縄文柴という種類の、柴犬がいる。
後世に我が国の森に生息していたニホンオオカミの起源だとも言われているが、すでに縄文の時代には、犬が我が日本人の祖先とともに暮らしていた痕もある。
野生の狼もまた、小さな群れを成して大自然の中で生きており、その中で怪我をしたり、集団生活からはみ出してしまった狼が人の集落近くに寄ってきて、人に飼い馴らされていったとも言われている。
狩猟が生きる糧でもあった山で生きる人たちは、犬を連れて森を歩き回り、その中で野生化したものが狼となったという話もある。
犬が先か、狼が先か・・・。
狩りで獲った獲物の分け前を喰っているうちに人に近づいてきたとも言うが、アイヌの民話には、父を亡くした母と幼い子が、狼の獲った獲物の残りを分けて貰い、生き抜いたという話もある。
人類よりも犬や狼が先に居たのかも知れない。
いずれにしろ、人と狼・犬の関係は古く、戌年生まれの俺もまた、その幼い頃から狼犬とともに一つ布団で寝ションベンをして寝起きし、転居を繰り返し、育った環境から、どうしても山を歩けばニホンオオカミの痕跡を探すようなとこもある。
深い森や高い山々の奥で、ひっそりと生き延びているニホンオオカミがいるかも知れないという想いは、いつも持っているし、偶然に出会うことでもあれば、噛み匂いを嗅ぎ抱きしめてジャレてみたいとも想う。
後世の愚かな日本人たちが送り狼だとか人食い狼だとか、好き勝手な解釈を広めたことを怒っているならば、俺が存分に噛まれてやっても良いとさえ想う。
俺もまた、人間社会では一匹狼の立場でずっと生きてきてる。
おなじ境遇であればこそ、そこでともに生涯を過ごしても良いとさえ想う。
俺が奥秩父から北の山々が好きなのも狛狼の神社が昔から多く、そうして彼と出会うかも知れないという漠然とした懐かしさを抱くからでもある。
そうして、群れをなし地球を我がモノのように自惚れ果てている愚かな人間の前には、決して姿を現すこともないだろう。
人間が、ごめんなさい と、謝らねばならないことはたくさんある。
むかしむかし、信州は信濃の国に、光前寺という小さな山寺があった。
近くには木曾駒ケ岳やら木曾山脈の高く峻険な山々が並び、人里はなれた奥山の、緑豊かな谷あいに、その寺はひっそりと佇んでいた。
いまの天台宗のお寺でもある光前寺が建つはるか前の、お話ではある・・・。
その小さなお堂には、ひとりの老いたお坊様が住まっておられて、いつも淡々と、静かに修業を続けられておったというが・・・そんなある日、朝のお勤めを終えて庭に降り立ったとき、その日は妙なことに、本堂の下から獣の唸り声がしたんだとさ。
・・・ぐぅぅぅ~、ぐぐぅぅ~
それは他を威嚇するものとはちがう、とても苦しそうな呻き声にも似ていた。
怪訝におもわれたお坊様が、その獣の声がする本堂の床下をそっと覗いてみると、薄暗い闇のなかに大きな目がギョロっと、ふたつ、輝いていた。
よくよく闇に目をこらして見ると、お腹の大きなオオカミが一匹、そこでうずくまっていた。
・・・ほほ~、産気ついたオオカミが、身の安全と産まれる子のためにと、不動明王様のおられる本堂の下にやってきたな・・・
お坊様は、気づかれないように静かにその場を去って、それから翌日の朝のお勤めからは、その母オオカミの安全も、優しく祈ってやってたんだとさ。
しばらくして、母オオカミは3匹の子供を無事に産んだ。
・・・ほほ~、どの子もみな元気に産まれたわい、よかったのぉ・・・
お坊様は、毎朝その子らと母オオカミのためにと、おひつに食い物や飲み物を入れてやり、床下にそっと置くようになった。
元気に床下を飛び跳ねる気配を感じるだけで、嬉しくてしかたがなかった。
そうこうするうちに、母オオカミと3匹の子オオカミたちはお坊様にも馴れ、狭い床下から庭に飛び出してきては、戯れるようになった。
そんなある日、お坊様がいつものようにおひつを抱えて床下を覗くと、母オオカミと2匹の子オオカミの姿が忽然と失せてしまっていて、一番小さかった子オオカミが、ポツンと、寂しそうに座っていたんだそうな。
・・・くんくん、くん~
・・・ほほ~、お前さんの母や兄弟はどこに行ってしもうたか?
