オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

谷中で生姜喰らい、順繰り墓参り

2018-08-13 09:55:35 | 日記





 この土曜は、朝の8時で各方面大渋滞ゴッコが始まってた。
 昔から日本人とは、融通の利かない、他と違う知恵を働かせない、群れて混雑にはただ耐えようとする心身、俺は御免だが、そんな民族性には感心してしまう。
 与党も野党も、右も左も、詐欺師や警察官であっても、普段は敵対してる者同士でも、おなじ渋滞にお行儀よく嵌って、パーキングのトイレに仲良く並んでる。
 これを笑わずして、なにが可笑しい?
 集団・群衆の中にいて、他を見て同じか上なら現状維持を決め込む変な人間たち。
 自分という命よりも他という命の群れが先に在り、それによって自分を判断して自己満足。
 団塊の世代の優しさ思いやり世代を見ていて思ったもんだ。
 他人のことを先にするのは、とても安易な自分からの逃げ口上。
 自己犠牲が先にあるという、美学は誰が言い出した戯言か? だから自分という個を持たないで良い気分?
 安易な公式ばかりで生きてると、寂しい老後へとお決まりのコース。

 まわりが気になる、気になるのは自信のまるでない自意識過剰が原因だが、あんたがまわりを気にしてても、まわりはあんたのことなんざ、な~んも興味も無い。
 嫌悪という反応すら、興味を持たない現代では、自意識過剰も独り言の範疇でオハジキ遊び。
 自己顕示欲と、自意識過剰と、自己主張とは言うけんども、まず他よりも独りの自分を確立しようとはしない。
 覗き見て、様子を窺って、どうしようかと思案して、そこで不幸な人間を決めつけて、ひと安心。

 蟻とキリギリスだとか、ウサギと亀だとか、対比する話は多いけんども、常に選択肢が二つしかないことを疑問に感じることもなく、素直に二者択一で災難に遭っている。
 良い悪いではなく、好き嫌いでもなく、黙って群れてることを選ぶ。
 本来、この日本という国土は、資源も無く、毎年やってくる忙しい四季に対応し、地震に噴火に津波にと大自然の厳しい猛威に晒されてる場所にある。
 そこで生きて来た日本人は、地球上のどこの民族よりも、自然の慟哭による死を身近に感じ、だからこそ刹那を濃く愛し、自由自在に生を堪能しておった。
 黙って群れてはおっても、独裁政治というものが決して根付かない国でもある。
 エコノミック・アニマルって、若い頃から海外でも観察してるが、ほんまにオモシロイもんだぜ。

 ・・・ということで、山は午前中が勝負だとばかりに早起きして山に向かったが、予定が狂って大渋滞の情報が入り、西八王子で降りて奥多摩の山でも・・・とも思ったが、気が乗らなかったから下道で戻りながら、親近者の墓参りを早朝から順繰りにすることにして、昼には谷中の古寺に到着しておった。
 俺よりひとつ年上の、フ~テンの寅さんの墓参りで締めた。
 女房・子供にも逃げられて、それでも大好きな酒をさんざんに喰らってとっとと逝くなんざ、幸せなことだぜ。
 思えば墓参りというものは生きてる者の自己満足だから、ま~ま~線香を焚きあげて、死んでしまっては好きな酒も飲めんだろうと、ザマ~ね~なと笑ってきた。
 俺らの世代は昭和の半ば、敗戦後の膿とゴミと公害の狂騒の中で生まれ育った世代だから、団塊とも違う一匹狼みたいに生きてるのが多い。
 みなどんどん早死にして逝ってる。
 好きに生きて、とっとと逝く、これがみな共通項でもある。
 俺は悪運が強いと見えて、同世代の変人の中でもみなが驚くような生を生きて居るが、まだまだ元気だ。
 山登りの目的を失って眠かったから、谷中銀座で生姜をオカズに飯食って、酔い醒ましにぼんやり歩いておったら、ほ~ほ~と愉快なこともあった。
 祭りで賑わう富岡さんを避けて戻って、とっとと寝たった。

