また登り返し、食い物や飲み物は余分に持っていたから、それを全て喰って飲んでやろうと、意地になっておった。

 アイコスも余分に持っておったから、薄暗い森から出るといちいち一服した。

 そうこうするうちに正規の下山路と合流して、泥んこにならずに無事帰還した。

 獣道は細く荒れて平らではないから、足首が痛くなった。

 27.5センチの足だと、ずっとあっちやこっちに捻じれた状態で歩いてたからだ。

 俺も山に入ったら獣の足が欲しいと思った。

 60歳過ぎると、一度楽をすると戻すのは大変だ。

 最初は悪い脂汗が、歩くうちにサラサラの汗に変わる、そうしてお肌はツルツルになる・・・今朝のあたしは、綺麗よ!・・・な話ではない。

 帰路はノンストップで一気に戻ってきた。

 風呂で温まって、すぐに爆睡した。

 で、夜はいつものように銀座の店で、一服。

 今日の歩いたコースを地図で確認して、破線でも描かれてない道を歩いて、想い出したくない山歩になった。

 同行者でもおったなら、間違いなく俺は、市中引き回しのうえ晒し者になっておっただろう。

 腹の皮膚の状態は、問題なし。

 

 朝から納豆ご飯にコロッケに蕎麦を喰って、甘い最中もほおばって・・・

 さ、仕事すんべ~。


苫小牧沖の地下1000mの人災

2019-03-05 11:40:23 | 登山と遠泳

 

 河津桜が咲いている。

 あいにくの天気で、すでに前日から山頂ハントは諦めておったが、仕事の合間にジッと東京で冬眠するわけにもいかず、昼過ぎから出掛けて来た。

 昼過ぎからでも長野や新潟くらいは走ってしまう日常だけんども、静岡方面に出掛けたのには、訳があった。

 そう、さわやかハンバーグ、たっぷり寝て起きての夕ご飯から行き先を決めて、富士宮あたりの店が待ちが少ない、そんな他愛も無い考えからハンドルを握って湾岸からC2へと潜って行った。

 何年か前の大雪のとき、雪で立ち往生してるトラックや乗用車の間を縫うようにして、邪魔な車は押して引っ張ってしてどかして、峠では雪かきして道を作り、甲府から一晩がかりで抜けた140号線からの道がだいたいの目安、高速を降りる場所だった。

 ならば初孫までカープ色に染め始めてる妹夫婦んとこにでも顔出すか? 駿府城も・・・とは想ったけんども、冷たい雨がね、なんだかお稲荷さんを解体した後だったから・・・。

 

 いつも登山靴は3足くらいを履き替えている。

 登る山に合わせ、天候や体調やその他の条件で履き替えるようにしてる。

 あちこち補修して、一番ボロの登山靴はいつも山用のアルファードに積みっぱなしにしてある。

 これがとうとうホームレスでも履けない状態になって、新しいマムートのを一足買い足した。

 履き始めは足が痛くなったりするから、それを試し履きするつもりもあったが、身延山の奥の院まで歩いてみるかとも考えておったが、雨が止まず諦めた。

 1年で、1足は履き潰してる。

 本当の意味での履き潰し、修理・補修が効かなくなるまでは履いている。

 車とおなじで新車から10万キロくらい走って、登山靴は良い塩梅になる。

 良い靴かどうかは、そのくらい履かなければ解らないんだよ。

 

 身体障害者手帳のカード化が昨年後半に決定してる。

 俺の持ち歩いてる手帳は、交付さえて4年目だけんども、あちこちでよく使うからすでにボロボロになっている。

 東京都はまだ旧式のまんまだ、遅れているというよりも、それが都の身体障害者への姿勢だろう。

 オストメイトの協会やら障害者の団体は相変わらずお国様に頭を垂れて・・・過剰な感謝で哀れ提灯なまんまだ。

 堂々と権利を主張するでもなく、お恵みを頂く、そういう情けない態度で暮らしてるからこそ、良いように扱われる。

 敗戦後の日本人の意識に染まって行った奴隷受け身根性、これはどうしようもない薄気味悪さだ。

 卑屈になる話ではないだろうに、なんか哀しい訳でもあんだろうか?

