オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

コロナで儲けた医療関係者達の性

2024-01-26 11:13:21 | 高齢化・介護という金儲けの呪縛

 

 

 老いて高齢化して、愕然とすることは多い。

 ・・・自分だけの利益と欲のために、コツコツ生きて来た最後の章が、これか??

 まわりを見回せば嘘くさい笑いばかり、みんながそうだからとマニュアル通りの介護に看護、そこでは自分の利益と欲なんて木っ端みじんにされ、あれよあれよという間に軟禁・薬漬け、そこまでの道程はなんの意味があったのか? 考えてるうちに三途の川の渡し船に乗せられている。

 ・・・つまらない人生だった

 ゼニカネの我欲だけで生きた身勝手な生の終わりに、自画自賛の仮想ゴッコの夢は儚くも崩れ、後悔ばかりに顔を歪めたところで、渡しの船は岸を離れる。

 最後に大笑いして行きたいものだと、俺は65年を生きて居る。

 

 大病院が高齢者の入院治療時に、その後の話として病院所属のソーシャル・ワーカーをつけるという話をしてくることが多いが、これはただの相談員であって、自分たちの病院が儲けるシステムの、押し売り稼業でもある。

 歳のいった人たちは、持病や新たな病に罹ってしまうと気持ちが萎え、知識も乏しい近親者と一緒にこういう大病院や医師が関係するリハビリ施設や介護施設などの検討を勧められ、気が付けば死ぬまで抜けられないマルチ販売とおなじ罠に嵌っている。

 資格もナニも要らないソーシャル・ワーカーだとか、横文字のもっともらしく偉そうな肩書に騙されないことだ。

 ケア・マネージャーを付けているのならばそのケア・マネージャーに任せた方がまだ増しだという話。

 介護や看護をしていると、障害者となって生きて居ると、驚くような卑しい金儲けのシステムが医療社会には張り巡らされていることに驚くことは多い。

 ゼニカネ儲けに走り過ぎると、現代社会のような惨状となる。

 

 真冬でも、雪が降っても、氷雨であっても、カッパ着てバイクで朝と夜は湾岸エリアを走っているが、さすがに今年はアチコチの介護の手間が増え、3年前のコロナ禍に田舎の実家を整理して銀座の近くに両親二人を引っ越しさせた時なみに、疲労が抜けず悪い気が溜まって来ている。

 親父の酷い認知を毎日の会話と出掛けることで治してやったその翌年、今度は古女房が止めろと言っていたコロナワクチン2回接種でいきなり癌ステージ4を宣告されて、半年で根治するまで付き添って、クタクタになってる時に今度は親父が93年の舞台の幕をゆっくりとおろした。

 みなは順調に生き、大往生してゆくが、他の高齢者たちの介護が去年から忙しくなり、休む間もなく深く関わり続けている。

 ・・・貴方の身体が心配! ・・・俺自身がどこまで身体がもつのか? という問いは馬鹿げている。

 これが俺の生の愉しみでもあり、意味でもある。

 あちこちで女を愛し、子を作り、この手でしっかり育て上げ、それぞれの両親へもまた介護に関わり合っている。

 上っ面の柔な関わり合いではなくって、いつも全身全霊でぶち当たって行くから、相手になる大病院の医師や介護関係者や色んな周囲も巻き込んで、ハリケーンのような騒動が巻き起こり、現場ではおかしなミスすら許さないような緊張感が張り詰めて、皆さん必死に動いてくれるようになる。

 ・・・穏便にな、乱暴なことはしないでな

 人生をワガママし放題で生きて来た昭和一桁の爺さん連中が、みな同じことを言うのはなんでだろうか?

 ・・・エエ恰好しいか? あんたらのほうが、よほど乱暴で身勝手だったろう?

 いまの社会をこんなザマにしたのは下の団塊の世代だと言いたいのか?