 自営の売主に、自営の買主、自営の周旋屋が関わる不動産売買の決済は、今日みたいな庶民の皆さま方が長期休暇の時を選んでやる。
 おなじく、訴訟の申し立てなんかも、こういう時期にやるのがベストだから、俺は裁判所にも原告と行ってくる。
 みな自由自在、地球上を飛びまわってる自営の自由人は、サラリーマンや公務員のロボット勤務による混雑回避、これがまず先に頭にはある。
 当然に、テレビや新聞、ネットの怪しく薄いニュースなんかもたいして見ないで生きて居る。
 情報は個々の深く広い人間同士のネットワークから手に入れる癖がついている。
 政治ゴッコごときで日本の国は変わらないことも、知っている。
 日本という国家が破綻しても、なんの影響もなく、この大和の国で平然と遊んでるだろう。
 すべての価値観は、自由自在で良いんだぜ。
 もらった身体と知恵を目いっぱい使って生きる、これを俺は親孝行と想ってる。
 だから感謝の気持ちを持って、親の負債も肩代わりして完済してやったりしてる。
 苦労だとか、苦難なんてものは、他人の言うことであって、身体に障害を負っても、俺は普通に笑ってる。
 地球に生きる生き物は、いつも太陽の光を浴びて、笑って愉しく生きて居たい、これみな共通なのよ。
 自分だけ不幸、自分だけ苦労して、自分だけ上手くいかない、誰もわかってくれない・・・そんな奴らが俺の前に来ると、みな黙ってしまう。
 オメ~よ~、そんな程度のセンチメンタル三文芝居で、オナニーしてんじゃ~ね~よ、そういうことだ。
 道は最初から、自分で創るもんだ。
 国家や他人や身内に依存して、夢見てばかりじゃ~、ナニも起きやせんがな。

 決済無事に終わったなら、午後からは、再起に賭ける離婚女性のマンション探しにお付き合い。
 銀座も田舎モノの一方通行逆行が多くなるから、車の運転も気を遣うのよ。


銀座の周旋屋の、戯れの愉しみ方

2018-08-09 12:33:23 | 日記



 週末に、新聞・テレビで・・・台風に警戒! お出掛けは控えて! と昔からやっている。
 若い頃から、そんなニュースが出て来ると、急いで天気図を作り、何処が良いかを探してた。
 日本の間抜けな国民の多くは、必ず集団で動くから、天気さえ解れば何処に行っても空いている。
 こういう生き方で、かれこれ60年になる。
 俺の世代が老いたなら、オレオレ詐欺の若いお兄ちゃんらは、逆に身ぐるみ剥がされることだろう。
 警察はさ、民事不介入が原則なんだぜ。

 仕事が暇なとき、店で時計の電池交換をやってやったりしてる。
 とうぜん無料で、ボタン電池代だけの実費で、防水処理までやってやってる。
 百均で紙粘土を買って来て、その他の部材も知恵を絞って百均で買ってきて、ディンギーを作ったりもしてる。
 仕上げはアクリル絵の具だが、防水加工してしまえば、水にも浮く。
 で、スクリュー付けて、リモコンで操作機まで付けてしまえば、りっぱな動く玩具だ。
 ガキの頃は、暇なときは自転車を分解して作り直したりから始まって、バイクや車に乗るようになったら分解し、電化製品や家の修理すら、いまでも自分でやってしまう。
 手先が器用なのと、部品や材料が幾らでも手に入る現代では、想像力次第ではナンでも作れる。
 ナニも無いところから、見本などないところから、設計図から自分で創る、これが愉しい。
 こないだは家の蛍光灯の安定器の取り換えもした。
 みな感心するが、自分でやろうとはしない。
 なんでも自分で出来るということは、なんでも知ってるということになる。
 騙されない、嘘が解る、詐欺師を逆に騙してやる、愉しい日常が待っている。
 長く仕事を任してた、同世代の腕の良い大工が去年末に死んで、そういう話をする相手もいなくなった。
 年中酒が入っておって、好きに生きて死んだ奴だったが、知恵は相当なもんだった。
 いまでも彼奴のためにと買ってあった酒が、店の冷蔵庫で冷えている。
 山登りの途中に、渓流で砂金パンを使って砂金を取ったりしてるような登山者は、俺くらいだろう。
 山菜とるよりも、面白いぜ。
 熊公だってよ、山菜とりは敵だが、砂金とりは不思議な顔して眺めてる。
 愉しいことは、幾らでもあんのさ。

