小雨の降る中で、メディア煽動で踊らされてるハロウインと秋祭りでゴッタ返している都内を、行ったり来たりしておった。
右目の状態がよくないから安全運転で、89歳と90歳の高齢婆さんを連れて、浅草の仲見世にも店を持つ老舗の娘さんと入籍した息子夫婦との初顔合わせ、両国でチャンコ鍋を突っついて来た。
AIロボットの世界最先端の仕事場で忙しく頑張っている息子の再婚と、その姉の深川のヤンチャがそのまんま大きくなって水商売から保険の外交営業でそろそろ支部長になろうかという娘の離婚を、一緒に祝って来た。
俺がこういう激しい生き方をして来たから、子供らもまた自由奔放に好き放題を生きているから、ただただ笑って見ているしかない。
どいつもこいつも強いと感心する。
来年の春に高校を卒業する銀座生まれで銀座育ちの腹違いの息子が最後の子供になるが、これも若いハリケーンの中で竜巻を起こすことがあるんだろう。
どいつもこいつも笑いが止まらなくなるくらいに、薄ら寒い世の中社会で独創的なオモシロイ生き方をし始めている。
みなで助け合って生きて行けばエエのんさ。
俺も死ぬまで現役でいるつもりだから、最期まで動乱の時代を先頭切って肩で風切って生きて行くわさ。
まず強い自分と誰とも相容れない価値観を作り上げること、そこでダメになるのなら長生きしても無意味な話だ。
それは自分独りでやるべきことで、他に頼ったり求めたりするようでは駄目だし、俺もいっさい手助けはしないし、邪魔もしない。
いつも笑って猿芝居を見ているだけさ。
社会の旧習や道徳・倫理などは関係なく、新しい時代を愉快に生きる知恵を出すことだ。
新しい生き方を作って行くしかない。
その足手纏いになるような古く無意味なモノや価値観は、どの家もすべて俺がぶち壊してやってある。
家は三代で滅びるという通り、先にぶち壊してやっているから、前だけを見て生きて行けばエエのんさ。
親代々の、家代々の、下らない猿芝居は俺の代ですべて終わりにしてやった。
それが俺の仕事でもあったが、それをやらずに相変わらずな怠惰な日常を送っている高齢者や大人たちは、子や孫の未来を安価に売り渡してしまってる。
先に現代を生きて見せる訳でもなく、籠ってキレイゴトばかりを抜かして、貴方任せで介護すら語れないでは、進行形の自分の老いのことも語れないだろう。
貴方任せ、国任せ、メディア任せで、サプリな老後なんざ、地獄の底まで堕ちて行く。
世界が、時代が、大きく大転換を果たして行ってる時には、家や親や国家の旧習もぶち壊して、歩調を合わせておらんきゃ~、愉快な未来は手には出来ないぜよ。
人間が楽ばかりを求める世の中になって、社会は崩壊して行っている。
どういうことなのか? キチンと考えていないと、未来はぜんぜんに違うことになって愕然とした時には手遅れ、そんなことになるぜよ。
さて、インフレが長く居座るとメンテナンスや持って維持する為にかかる出費も高くなり、余計なモノをナニも持たないことが大事になる。
俺なんざ、山と海の遊び道具すら簡素化してしまってるから、最低限のモノで動き回ってるのは昔からだ。
多い時は5台くらいの外車・高級車を持って遊んでいたが、今では小型の4駆と小型のワンボックスだけで、燃費も格段に良いガソリン車を乗り回しておって、バイクもリッター70キロ近く走るスーパーカブの110ccに替えてしまっている。
時代と世界を眺めていると、何年かに一度は生活を大転換をする時が来る。
いまは来年・再来年を見越して、来るべきBRICSの時代を予期して持ち物も整理して、日常生活は変えてある。
すべては豊富な経験と金(ゴールド)から世界を眺めている習慣だけで判断している。
昭和の不動産バブルの時代から、この国の淫乱・怠惰なメディア業界の乱暴狼藉は目に余るモノだったが、ネット社会になってその安易さは酷くなる一方だ。
それを許してきたのがメディア奴隷と成り果てた国民自身で、猿の消費欲は終わりの無い無駄と逃避で平成・令和と続いて来た。
東南アジアを舞台に集団で乱暴狼藉なんでもアリのエコノミック・アニマルだった世代が今の70代より上だが、そのお返しをこれから手痛く戴く訳になる。
子や孫の代に、見事に逆転した訳さ。
俺は集団行動が出来ないタチだから、当時も独りでアチコチの国に女がいて会いに出掛けていたが、現地人の側でその恥ずかしい限りの猿の狂騒を眺めていたもんさ。
猿な日本人が島国でお澄ましして居る時と、後進国で狂っている時の180度の変転は呆れて驚くことばかりだった。
薬物売人、人身売買、売春、ニセモノブランド、どこの後進国でも普通の景色だった。
これが今や逆転している訳だから、この国ではそんな犯罪は増えて行くだろうよ。
政治家はキレイゴトの嘘ばかり、例えば時給の昇給を論争しても労働時間で調整すれば猿は簡単に騙されるのとおなじで、消費税は上げずに他の名目で上げておけば解らないと、猿のオツムは舐められ放題に舐められている。
病や怪我を負って困っている人を、その外科的な処置で上手く治し快方に向かわせて手助けをする者のことを、医者と言う。
資格を持ち、大学を出ただけの者は医者とは言わず、素敵な病院やキレイゴトの外見だけ着飾ってる環境なども医療機関とは言わず、余計な金儲けではなく、とっとと最短の処置で治して見せる者を、良い医者と言う。
それが口コミで信用となる。
いまでは名称や肩書が先に立ち、メディアの宣伝・広告だけで、それで信用を得ているような愚かな勘違いばかりで社会は構成されている。
ホンモノは、逃げも隠れもせんし、大きなことも言わず、いつも両手の届く範囲で日常を知恵と経験で生きている。