 俺が必死に動くのは、俺の子供らに人間とはナニか? 生きるとはナニか? なにが生きてる愉しみなのか? を見せてやってるだけのことで、生を終える高齢者たちを単に甘やかせてる訳ではなく、俺自身が自己満足に浸っている訳でもないのさ。

 だから後悔なく世話を終えたなら、いつも笑って生きた魂を背負い、高い山の頂きから天に還してやってる。

 安い宗教でもなく、安い哲学でもなく、安い偽善でもなく、それが生きるということだからさ。

 後悔はいっさいしない、いまやれることに集中する、そんだけのことさ。

 

 アメリカでは、認知バイデン政府に真っ向勝負に出ているテキサス州が、他の州知事も味方にして合衆国の骨組みがガタガタになり始めている。

 トランプの凄まじい人気は、今度は大メディア群を使った不正選挙でも打ち負かすことなどできない勢いになって来ているが、勝とうが負けようが、アメリカ国家の分裂がいずれ起きる予兆だろうな。

 世界でも未だに旧態依然なのは、島国の猿くらいになっているさ。

 この島国は最低な猿の国に成り果てている。

 

 自営の仕事も忙しくなっておって、この週末は仕事になった。

 休みなく働いて、介護に走り回り、そこでエエ加減な対応をしている者に出会えば、怒鳴り散らして、暴れてやってる。

 今日もコロナで大儲けした大病院のお偉い医者に面談を申し出てあり、首を洗って待っておれよと言ってある。

 毎日のように コロナは怖い! ワクチン接種を急げ! とトップがテレビで叫んでいた大病院だが、今では儲かり過ぎて病室のテレビではポルノ動画も流しておって、深夜は医者や看護師で酒池肉林だそうな。

 医療関係者たちは一時は英雄・スターだったがな、なんの支援もなく忘れ去られた場所で走り回っていた俺なんかは、キレイゴトばかりで生きてんじゃ~ね~よ!! と、大笑いだ。

 薄気味悪い、軽薄至極な社会になってるさ。

 
 

人に優劣なぞなく、皆笑ってたい

2023-12-08 11:20:27 | 高齢化・介護という金儲けの呪縛

 

 

 ・・・良い子にしてるとサンタクロースさんがプレゼントをくれるからね! と母親は言う。

 ・・・そんなのいないよ! プレゼントはパパがやるんだよ! と父親が答える。

 ナゾナゾでぼんやり聴いていた娘の前で、母親は父親の頬をひっぱたく、

 ・・・どうして? そんな嘘をつくのよ! もう!

 ナニが嘘なのか解らなくなってる話だが、そんな微笑ましい光景が近所の知り合いの家族であった。

 ・・・ま~ま~ま~、実はオジちゃんが本当のサンタクロースなんだよ! 

 父親は笑い、母親は俺を睨んで もう知らない! という顔をして、先に走り出していた。

 

 サンタクロースがやってくる・・・子供は教えられたとおりの夢を見て、親は叶えてやろうとプレゼントを買いに走る、戦後の復興期から始まった可愛い洗脳猿芝居。

 英国に憧れ、米国に憧れ、山岳信仰や太陽信仰がもともとの島国では、そうやって洗脳による狂騒が始まった訳だが、俺のように今でも高い山の頂で天に両手を拡げ、太陽に頭を垂れて手を合わせてる爺ィもいる。

 キリスト教の国よりもキリスト教の消費の部分だけに乗せられてる猿の国では、女・子供は落ち着かない日常となってる師走のいつもの景色、あの世やお化けなんてあるもんかい! と怒鳴って笑ってるオヤジも、いる。

 終わらないプレゼントゴッコを、いつまでやってるんだろう。

 金がなければ、幸せは買えないの??

 そうやって大人が仕掛ける子供への無意味な洗脳、これを大人になって阿呆らしく思うなら止めれば良いことを、無意味に続けて要らぬ消費にクレジット、頭を抱えている。

 メディアはそれを当たり前のことのように間抜けな報道に終始して、企業・スポンサーの応援に余念がないが、無視すれば済むことを仲間外れにはりたくないからと村社会では嫌々でも参加してしまってる。

 同じように時代に合ってない義務教育や偏差値教育の行き詰まりを、どうして改革して行かないのか? は政治や行政の話になるが、司法も同罪、戦うよりも迎合して我欲に奔り、乱交している恥ずかしい大人社会だ。