ただただ甘えて泣くばかりの子オオカミを抱き上げて、独り言のように呟いていた。
そうか、そろそろ野生のオオカミは山に帰る時分だったか、そうかそうか、母オオカミはお礼のつもりで、一番小さなお前さんをワシのとこに置いていったんだな・・・。
それから幾年かが経ち、その小さかった子オオカミは見違えるような威風堂々としたオオカミに成長し、お坊様は 太郎 と名前をつけてやっていた。
山に帰っても、オオカミの群れの頭にでもなれるような素晴らしい骨格をしていたそうだが、太郎はそこを離れることもなく、朝夕のお坊様のお勤めのときには、キチンと傍らに座り、身じろぎもせずにお坊様の行を見つめていたそうな。
険しい山々や野原を駆けまわるときの太郎の足の速さは、そこいらの山オオカミとは較べものにならないほど力強く速かったから、そんな太郎のことを近在の村の人々は 早太郎 と呼ぶようになり、みなで可愛がってやっていた。
その頃は、まんだまんだ信仰と迷信が入り乱れて、天気の悪い日が続けば、神様が怒っておられるんじゃ・・・雨の降らない日が続けば、神様が怒っておられんじゃ・・・田畑の収穫が悪いと、神様が怒っておられるんじゃ・・・と、そういう時代だったんだが、ある年の暮れに、近在の村々にそれは怖ろしい、噂話が伝わった。
夜になるとどこからともなく現れた見たこともない大きな怪物が、夜歩きをする子供や娘をかっさらって行き、二度ともどることもないと・・・そうして実際に子や娘が行方知れずとなることが続き、村々の人々は怖くて夜は家の戸を閉ざし、外には出掛けなくなった。
そんな鬱屈とした、怖ろしい噂話だけが、ヒソヒソと伝わっていたある日の夜おそく、光前寺の裏山の方から、それまでの静寂を破るような娘の甲高い叫び声が聞こえたんだとさ。
早太郎は寝起きしていた本堂の床下で、ハッと瞬時に飛び起きると、一目散に裏山にむかって駆け出していた。
・・・うおぉぉぉ~~ぐおぉぉぉ~~
駆けながら、咆哮していた。
どのくらい駆けただろうか、山の尾根の窪んだところまで走り続けて来ると、肩から血を流した娘が倒れているのを見つけた。
気を失っているだけで、息はまだあった。
小娘の悪戯心の虫でも湧いたのか、大人たちが夜歩きをしなくなったのを良いことに、抑えられない好奇心がそうさせたのか・・・。
そして辺りにはいままで嗅いだこともない、異様な獣のにおいが充満していて、まだ近くにその怪物の気配さえ残っていた。
さすがに、早太郎も心の臓の鼓動が早くなっていた。
やられるかも知れないと思う気持ちは、初めてだった。
闇に目が馴れ、ジリジリと少しづつ身を動かしてあたりを窺っていると、木立の向こうの方に、ギョロリと、大きく怖ろしい怪物の目が光った。
やられるかも知れない・・・もういちど感じた。
そうして互いに身動きせずに、睨みあっていたが、
・・・ぐおぉぉぉ~~
早太郎の方から唸り声をあげると同時に、怪物は高く飛び上がり、早太郎の頭上から襲ってきた。
・・・うぎゃ!
戦いはその一瞬で、また静かな夜に戻っていた。
早太郎は返り血を浴びた壮絶な顔で佇んでいたが、それから笹原の中をザワザワと走る音が聞こえ、その先の淵から、下の川に ドボンッ! と飛び込む音が聞こえた。
早太郎は淵のうえまで駆けると、そこから下に向って咆哮していた。
・・・二度と、早太郎のいる信濃にもどってくるなよ!
そんな怒鳴り声にも聞こえた。
それからは、平和で平穏な日々が近在の村々にもどっていたんだそうなが、また数年たったある日のこと、この光前寺に、ひとりの旅の若い僧がやってきた。
すでに老いのシミも混じってきた禿頭を光らせて、庭先で早太郎の毛を撫でてやってるお坊様の前に、その若い僧侶は立っていた。
遠州から、はるばるやって来た 六部 と名乗った。
その頃の我が国では、まんだまんだ神憑りが信じられており、どこの田舎村でも、祭りにはお供え物をたくさん捧げ、神様に祈り、あまりにも天災地変の酷い飢饉やらには、村の娘を人身御供として、神様に差し出したりするところもあった。
この六部がやってきた遠州の見付という村でも、そんな風習があったらしいが、この頃は天災ではなく、見たこともないような怖ろしい怪物が夜な夜な現れては、収穫前の田畑を荒しまわっていた。
そうして土地の矢奈比売(やなひめ)神社に近在のある娘を人身御供に差し出すという話が決まったんだが、密かにその娘に恋焦がれていた青年が、その人身御供が入る箱に身代わりで入り、神社に運ばれていったんだそうな。
やはり身代わりになった青年の安否が心配になった娘は、誰にも気づかれないようにと、そっと遠くからその様子を眺めていたらしいが、
・・・信濃の早太郎はおるまいな、決して早太郎に知らせるな
そう呟きながら薄暗い境内に現れた大きな怪物は、人身御供の入った箱をあけると、そこにいるはずの娘が青年にすりかわっていたことに愕然とし、怒り猛り狂って、これ以上もないくらいの無残な仕打ちで、変わり果てた姿の青年だけを残し、飛ぶように去っていったという。
旅の修業の僧侶として、その見付という村を通りかかった六部が、ことの一部始終を村人から聞き、哀れんで、信濃の早太郎さがしを引き受けた経緯をゆっくりと話し終わると、
・・・ざんねんながら、信濃に早太郎という人はおらんがやね
お坊様がのんびりとそうこたえると、六部はがっかりと肩を落としたが、
・・・ただ、早太郎という、オオカミはここにおるがね
そう聞いた六部は、かたわらに静かに寝転がっているオオカミに、目をむけた。
・・・・・・・
・・・そうだ! 山オオカミのことだったか!