 だから俺は健常者や障害者やらの組織・団体には、なににも属さないで生きている、一匹で愉しく生きて居る。

 尊敬語や謙譲語の使い方がとんでもなく狂ってる現代社会では、群れてるとこっちまでオツムがイカレルがな。

 

 アメリカでは、シェールガス掘削のために地盤に高圧の水を注入しては、近隣に地震が起き、中断・中止してる。

 我が国でも、長野・新潟県境で天然ガスの堀削場では、二酸化炭素を地下深くに注入するためにおなじような地盤に刺激を加えて、そのせいで近隣に大きな地震が起きてるけんども、国はいっさいその因果関係を認めようとはしないし、メディアも緘口令が敷かれている。

 神戸の大震災は、明石海峡大橋の橋脚工事やらで地盤に刺激を加えてしまった挙句の出来事だったが、最近では北海道で起きてる大きな地震、これも苫小牧沖で地下深くに二酸化炭素注入し埋めるため、地盤に高圧の刺激を加えていることが原因だろうと言われているけんども、いっさいメディアでは報じられない。

 実証実験が始まってから近隣での地震は2倍以上に頻発しているにも関わらず、だ。

 人災、そのものだ。

 そんな国に成り下がっている。

 ダム建設で大量の水を堰き止めて貯めると、その下流域では大きな地震が発生する確率がぐんと上がってることは世界のあちこちで立証されて来てるのに、この国ではいっさい、メディアからは報じられない。

 世界で一番地震の多い国でありながら、地盤に刺激を加え続けるという暴挙を続けてる日本人、ド阿呆だろう。

 いつになったら、これらを認めて止めるんだろうか? 

 アメリカや中国ではすぐに国民が抗議して訴えて中止になっているが、日本では?? おかしな国だ。

 俺が被害を受けたら即刻訴えるがね。

 国家を相手取って損害賠償請求、そんな話も皆無だけんども、どこまでも従順な奴隷国民、愚民とも呼ばれ始めてはいるが、言われるがまんまに、真珠湾にでもまた突撃してゆくんだろうか?

 奥山を歩く者らは、こういった事象を知っているからこそ、危ないエリアには近づかないようにしてるさ。

 間抜けでド阿呆な群れた国民にも、あんまり近づきたくないのが本音ではある。

 俺のブログは昔から、本当のことを言い過ぎる要注意監視ブログになってるようだから、それはそれで気楽で良い。

 

 花粉症のリアルタイム統計やら、PM2,5のリアルタイム予報とか、アテにはならない老後のお遊び。

 先日も、リアルタイム統計では、北海道ではPM2.5の数値はごく少ない、だったが、街はスモッグに煙っておった。

 そんなアテにもならない統計を元にしてニュースや天気予報で国民に語ってるのを眺めてると、そうしてそれを見て急いで予防に走ってる視聴者を眺めてると、みなドを越えた阿呆やな。

 時間の無駄、消費の無駄、そうやって限られた生の時間を過ごして行くんだろうな。

 笑えない小噺ではある。


雪山の帰りに温泉うなぎを喰らう

2019-02-25 09:04:52 | 登山と遠泳

 

 風は、地球の、地磁気の届く範囲で、大気のある地表で吹き続ける。

 太陽の影響? 地表の温度差? 公転と自転? いやいや、大気がある、生物がいる、そこから考える。

 つまり、原初に地表で命のある生物が誕生し、その吐く息が風の起源になっていると考える。

 80億人の人類の吐く優しい吐息は、ひとつになればとんでもない巨大台風にもなる。

 だれがこの大気に最初に刺激を加えたものなのかは、知れない。

 ひとたび吹き始めた風は、地球が滅びるまで吹き続けるだろうし、人類が滅びても地球が存在する限りは吹いているだろう。

 風が途絶える時、地球は終わりを迎える。

 人は風の無い場所では、生きてはいけない。

 

 ・・・ということで、久しぶりの雪山を歩いて、梅を愛でて、古い真田の差配した城跡を巡り、勝頼の生き延びた本当の足跡を考えているうちに、甲陽軍鑑の嘘臭いドラマ仕立ては雲隠れを隠す為のモノだとつくづく知れ、石和のはずれの初花で、美味いうな重を喰らってきた。

