The Bill Gates Foundation, in collaboration with the Johns Hopkins Center for Health Security and the World Health Organization (WHO), ran a simulation called "Catastrophic Contagion", imagining a deadly pandemic in 2025. This time, the outbreak, caused by an enterovirus called "SEERS", would have a higher fatality rate than COVID-19 and disproportionately affect children. The panel examined lessons from the COVID-19 crisis, discussing topics like societal control, propaganda, and the controversial closure of churches.
ビル・ゲイツ財団は、ジョンズ・ホプキンス大学健康安全保障センターおよび世界保健機関(WHO)と協力し、2025年に致命的なパンデミックが発生することを想定した「壊滅的な伝染」というシミュレーションを実施した。
今回の流行は「SEERS」と呼ばれるエンテロウイルスによって引き起こされ、COVIT-19よりも致死率が高く、子供たちに不釣り合いなほど大きな影響を与えるとみられる。
パネルは、COVIT-19危機から得た教訓を検討し、社会統制、プロパガンダ、物議を醸している教会の閉鎖などのテーマについて議論した。
2022年の年末に流れたニュースだが、その年が来年だ。
新型コロナ騒動は同じようにビル・ゲイツ財団がジョンズ・ホプキンス大学でバイオテロを想定した軍事訓練を起こしたことからスタートして、武漢で行われた世界軍人オリンピックで感染が爆発した。
その数カ月前にPCR生みの親のマリス博士は暗殺されたが、遺言では感染症の検査にはPCRは効かないという内容だった。
すでに新型コロナのワクチン接種を何度も行っている者らには無抵抗な新型伝染病が撒かれると想定していること自体、興味深いことだろう。
これらの事件がもっとも効果的な被害者を産むエリアを発端として世界を巻き込むとすれば、どこがその発端になると思う??
新型コロナワクチン接種を数多く受けている人たちが大勢いるエリアだろう。
呑気に新年を祝っておる場合ではないだろうし、ナニが起きるのかの先まで見通してなければ、世界人口削減に動いている連中の思う壺に嵌ってしまうぜよ。
どうせまたメディア洗脳と煽動で、この国は大騒動をして右往左往するんだろう。
新型コロナ騒動の時にも俺は陰謀論者・キチガイ扱いをされておったが、その後の獅子粉塵な動きで何人もの命を救ったと思っている。
やっちもね~な。
親の言うがまんまに優等生に生きただけの大人が、偉そうに 同じように生きろ! と押し付けることで、家を破壊してしまった昭和から平成。
なんの創造も工夫も思慮もなく、猿芝居を強要するだけの哀れな形骸は産廃ゴミだった。
ゴミを除去して残ったモノは醜い見栄や、みみっち~プライド、無意味で無駄な儀式や風習だけになってる令和。
自分に甘く優しい大人のマガイ者らは、他人にも優しく良い人になろうと生きる。
自分にトコトン厳しく生きて居る者は、他人にも厳しく遠慮などしないものだ。
常に時代に合った価値観に変えて、なんでもない日常を積み重ねてゆくことこそ、信用を拡げてゆく唯一の道。
近道やショートカットなどあるわけもない。
俺の代で、遠距離帰省や遠距離墓参りなんて習慣化した無駄なことは終わりにしたから、年末年始の愚かな風習も無しで、猿芝居に大混雑する社会の動きを見ながら、のんびり適当に過ごすことにしている。
キチガイと醜い見栄張り守銭奴の借金まみれと、能書きプライドばかりで続けてきた馬鹿くさい親戚付き合いも、俺の代で終わる。
無意味に血縁で固まり生きておれば、そこで育つガキは排他的なキチガイばかりになる。
古臭い旧習や根拠を既に失っている価値観を後生大事にして生きている家にこそ健全ならば飛び出してゆくガキは増え、家の財産に寄り掛かって食い潰している家にこそ自閉や引きこもりは増え、貴方任せの無責任な家にこそ社会で上手く生きてゆく方法を知らないロボットか犯罪者は増えてゆく。
残念ながら、いまだに、この現代社会で、宗教に洗脳されて習慣化した儀式を続けている人間は、たとえそれが歴史のある世界的に洗脳の渦が拡がっている宗教であってもだ、俺にとっては決定的に相容れない原住民・土人の扱いとなる。
俺には雪山の頂きで凍りついている時に迎える日の出・朝陽の偉大さだけが、なんども味わっている絶対な経験として、生死を分ける体験として、身についている。
太陽こそが俺には神であり絶対であり、俺自身も同等に生きてみたいと思う存在価値になっている。
東の空が明るくなるだけで、凍りついた足元から体温が回復してくるような偉大なものは、太陽しかない。
月を照らして夜に明るさを与えてくれるのすら、太陽の仕業だ。
他の人間が作ったいかなる宗教神も、太陽の下ではただのガラクタでしかないとはっきり言える。
屁理屈・能書きの山を築き上げている人間の社会は、味気のない安い猿芝居の舞台でしかない。
まだ繰り返すのか? 俺が日常に抱えている笑いの元は、それだ。
死期の世界とは、あの世や来世や天国・地獄を言うのではなく、自分がいなくなっても普通に存在する地球の日常を言うのだ。
生きている時に語るものではない。
この4日間は苦行を続けて居たが、爽やかな朝を迎えてまたアチコチを走り回っている。
短期の金(ゴールド)はしっかり頂いてニュートラルで越年するよ。