 ありもしないモノを在るように見せかけて、在ると仮定した三文芝居に夢中になり、在りもしないのに、挙句に在ると自ら思い込んでしまってる日常が、在る。

 

 93歳のオヤジが亡くなって1年を迎えようとしている。

 3年前には田舎の無駄に広かった古い2世帯住居で、老夫婦二人きりで暮らしていた。

 それでも良いと言う本人たちの意向を優先していたが、進行もたいしてない直腸癌に怯えて認知も進み、もう好きにさせては置けないと動いて東京に住家を用意した。

 古い2DKだが全室南向き、明るい住まいにしてやった。

 各業界の長年の付き合いがあるプロ連中に頼んで、まずは引っ越しの準備。

 二人を先に飛行機に乗せて俺が東京に連れて来て、夜景のキレイな高層ホテルに三泊させ、医者や看護士の知り合いの協力も頼んだ。

 その間に東京から派遣した引っ越し廃棄のプロと一緒に田舎に戻って大量の残置物の処分廃棄をやり、売却の手筈も整え、各公共・金融機関の手続きも済ませ、引っ越し荷物の搬出、掃除。

 それから東京に戻って搬入と二人の入居と、いろんなトラブルやアクシデントも起きたが即座に対応して、足りない家財も新調して、さすがに精魂尽きる動きを一気にやったもんだった。

 休む間もなく田舎の山の上にある石碑のまわりに、十何代もの先祖の墓が朽ちてあるが、そこの土や苔や石を拾って壺に収め、掃除して、線香をたてて手を合わせ、 

 ・・・俺の代で此処は記念の地と変える、迷い浮ついている先祖がいるならば、俺が一緒に連れて行く

 そんな儀式を自分でやって、写真を撮って帰って来たもんだった。

 家も無事に売却が済み、すべての邪魔なお荷物がなくなり、その儀式の写真に紫色の見事な光が映っているのを見て、二人は見違えるように明るくなった。

 ただのカメラのイタズラ、別に意味などないが、紫色は極楽浄土の尊い色だと説明しただけさ。

 それから新しい生活収支を作り直し、毎日顔を出してやってはアチコチ連れ出して、爺様の認知はほどなくキレイに治った。

 最後は毎日何回も俺の手を握って、ありがとう! ありがとう! と微笑んでいた。

 直腸癌に怯え、田舎の大病院や医者のマニュアル医療に振り回されて俺とおなじオストメイトになるところだったのを、そこでも俺が飛んで行っては目の前で医者を説き伏せていたのを見せてやったが、東京に来てからすぐに最先端の癌医療機関を選別して、良い医師たちにお願いして現実が見えるようになっていた。

 同時期に古女房が、いきなり大腸癌ステージ4を宣告されたのも重なって、根治までの半年間は自営の仕事など出来なかった。

 いろんな家の古臭い風習や習慣や厳しい親に教わった6人兄弟の長男としての自惚れと責任感やが、空回りしていたんだろう。

 見えない相手と会話して、仏壇の前で先祖と会話して、夜中に徘徊、いろんな愉快なことはあったが、キレイに治ってしまっていた。

 ・・・あとは俺に任せておけ! なにも心配はいらん! 文句がある奴や喧嘩を売る奴がおるならぜんぶ俺が引き受けてやるよ! たいしたことではない

 笑って頷いている婆さんの横で大笑いして、いつも強く握手を返してやっていた。

 キチンと独り立ちしてなければ、こんなことは出来なかったことだろう。

 先祖だとか家だとか、古い日本人が怯える洗脳や呪縛の仮想世界から、生きているうちに現世に無事に連れ戻した、大変に俺の寿命は縮まっただろうが、達成感はハンパなかったよ。