・・・ぜひ、怪物をたおすために、この早太郎をお貸しいただけないか?
そういう六部の問いかけには答えずに、お坊様は黙って、早太郎の両の目を見つめた。
・・・う~~うぉん!
・・・お前さんに、怪物を倒せる力があるものかどうか・・・
早太郎は、小さく頷いたことだった。
それから心配顔のお坊様に見送られながらも、早太郎と六部は光前寺をあとにすると、50里も離れた、遠州は見付の村まで、急いで奔ったという。
あいかわらず、村は荒らされ放題で、前よりも酷いじょうたいになっており、新たに人身御供を差し出すという話が出ているところに、六部は早太郎とともに辿り着いた。
・・・なんとか、まにあった
村の人々は六部の話を聞き、大喜びで、はるばるやって来た早太郎を労いもてなした。
そうして新しい娘を人身御供に出す夜に、その箱の中に早太郎を入れ、矢奈比売神社の境内に運んだんだとさ。
夜もふけ、風もやみ、どれくらいの時がたったんだろうか、やがてザワザワと笹原が鳴る音がしたかと思うと、全身毛むくじゃらの大きな怪物は現れた。
人身御供の箱のまわりをゆっくりと回りながら、
・・・信濃の早太郎はおるまいな、早太郎に知らせるな・・・
そんなことを念仏のように唱えると、無造作に箱のフタに手をかけた。
開けるが速いか、早太郎が飛び出すが速いか、アッという間のことだったが、怪物に飛びついたはずの早太郎の背中には、その怪物の鋭い爪が食い込んでいた。
・・・ギャッ!
まぎれもなく、あの時に追い立てた怪物に違いはなかったが、あの時よりも身体は頑強で大きくなっており、動きも俊敏だった。
・・・これは、こんどこそやられるかも知れない
背中に深手を負った早太郎の心の臓が、ドクドクと波打っていた。
そうして飛びついては離れ、飛びついては離れの死闘は、空が明るくなるまで続いたんだというが、互いに負った深い傷と長く戦い続けた疲れとで、おたがいに動きが緩慢になったところを見計らって、早太郎は最後の力をふりしぼり、怪物が鋭い爪を胸に食い込ませたと同時に、喉深く噛み付いて、息の根をとめたんだという。
その朝は、早くから村の人々は神社にみな駆けつけて、そこに転がっていた怪物の大きな死体を見て、腰を抜かすものが多かったというが、その正体は大きなヒヒだったという。
そうして早太郎の姿は、もはやどこにもなかった。
ただ、信濃の方角に延びる道には、転々と、血のあとが続いていたという。
早太郎は、すでに駆ける力も無く、ただただお坊様に会いたいだけの思いで歩き続けていた。
フラフラと、すすきのように、揺れていた。
ただただ、優しいお坊様のもとに、帰りたかった。
疲れ果てて、ようやくやっとの思いでたどり着いた光前寺の前に立った姿は、言葉にもならないような凄惨な姿だったというが・・・
・・・おまえさんは、おまえさんは・・・
変わり果てた早太郎をしっかと抱きしめたお坊様の腕の中で、フッと身体の力が抜けたかと思うほどに、優しい両の目に涙をいっぱいためて、
・・・くぅん
小さな声で、ないた。
それは遠いむかしに、お寺の本堂の下で、独り置いてゆかれた早太郎が、寂しさに母を呼び、母を慕うなき声と、おんなじだったそうな。
やがて、大好きなお坊様の身体から匂う線香の懐かしい香りに包まれながら、息絶えたと言う。
息絶えてもなお、早太郎の両の目からは、しばし暖かい涙が、流れ落ちていたそうな。
これは早太郎伝説ともいう、古くから信濃の村でも、見付の村でも、50里(200キロ)もはなれた互いの村で、脈々と語り継がれてきている昔話だが、その呼称や中身はそれぞれに少しちがう。
それぞれの話から、書き直したものである。
ただ、この国で、人とニホンオオカミがどれほど密接に関わりあって、ともに助け合い、仲良く生き暮らしていたかがわかろうというものだ。
ここに書かれた信濃の駒ヶ根市、遠州の見付の磐田市は、このお話が元となって、いまでも友好都市となっている。