 ここのうな重は並ではなく上を喰らう。

 通称温泉うなぎ、銀座で喰う冷凍モノの糞不味い高級うなぎなど足元にも及ばない。

 肝吸いもほんのり生臭くってコリコリしてて、締めたばかりという味わい。

 美味かった。

 食い物を喰らって美味いと思うことが少なくなってる昨今、地産地消で山や海の帰りに喰らう地元の料理くらいしか美味いと思わなくなってるが、ここのうなぎは昔から美味い。

 うなぎの養殖をやってるうちに評判の味となり、調べたところどうも養殖に使ってる井戸水に温泉が混じっていると知り、掘ったところが温泉に当たり、いらい隣接する温泉も営業を始めてるが、湯じたいはそれほどでもない。

 ただ、うなぎは美味い。

 帰路の軽い渋滞など、鼻歌まじりになるほど、美味かった。

 

 ひさしぶりのちゃんとした山々を堪能し、新府城の直登階段も一気に駆け上がり、武田の総本山の近くで富士を眺めて赤い梅の香りに包まれ、うまいうなぎを喰らって、満足マンゾクの一日だった。

 下界に降りてのちは、みなコートを羽織ってる中でも、俺は下着と薄いシャツの2枚で寒さすら感じなくなってた。

 言葉など、要らんがな。


かれこれ半世紀、山に登ってるな

2018-10-29 11:50:25 | 登山と遠泳

 

 だいたい週末は山に登ってるから、月曜日の朝はゆっくり動き出す。

 まず天気図を確認して、ザックの中身の足りなくなったモノを確認して、登山靴を日陰干しする・・・イロイロと忙しい。

 今週末に登る山の目星をつけて、交通状況や現場の情報、あとは天気図を週末まで睨んで置く。

 ・・・お前は仕事してないのか?  よく言われるが、今朝も売買の買付が入って、すでに契約済みの売買の決済の打ち合わせが2件、店舗の賃貸の契約予定が入っておるから、心配ご無用、むかしから皆さんの想像の範疇外で生きてる俺を心配する人たちは多いけんども、あんた人のこと心配する前に自分のことを心配しなさい、逆に笑って俺に言われてるのがオチだろう。

 若い頃は仕事の翌日、すでに海外にいる彼女の膝枕で笑ってたり、神出鬼没で生きて居る。

 でも、正真正銘の銀座の1階で現役の、周旋屋だ。

 

 明け方4時過ぎに2時間の仮眠から醒め、上信越道を目指した。

 いつも天気図はだいたい頭に入っておる。

 いかがわしいテレビや新聞の天気予報ではなくって、半世紀、俺が描いてる天気図だ。

 5時台なのにすでに関越は多くの車が数珠つなぎになっており、またまた失敗したかと想ったが、なんとか早朝の渋滞には嵌らなかった。

 この頃は皆さんもよくお出掛けになっておるようで、週末の早朝5時に出発ではどの方面も渋滞に嵌ることが多くなってるから、日本人としては良いことなんだろうが、ずっと遊び呆けてる者には、ちょっと迷惑でもある。

 みなが俺みたいに毎週往復5~600キロ走るようになれば、これは出発を深夜の2~3時台にしなきゃ~ならん。

 余談だけんども、俺の山用に乗ってるアルファードは、1年くらい前に新車から10万キロを超えたあたりから、東北道上りは佐野SAに入れと指示が出て、関越道上りは上里SAに入れと指示が出て、中央道上りは石川に入れと指示が出て、東名上りは海老名に入れと勝手に指示を出すようになってる、トヨタのメカニックにも理解できないそうだ。

 上里SAで早朝にたまに喰う腰のあるうどんを喰って、これで山を下りるまでは飯はいらんか? という感じに腹が重くなったが、オニギリやらの非常食は喰わなくても必ずザックには入れてあり、飲料やガスバーナーやコッヘルやらと一緒にいつも担いではいる。

 一眼レフのカメラも入れて、総重量はいつも20キロは軽く超えているし、古女房らと一緒だと・・・あんたが好き勝手に生きてみなに迷惑かけ続けて、それで背負ってる荷物と一緒に、わたしに背負わせた重荷も一緒に背負いなさいとなり、重いモノは俺のザックに放り込まれる。