 もうすぐ亡くなって1年が経つが、べつに仰々しい行事はしない。

 そういえば、亡くなった日の夜は親父の亡骸にドライアイスを添えて冷やし、窓を開けておいたが、婆さんを落ち着かせる為に俺が亡骸の隣の部屋で寝てやった。

 真冬なのに、藪蚊がブンブン、2か所も刺されたがな。

 きっと俺を眠らせないように、俺と別れの握手をしたかったんだろうと思ったから、暗闇の中で冷たい手を握ってやったさ。

 ・・・ありがとう  俺にははっきり聴こえたから、笑って剥げた頭を撫でてやった。

 大きな古い寺の合同墓には戒名もなしで、他の人たちとともに生きた本名を刻んである。

 死とは、そういうことだ。

 死んでまで競い合うなんて、間抜けな猿のやることだ。

 その週末には、絶景の雪山に登り、親父を天に放ってやった。

 この1年、俺と婆さんは三日に一度は別々に、外人観光客で賑やかな大寺院に笑いながら顔を出していた。

 供養とは、そういうことだ。

 他にはナニも、無い。

 

 嫁にいってる娘がこの年末に引っ越しを決め、2匹の犬と一緒に新年早々に引っ越しするが、それも俺の古い付き合いの引っ越し屋の社長がやってくれるようだ。

 旦那は社会的な信用がいまだに無いから、なんとか一人前になって欲しいもんだが、娘にも別れるのは簡単だが、地べたから共に這い上がって行けば、また違った幸せはあるぞとも言ってやってる。

 俺だったら、とは考えない。

 親子でも、それぞれで良い、おなじである必要も無い。

 一度しかない生を、想う存分に自分で生きて行って欲しい。

 俺は他の子供らに対しても平等におなじだが、社会や組織に巻き込まれて自分を見失わず、自分という獣を、完結して後悔なく生き抜いて欲しい、それだけだな。

 その為にも、俺の代で面倒な慣習や在りもしないお荷物や先祖の墓は、すべて断ち切ってやりたかった。

 信用は、一朝一夕では身につかない。

 安易な事で失ってしまった信用は、死ぬまで取り戻せないと知るべき。

 自分の終わりが来るまで、黙って生きて見せるしかない。

 小説やドラマや映画のようなラストシーンは、残念ながら無いんだよ。

 俺はこうやって好き放題に後悔なく生きて来て、大笑いしてる。

 だから社会では、威張って偉そうに言える立場でも、無い。

 
 
 

介護をたくさん経験し老いてゆく

2023-09-29 10:39:07 | 高齢化・介護という金儲けの呪縛

 

 

 介護を経験したことがない人や、介護を他人に任せたり、逃げていたりした人たちが実際に自分自身が老いたとき、体調の変化や病について経験がなく知識もないことが原因で老いに戸惑って、簡単に詐欺に遭ったり騙されたり、医療の玩具にされている光景は至るところにあるし、ゼニカネで解決できると安易に考えてる守銭奴らは、哀しい高齢者となって消費猿扱いされている。

 自分自身の老い方が解らない、いろんな介護をしていない、だからメディアを覗き見して、受け売りや又聞きで老いや介護を知るなんざ猿のキレイゴト。

 あんなに偉そうに介護を語っていたのに、高齢者への愛を囁いていたのに、大好きなマニュアル本を読み解いて、現代人お得意の自画自賛だけで中身はナ~ンにも無いじゃ~、自分自身の老いは哀れなもんさ。

 多くの高齢者たちと何十年もの時間を日常に接して介護を続けていると、俺なんかはすでに自分の終わり方まで考え終わっている。

 人はどうやって老いて行くのか? どういう面倒な過程を経て死んで行くのかを間近でたくさん見守って来ていると、錯乱することもなく身軽になって、悠々と老いて行けると笑っているさ。

 反面教師だらけと言っても良いお笑い劇場がある。

 

 山に登る時は、基本は直前まで行く先は仮の話にしておいて、天候やその他の条件を見ながら直前に変更するのが常になっている。

 地球で遊ぶのに、人間ごときの欲望や都合で、身勝手なことはしない、これが基本になっているが、では遊ぶのは止めるのか? 延期するのかと言われればそうではなく、場所を変える、そういう話になる。

 南に行こうとしていたのを、北に変えるだけで、諸条件は大きく変わる。

 生きて居て、日常生活でも、あらかじめ予定を立てて行動するなんてことはなく、その日暮らしを続けて65年が経っている訳で、それで借金・負債なく、貸し借りもなく、悠々と生きて居れるのはなんでだろう??