 戦後の復興で、日本国内のインフラも新しく一気に整備された。
 国内を先進国並みに整備し、西洋化する、その為に戦争を起こし、主要な都市を破壊した、そうとも言える。
 と同時に、銀座の街でもそうだが、そのドサクサに紛れていち早く地所を押さえて財産とした連中がいる。
 その素性はだいたい解ってるが、怪しいことこの上ないのは、その子や孫の代になって化けの皮が剥がれてる。
 先祖代々の墓を持たない連中とは? 
 アメリカもまた建国200年そこらの新興国だが、歴史を持たない国は、嘘や捏造といった余計なことをせずとも、自作自演で国を統治し管理することは容易い。
 我が国では、その戦後に整備したインフラが、ガタガタになっている。
 オリンピックどころの騒ぎじゃ~ないんだが、みな知らん顔して放置したまんまだ。
 じきにあちこちで大騒動になってくるだろう。
 都会ではタワーマンションがブームだが、いずれやってくる大規模修繕工事の時期になれば、これもまた大騒動になってくる。
 どうやって修繕工事をやるの?
 それまでにタワーマンションは無事に建ってない? 崩壊させる?
 善良なる日本国民の皆さまは、哀れ提灯、嘘と捏造の中で生かさず殺さず、どんどん心身が弱ってる。
 大和の地の民を自認してる俺には、関係の無いことでござんすよ。
 どいつもこいつも、ニセモノばかり。
 興味も湧かない、そのうちウジが湧くくらいで、そんな国家で日本人ゴッコ。
 先送りと、メクラマシと、見て見ないふりと、で? あんたはナニをして生きてるの?

 理路整然と物事を説明できる人間は、実はたいした変化もない、つまらない日常を生きてる。
 俺は、ナニを話しても話は面白く出来るけんども、昔から理路整然と説明が出来ないのが常だ。
 その実人生・日常生活がややこしくこんがらがってるからこそ、1+1が2にならないことばかり。
 だから俺の話は突き詰めると禅問答みたいなオチになることが多くなり、最後は笑って締めるしか、方法がなくなってしまってる。
 だから屁理屈ばかり、理詰めで話をする奴らを見かけると、その日常生活と生きてる価値観が垣間見れる。
 古風な、お父様お母様の言うがまんま、なんの面白味も無い生を生きて居るのが解る。
 ・・・ナニが愉しくて生きておるの? 聞いてしまってる。