 人生と登山がいつもおんなじに想えてるのは、俺くらいか・・・。

 そうかそうか、それならまだ、もっと重くしてやろうか? そういう肝から湧いてくる想いも、ある。

 だからたまに空身で山に登ると、バランスが悪くなってフラフラしてしまう。

 長年の習慣とは怖いもんだ。

 昨日は近場の佐久平のどこからでも見える独立峰に登ったが、登り下りで出会った人は3人ほどで、いつもとおなじ閑散とした愉しい山行だった。

 360度の絶景、お天気も良い塩梅だった。

 沢筋から谷間を登り上げるコースで、ぶなやらの原生林を歩いて行った。

 こういうコースは木霊するから、ときどき大声出して賑やかに自分の声を愉しむ。

 そこに棲む獣たちには凄く迷惑なオヤジ。

 この時期は何処の山でも広葉樹が多い山ばかりになる。

 きのこの時期は終わって、最後の紅葉落葉で森は明るく輝いている。

 なるべく原生の森で、獣たちが豊かに生きて居る山が良い。

 しだいに急こう配になってくると落ち葉に埋もれた石や木の根がよく滑り、丁寧に歩いて登った。

 最後の谷の上部は、オーバーハングしてるようにそそり立って見えてた。

 腹のパウチにはガスがずっと溜まり、全工程で20回くらいはガス抜きが必要になったし、排便も必要なくらいに腸の調子は頗る良くなってた。

 先週は野暮用があって、午後から山梨の富士山の傍の山に登って居ったが、この1週間は嫌な息苦しい感じがずっとあった。

 ・・・そろそろ終わりかな? ここまで好き放題生きて来ると、常々呑気にそう想ったりもしておったが、昨日の感じだと、ぜんぜん大丈夫だろう。

 呼吸も良く、腸の具合も良かった、まだまだ生きてしまうのか・・・もういつでもエエんやけど・・・。

 あちこちの子供らも手をかけることもなくなって、俺は孤立無援・獅子奮迅だった前半生から離れ、やっと自分のためにゆっくり生きてるようなとこがある。

 すなわち、一匹のタチの悪い獣。

 日本の山や海を毎週堪能している。

 下りに膝が痛くなったくらいで、あとは余裕のある行程だった。

 登山口までの荒れた狭く厳しい未舗装路を運転するほうが、よほど疲れる、そんなことの方が多い。

 下山してからそのまんま、武州街道で十石峠を目指して、長野側の紅葉に燃える山々を堪能した。

 中央も上信越も渋滞が始まるだろうから、最初から帰路は奥秩父山塊を越えて上野村に降り、本庄経由で羽生まで下道を走り、東北道で戻って来る予定になって居った。

 ぶどう峠越えは次回かな。

 十石峠とは、長野と群馬の県境にあり、昔は長野側から米や味噌や醤油を担いで越え、群馬側からは紙や炭を担いで越えておった。

 毎日十石の米を馬をひいて越えていたから、そう呼ばれている。

 群馬県側に入ると、紅葉はイマイチだった。

 たいした渋滞も無く、悠々と寄り道しながら戻った。

 先々週に赤城と榛名に高齢の婆様を連れて行ってやった時も、その前の週に新潟の奥志賀の山を歩いた時もおなじ東北道の羽生からというコースで戻っている。

 関越や中央や東名は、週末には走りたくないのが本音だ。

 十石峠に登る道で、木地師の墓というのがあった。

 マタギや山伏とはまた違って、原生の森に暮らしながら木工品を作っていた技術者を木地師と言う。

 わが国の山々の歴史には必ず出て来る人々だ。

 炭焼きをやりながら木地師としても訓練を積んでいたり、山の住まいを転々としながら生きて居た人々だ。

 日本中の高い山々の7合目から上は自由にして良い、そんな時代もあった。

 寂しいとか、怖いとか、自然の中で独り居られない現代人には、理解できない存在だろう。

 まぎれもなく日本人のルーツでもあり、山岳信仰を繋いだ修験者や山伏と同類の、愉しい連中だったろう。

 日本の原生の深い森に足を踏み入れてさえ、ずっと古い日本人の痕があったりする。

 現代人はまったく見向きもしないが、こんなところに? 朽ちた祠や地蔵や彫りの入った苔むした石がころがっていたりする。

 みな、よく歩いておったんだよな~、日本人は、さ。

 

 そういや~、今週末は旧帝国大学の大学院に行くらしい息子が車を貸してくれと言っておった、同棲してる彼女と出掛けるのか・・・ということは俺は四駆のCRVで出掛けることになるが・・・25万キロ近く走ってる車だから大丈夫だろうか・・・。

 ま、まわりが喧しいから仕事をすっぺや。