 旅行の予定を入れた、家を半年後に完成させる、車を1年後に納車する・・・俺には出来ない行動だな。

 渋滞の中でイライラする、飲食店に並ぶ、行列でおとなしくしている・・・俺には出来ない行動だな。

 明日ですら、生きてないかも知れないと考えてしまうと、無意味な予定になる。

 地球が主になるのは当たり前だが、なんで人間界で他の人間の上になるつもりもないが、下になる必要があるのか? 順番を待つなんて、俺には出来ない。

 

 昨日は朝の6時から動き始めて、独り暮らしの弱った高齢者の通院に付き合っていた。

 送迎に時間がかかるのは仕方がないが、山に登る時の早起きとは違って、気合が入らない。

 去年、癌ステージ4をいきなり宣告されて半年で根治まで頑張った古女房の母親だから、誰も動かないからと放置する訳にも行かず、でしゃばらないように淡々と、俺がここんとこ先導して動いている。

 物事や人間のことをよく知っている年長者がそれはやるのが一番に良い。

 俺が激しく動けば波風が立ち、津波にもなり、そうしてまわりの人間も動き出す、ことを願っている。

 まわりの者らが動き出せば、みなで見守ってやり、分担する、そんなとこかな。

 大きな形だけ出来れば、新しい日常が始まり、俺の役目は終わるようなもんだが、結局は最後まで俺が動いていることが多い。

 自営は時間が自由になる、無責任が染み込んでいるサラリーマンや公務員らが互いに都合の良い言い訳を語り合い、酒を飲んで我欲に時間を浪費して逃げ回っているのが現実だ。

 医療の嘘や間違いを、洗脳され果てている高齢者に理解させるのは至難の技で、だからニコニコ笑いながら否定はせずに、でもこういう方法も楽しいよと引っ張って行く。

 そんなことだが、帰りに暇をこいている俺の89歳になる婆様も同行させて、愉快に明るく賑やかに、カレーをナンで食べて来た。

 ・・・こんな強い男をあたしが産んだと想うと、なかなか楽しいね~

 抜かしている。

 今日は早朝から自分の右目の難病検査、午後からは古女房の癌根治後の定期検査に付き合うことになっている。

 いつ仕事をやってるのか? 

 俺にも解らない。

 


急な体調不良や不可解な病ばかり

2023-06-14 10:13:30 | 高齢化・介護という金儲けの呪縛

 

 

 ゼニカネの関わらない愉快な人間関係をあちこちに作り上げるには、日常の無欲な自腹をきっての関わり合いの積み重ねがなければ、無理だろう。

 すぐに損得を言う、自分の欲を隠して歪めてキレイゴトを言う、見返りを期待する、その行為を他人にすぐに美談として伝える、その辺の銀行員や証券会社の営業社員らがやってることだが、挙句にいつかは良い事があるさ、きっと神様仏様はご褒美をくれる、うんぬんかんぬん、陰気な猿のオナニーでしかない。

 ルート・セールスや御用聞き程度の仕事を、偉そうに営業・セールスと言うのなら、俺は周旋屋だと笑ってる。

 ナニもないところから、金儲けをサッサと作りあげて、頂いたらまた山や海へと出掛けている。

 成績だの、勝ち負けだの、猿の営みには興味が無い。

 

 占い師だとか、風水の先生だとか、姓名判断に星占い、あれやこれや、昭和の時代から、東京のド真ん中でその私生活をたくさん眺めて来ているが、酷いもんだぜ、おっかさん。

 家賃滞納、借金踏み倒し、無銭飲食に忖度強要、決して幸せな生涯は送れてはいない猿の変種。

 メディアに担がれて、利用するだけ利用されたら、ポイ捨て生ゴミ夢の島。

 

 売買の決済〜所有権移転登記が予定されていたが、買主が急な体調不良に襲われて、精密検査を受けることになり、前日の昨日に司法書士を同行のうえ郊外の買主の自宅まで行き、登記委任関係の書類を取得して、買主側の申請書類も完成させ、銀行にも一緒に出向いて預手と現金で残金などの金員を準備し、今朝は買主不在で決済から登記まで無事に完了した。