怖れるものなど、な~んもないわい

2018-08-08 11:15:14 | 日記



 山や海では、人間の力ではどうにもならない、もの凄い力が襲って来ることは多々ある。
 他人よりも泳ぐ力がある俺なんかでも、逆らえない強い波があれば、地表にうつ伏せになってさえ動かされる強い風があり、前にも後ろにも進めない、強い豪雪に見舞われることもある。
 道迷いで遭難して死ぬなんて、最初から自然の中に入る知恵も体力も無い間抜けな死に方だ。
 ところがこれがどんどん増えて行ってる。
 いかに現代人の体力とオツムの中身が薄く浅くスカスカになってるのかを、証明する事態だろう。
 生きることを、止めたほうがエエんとちゃうか?
 知識の一人歩きは、命をも置き去りにして、あらぬ彼方へと彷徨い始める。
 遭難したときの知識、道に迷った時の知識、そんな勉強して自然の中に入ること自体、お子ちゃま過ぎる。
 命まで、ガイドブック通りに?
 山は、いつもおなじ山の表情をしてることはなく、海もまた、おなじ顔の海は無い。
 穏やかに見える海でも、波しぶきの立たない強力なうねりがあったり、穏やかに見える山でも、命を失う怖ろしいアクシデントが隠れていたりする。
 自然とは、人間の想像力を超えたモノだからこそ愉しいんだが、心の準備の無い者には、死に繋がる。
 予定してたから・・・登り、予定があるから・・・降りる、これは山や海で遊ぶ人間には一番邪魔なモノ。
 そんなことをほざくくらいなら、都会の街中で消費生活を続けておりゃ~エエがな。
 安いドラマや映画のせいで、山や海での遊び方までワンパターン化して、そのうちライセンス制でも作るんじゃ~ね~のかね。
 30年以上も前に、カナダからスノーボードの板を輸入して滑り始めた俺は、じきに間抜けな日本人の事故や遭難のせいでスキー場でのライセンス制に呆れ返って、超短いスキー板に変えてしまったことがあるが、日本人が、山や海で遭難してるのを見てると、ただの間抜けやんけ、そう想っている。
 本当に山や海を愛して生きてる者には、邪魔なパイロンにもなる。
 死ぬ山には死ぬ理由があり、死ぬ海には死ぬ理由がある。
 自然とは気象も含むモノで、天気図ひとつ自分で描けない奴らが、みな遭難してんだわさ。
 他人が作ってる天気図を、なんの疑問も感じずに信じて動いてる。
 俺は山や海で遊び呆けて60年、その時の空と雲と風を感じて、登る山や泳ぐ海を直前にでも変えている。
 これが出来るようになれば、危ないことなどずっと減るんだ。
 その時、登ってはいけない山があり、その時、泳いではいけない海がある。
 それをやっておっても、アクシデントは限りなく起きる。
 ただ、命まで失うことは、無い。
 現代人が、阿呆なだけだ。

 ガキの頃から、世間で言うところの凄い人、有名・著名人と日常に接することの多かった俺は、筋書きと作りモノで社会は成り立ってるということを、笑いながら眺めて来た。
 ナニも怖れるものはない、ナニも恐がるものはない、みなハリボテのはったりだ。
 大金持ち、財産家、大企業経営者、学者、総理総裁でさえ、みな弱っち~阿呆な連中だと、想ってる。
 決して取り巻きの居ないところには独りで出掛けられない。
 作りモノだからさ。
 テレビやネットで敵対し合う論争の、その双方が実はシナリオに乗った役者だという図は、いまでもあちこちに続いており、そこに記者やインタビュアーや専門家まで関わって、画面に映る観客までサクラで、一人の人間を主役に仕立て上げる、胡散臭いことだ。
 資本を貰い、経済的な援助をどこから受けているのかが解れば、たいした広い世界でもない。
 日本ごとき狭い国では、その根っこはごくごく限られてる。

 30数年前の不動産バブル時に、一緒に仕事をやってた連中のその後を、考えていた。
 政治がらみが多かった。
 石原慎太郎や三塚博、渡辺美智雄、その他もろもろ、そこでまだ首を突っ込んで生きてた連中の今は、ナニゴトも無かったかのような静粛さだ。
 石原慎太郎と橋下をくっつけたり、猪瀬を引っ張り回したり、政治の世界ではいろんなことが起きていたが、バブル崩壊ののちに、のんびり周旋屋の自営を始めた俺は、山や海で遊び呆けて来たが、幼児性の抜けない政治好きたちは、陰湿な目で、MI6/CIAゴッコをずっと続けておって、サンダーバードの見過ぎだろう。
 狭い世界での、内部抗争は、保育園の椅子取りゲームと変わらない。
 ユダヤのフリーメーソン? 若い頃の俺も在日のユダヤ人との交友もあったが、そんな映画の世界のような、格好の良いもんじゃ~なかった。
 屁もすりゃ~ゲップもする、しょせんは人間のやってることだ。
 それで日本という国家が動いたか? 否、だろう。
 あくまでもアメリカの従属国、トランプになってアメリカが世界覇権の放棄と、内部抗争を激しくしてる今でも、その好戦派の軍産一味に仕切られておる。
 笑われるよ、猿の国。
 気が付けば身近なところに、日本の大きな事件の仕掛け人がいる、俺は山や海で遊び呆けてるだけなのに、なぜかいつもそんな位置・場所で生きて居る。
 その当事者たちとは、夢中になってる政治の話ではなく、山や海や女や子供の話だけをしてきてる。
 報道は洗脳と煽動が目的だから、みな凄い人たちのように言われてるが、俺から見れば女房や子供に振り回され続けてる情けの無い連中、そういうことだ。
 そうして想うんだぜ、どれもこれも大袈裟に考え過ぎだぜ、そんな大物なんておらんがな。
 風評や言い伝えは、嘘ばかり。

