銀座で飲食店の出来る1階の路面店なんて、なかなかモノが出ない。
年末になってその話が貸主から持ち込まれて、たくさんいる希望客に順繰りに紹介していこうと考えておったが、とっとと決まってしまった。
大晦日に、ほぼ条件まで決めて詰めておいた。
・・・なんでそんなに頑張るんですか?
よく30歳40歳50歳代の所帯を持ってる男に聞かれることは多い。
仕事はハードに時間など関係なく動き、それ以外の時間も相談や手当てに動き続け、週末すらゆっくり休まず、身体を鍛え上げている。
・・・楽して、なにが楽しいの? 美味いモノ喰って? 良い女とセックスして? 金出してナニかを買って見せびらかして? 旅行は年に2回? 海外にお出かけ? 良い車にお洒落な洋服? 素敵な家? それで?? そんなことで満足なの??? へ~、つまんね~人生だな~!! 退屈なこった!! 逆に聞き返してやってる。
ただただ自分だけ、長生きすることが、幸せなの?
見ざる聞かざる言わざるで、長いモノには巻かれて自分らだけの安全を願ってる。
・・・それで本当に幸せなの???
人が生きるということは、際限なく関わり合いが増えて拡がって行くことを言う。
政治家や芸能人やスポーツ選手のようにメディアと持ちつ持たれつ、大げさに、大勢を相手にして演説ぶったり、大勢を相手にナニかをすることは容易いが、常に一対一、そうやって関わり合いを増やしてゆくことは、とてつもなく時間と労力と費用のかかることだ。
簡単なことであれば、すぐに飽いてしまうだろう。
それをいつ何時でも出来る体力・精力がなくなった時、俺は終わると想ってる。
定時に出社、定時に退社、あとは飲んだくれて、横並びの日々じゃ~、ナニも愉しくない。
・・・そんな人生なら、死んだほうが増しだ・・・本音でそう想って生きて来た。
こういう可笑しな爺ィも、おなじ時代に生きている・・・それが子供や若者たちにとって、笑いの種でも良い訳だ。
どんどん胸を張って、大笑いして生きて行く・・・それが子供や若者たちにとって、役に立てば良いと想ってる。
身体も病んで薬漬け、オツムも病んで薬漬け、新聞・ネットを毎日眺めて、あ~だこ~だと批評漬け、これじゃ~生きてても無意味だろう。
俺を必要とする人間がいなくなった時点で、すべて終わりでエエがな。
金融工学、資本主義経済学、医療も計算づく、すべての事柄が数値で解決すると、安易な自画自賛が根元から崩壊してきてるが、その数値や計算式は人類だけの身勝手な自己満足だったと、じきに解るようになる。
摩訶不思議な人類の生い立ちと歴史、これを言葉と数値で理解しようとした人類は、墓穴を深く掘ってしまった。
東洋の時代になりつつあるのに、ま~だ西洋かぶれを止めない日本人は、すべてがご破算になる運命にある。
憧れて、物真似猿が必死にコピーを繰り返してた西洋が、東洋の凄さ深さを痛感する時代がやってくる。
それは数字や言葉では表せない、宇宙や地球に生きる人類の、複雑怪奇なオモシロさが見直されるようになる。
キリストの西暦も終わることになんだろう。
そのくらいに地球上の人類は大きな転換期を進めつつある。
そんな時期に、阿呆面して自信を失ってるのは、日本人だろう。
来年もまたダイダラボッチ、大笑いして、高い山の頂から見下ろして、阿呆な日本人の世の中・社会を吹いてやろうぜ。