 その預手や現金は俺が預かり、本日キチンと売主の元へお渡しした。

 イレギュラーな形の取引でも、関わる者がベテラン自営の信用で生きているプロフェッショナルばかりだと、難なく笑って終わりになる。

 ご紹介とリピーターばかりで成約数の95%を超えて来ている当社ならではの、バタバタしない取引ではある。

 高齢化社会で、度重なるワクチン接種を優等生で過ごした方々が顧客には多いから、ナニが起きてもトラブルにはしない、その準備はいつも万端だ。

 次の取引もあちこちで色々と進めているが、みな長いお付き合いの顧客ばかりだから、日常生活や気分や体調まで観ながら、関わって行くのは当たり前の話だ。

 その代わりに、山や海で遊ぶ時は、俺の都合で日や時間を変更してもらってることも多い。

 まず、俺が健康であること、だからこそ細かい気遣いも、良い仕事も出来る、そういうことだな。

 クタクタになった深夜には、病院に連れて行く身内の高齢者たちの病院選びから治療の方法を考えている。

 休む間もなく生きる、休むのは死んでからゆっくりするべ!とは、若い頃からの俺の口癖でもある。

 それにしても、皆さん怪しいワクチンを何度もうち過ぎだぜ。

 

 大企業社員や公務員のレベルも、堕ちに落ちたな。

 住宅ローンに、教育ローン、酒飲んで騒いで娯楽に消費して、介護に扶養も教科書通り、皆とおなじで雁字搦め、自由などまるで無い。

 これじゃ~、奴隷・小間使い・言われるがまんま、逆らうことなど出来るものでもないだろう。

 そんなチンケな大人社会なぞ、怖れるに足らないぜ!・・・子供たちには、いつも言ってることだ。

 ダメになって行く国家らしい、ダラダラした景色ばかりが鼻につくが、無視して俺の仕事を進めて行く。

 コロナ渦では毎年独自にデカいバブルを作っておったが、今年は数を上げてやろうと思っている。

 ボケ防止には、難題抱えた取引を数こなす、これが健康には良いのさ。

 景気・不景気には関わらず、同業や他の人間の流れにも関わらない。

 俺しか出来ない仕事ばかり、大笑いして仕上げて行ってるさ。

 


メンドウな伝統など、捨てちまえ

2022-12-30 10:27:57 | 高齢化・介護という金儲けの呪縛

 

 今日は朝から高齢単身オーナーが住む八丁堀の古い賃貸ビルの共用箇所の全ての電球交換をやって差し上げて、一日が始まった。

 大手や素敵な不動産屋は、すでに年末年始のお決まりの猿の休暇に入っているが、こうやって、人のいなくなった年末年始にあちこちの高齢化したオーナーのところを回り、大工仕事や細かな作業を代わりにやって差し上げている。

 自営とは、こういうことを言う。

 ゼニカネの絡むところに、自分というモノは置かない。

 ゼニカネの絡むところでは、自分の欲求はナニも無い。

 独り暮らしの身寄りの無い高齢者のところに順繰りに顔を出し、困ってないかと笑っている。 

 包括支援な動きでもあるが、利益など最初から求めてない仕事だから、時間外も当たり前。

 これを30年以上も、淡々と続けている。

 一昨年・去年と、バブルを作って当社も系列会社も儲けさせていただいて、すべて借金・負債が無いので還元しているようなもんで、ゼニカネなんてそんなものでしかなく、見下して馬鹿にして生きれるようになって初めて、大自然の中で本当の生きて居る意味を知る、そういうことだ。

 

 ウクライナ極右勢力の薬物中毒が集うゼレンスキー一味は、アメリカのハリウッドに住み、その撮影セットの中で同じアメリカ架空大統領バイデンと会談し、あくまでも架空の存在として振舞っているようでもある。

 その架空の存在に脅かされて、煽動され、現場では多くの猿らが右往左往、甚大な被害が出ているが、これは新型コロナの煽動とまったく同じ連中が仕掛けている猿芝居だろう。

 人間の考えてやることなんざ、その程度のモノで、どんなに高度で精度の良いコンピューターが社会を管理していようとも、じきにボロが出て来るのは、人間が仕掛けている幼稚なお遊戯だからだ。

 馬鹿馬鹿しい。

 こういう愚かな社会は、一度リセット、崩壊まで行った方が人類の為だ。

 

 古き悪しき、無意味で硬直してしまってる風習や習慣のことを、この令和の時代にも頑なに守って、それが日本の良き伝統だとほざいて群れて生きてる奴らこそ、日本のことがナニも解ってないどころか、売国の徒として日夜メディアに振り回されて生きて居るという、滑稽な島国の特殊な猿社会が年末年始も日本中の風物詩になっている。

 伝統とは、しきたりや習慣や祭りやセオリーではなくて、厳しい島国で合理的に生きて来たという江戸時代以前の日本のことを言うのだが、外国の勢力によって鎖国させられて以降の江戸時代からは、そんな良き伝統がぐちゃぐちゃにされて、無意味な土民管理と、ゼニカネ一局集中社会用の奇妙な伝統ゴッコが始まってしまった。

 現代社会でも、メディア洗脳のゼニカネ儲け用の言語や会話と、実体の現実で生きるための言語は、分けて使うようになった。

 そんな簡単な日本人の日常の話ですら、意味が解らない大人たちがおるとしたら、もう終わっているさ。

 単細胞は、一種類の言葉と意味だけで生き、幼児服のまんま社会でも生きて来て、その時々の経験や成長に合わせて新調することもなく、これからの未来もおなじボロボロになって行く幼児服のまんま、高齢化して行く訳だ。

 価値観の話だ。 

 ナニが楽しくて、あなたは生きているのか? いつもまわりの死んだ目をした大人たちに聞いてやってる。

 小さな、平穏な、少しの、可愛らしい、そんな幸せがあれば、良いの・・・。

 では、幸せとはナニを言う?

 変わらない日常で、淡々と、笑っていたい・・・。

 没コミュニケーション、自閉的な社会は、こうしてネットメディア主流の無味無臭な社会を作り上げた。

 大声を出すことすら、大音量の音楽や騒音にとって代わってしまってる。

 迷惑な、話だ。

 他人や社会との関わり合いから逃げてしまってる高齢化社会では、いまだに身内や血族を大事にして、近親相姦な、隠微で閉塞感満載な孤独な日常を続けている訳だが、子や孫の代ともなれば、必ず行き詰まる結末は見えている。

 自分たち自身が高齢化して行ってすらその親や爺婆から教えられた風習や習慣を頑なに守ることが、優等生・善人だと信じているからこそ、社会は崩壊して行ってる。

 合理的に生きるには、要らないモノを片っ端から破壊して捨てて、新しいモノを作る作業が繰り返される。

 モノではなく、心という、形而上のモノをこそ極めて研ぎ澄まし、無駄でしかないモノには興味を持たない、そんな社会へと人類は変化して行かなければ、このまま地球上から淘汰される種になって行くだろう。

 ゼニカネがなければ生きて行けない社会が、その足枷になっているならば、まずその足枷を外すために自営の商売を始めて儲けを出すことから俺は始めた。

 ゼニカネに振り回されない資力を持ち商売を続け、そこからモノには左右されない自由自在な楽しみを手にする。

 まず先駆者に襲い掛かる災難は、その足枷の方だから、それすら乗り越えてしまえば、敵はいなくなる。

 こういう日常の境地に達するには、蔑んでいる一芸馬鹿にすら負けない体力や精力も身につけてなければ無理だ。

 どんなジャンルでも、そこの一芸馬鹿どもにすら負けない、なんでも出来る、人類の世界では敵はいなくなる。

 死ぬまで手を抜くことも無いわけだから、負ける訳が無い。

 勝って間抜け面して喜ぶことも、無い。

 

 毎年、店の神棚に俺が入る為に貰ってくる白紙のお札は、当然に身ぎれいな日常を送っている神社からもらってくるが、来年の俺が入る御札の為にどこの神社が優秀だったかと、あちこちでその日常を聞き込みして回ってもいる。

 参拝者が多くても、デカいだけで由緒だけで、薄汚い糞野郎が集まってる神社には、決して近づかない。

 俺様が入る訳だから、それ相当の苦行を日常に平然とこなしている神社でなければ、入る神は相当な鬼か夜叉だから、半年でそこのお札はボロボロに黄ばんで役に立たなくなる。

 

 このコロナ下で、身内の高齢者を自分たちで介護・面倒を見続けることは、至難の業と言っても良い。

 まず見る側の生計がギリギリで、余裕の無い借金体質であれば、これは叶うものでもないし、オツムの構造が暗記・偏差値至上主義者であれば、優等生・エリートになればなるほど、模範解答通りの軽々しい安易な行動に終始することになる。

 洗脳され、煽動され、その些少な猿の社会で競い合う悪癖しか持ち合わせてない訳だから、哀れなもんだ。

 こういう連中を子孫に持つと、高齢者たちは施設や病院に放り込まれて、資産家や財産家ですらゼニカネだけ巻き上げられて命を玩具にされて終わって逝ってる。

 俺は去年、資産すら食い潰して来た両親の状態に最後通告を出し、有無を言わせずに実家を整理し、銀座から歩ける、古いが管理は良くて日当たりは全室最高という2DKに引っ越しさせて、酷かった爺様の認知症も毎日の愉快な訪問で治してやり、直腸癌ですら、大病院から大病院を渡り歩いて、医者も多くの医者と話し合いを続けて、最期まで俺と婆さんで見守ってやるという態度は変えず、意見の合う在宅医療の先生や、ケア・サービスや、そんな腹を割って話せる人たちと日々のケアを続けて、自宅で、眠るように逝かせてやることが出来た。

 後悔というものが無い俺の人生の、一コマがまた増えた。

 笑って、送ってやった。

 決して愛する者は、他人の手には最期まで渡さない、これは俺の生き様でもある。

 子供らも、見ていただろう。

 医学や薬学や、最先端医療と言ったところで、この命を預ける相手がロクでも無い守銭奴や偏差値・肩書だけで生きて居る猿であれば、二度と頼むことも無い。

 今年の春は古女房のいきなりの癌ステージ4通告もあったが、これも医者や病院を選んで転院までさせて、後は俺の思い通りに連れ歩き、お見事秋には快癒までこぎつけた。

 俺の大反対を無視して、職場の居場所を守る為に、コロナワクチンを2回うっていた。

 命のことは他人には任せっきりにはせず、主導権は常に俺が持つ、おかげで病気や医学についても、知識はどんどん豊富になってるから、大病院の看板に甘ったれてる医者なんざ、説き伏せることすらある。

 ダメな患者と取り巻きが、どんだけゼニカネ積み上げて任せたところで、ダメな医者や病院では、それがメディアで有名な大学病院や大病院であったとしても、最期は哀れなモルモット。

 肝に銘じておくべきだろうな。

 常に現場で実践して生きて居る俺には、その足元まですべてが丸見えになってしまってる。

 愛すべき者を、安易に他人の手に渡して、良いのか?

 現実だけで生き、宗教や精神の世界なぞには見向きもしない。

 それが根本にある。

 それが出来てから、精神の世界の遊びは自由自在になる。

 

 独り身になった婆さまのとこには毎日顔を出し、生活の大転換を進めている。

 部屋の模様替えやら要らないモノの断捨離、そうやってすぐに動くことで感傷ボケを防ぎ、爺様の供養は俺のやり方でやっている。

 糞みたいな宗派やしきたりなんて、いっさい興味が無い。

 88歳でも暴走気味の俺の母親だから、アメ横に一緒に出掛けたり、買い物に出掛けたり、お屠蘇を買ってから喪中だったことを思い出したり、笑える日々は続いているが、寂しく独りにしないようにと、周囲の人間にも協力してもらって、ご飯を食べに行ったり、オモシロイ余興を見たりと、新年も予定を入れてやってる。

 人間は、立ち止まることなど、出来ない。

 動きながら次へ次へと生きて行くだけだ。