 トランプが、近所に買いモノに行くように、北朝鮮の金正恩やプーチンに直接会いに出掛けてる凄さが解るか? 次はイランにも行くだろうか。
 他人に頼らず、自分の目で見て、自分の口で話し、自分の手で感じ、おなじ空気を吸う、人間同士の付き合いや交渉事は、女性を口説くのとおなじだ。
 ・・・もう、アメリカは世界の覇権を放棄したい、もう敵対や依存は無しにしよう
 驚くべきことを、伝えて歩いてることだろう。

原爆の日は、山の頂でお昼寝する

2018-08-07 10:28:24 | 日記



 ゼニカネでしか子や孫を繋ぎ止められない哀れな守銭奴の爺様・婆様、食わしてやってると嘯いてる仕事忙し症候群の言い訳ワンパターンな父親や母親、ゼニカネがなければ、我が子や我が孫と関わり合えない歪んだ人間愛。
 みながみなそうなってるから、その可笑しさには誰も気が付かない。
 
 8月6日は、原爆慰霊の日。
 広島が生まれ故郷の俺には、いろいろとまた想いがたくさんあるけんども、身内にも被災者は居り、その復興とその後にも様々な想いがあるけんども、ガキの頃から、強制教育でお涙チョウダイ物語になってしまってるただのイベント化された式典には、まるで興味が無い。
 安倍政府なんざ、被爆者や天災による被災者のことを、玩具にして利用するだけの極悪人の集まりだ。
 健康な人間としての、一滴の血すら持ち合わせてはおらん。
 この日曜日に、海ではなく山の頂に向かった訳は、それだった。
 供養は、ひとそれぞれのやり方で良い。
 大事なことは、生きて居るうちは忘れないこと。
 人の魂は高い絶景の山の頂から天に昇り、神はそこに降り立つ。
 高天が原の、由縁だな。

 先日の凄まじい豪雨で、一昨日の山行はその行程がまた愉しかった。
 車がすれ違えない細く曲がりくねった舗装路が、未舗装路に変わってもっと激しい道になる場所に、登山者らしき車が3台ほど停まって居った。
 ・・・はは~、相当にこの先は激しく荒れているか、がけ崩れや倒木で通行できないか、どっちかだな、ならば迷わずゴー!!
 俺のアルファードは車体が大きい方だけんども、別に4駆でもなく、それでも今まで一度も困ったことはない。
 雪山登山の季節いがいでも、チェーン4本やその他の工具も揃ってる。
 ナニが起きても対応できるような装備が、登山で担ぐザックとおなじように積んである。
 轍というよりも亀裂、雪山のクレバスみたいな大きなヒビが、あちこちに入っておった。
 がけ崩れしてる場所や、粘土状の土がぬかるんでる亀裂やら、屋根にはガンガン枝葉が当たってた。
 無理だったら、今来たそんな道をバックで出るしかない。
 これがまた愉しい。
 馬鹿じゃないの? と言われれば・・・そうよ、大馬鹿なのよ! と答えてる。
 馬鹿は死ななきゃ~、治らない~~し、これで死ぬなら本望だ。
 でもまだ生きてるということは? 経験と技術で解決してる、そういうこと。
 海や山で遊ぶということは、その行程でも遊んで見せる。
 綺麗な高速ばかり走って、趣味はドライブ? あんたの方こそ、馬鹿じゃね~の?
 そんなドライブ、鹿や猿や熊や猪に会えるの??
 野糞や野ションベン野宿すら出来ね~で、なにがアウトドアが趣味! なのよ。
 阿呆~も、休み休み言えや。

 人間の飽くなき新鮮な感動とは、常に道の無い場所を歩き、生きることにある。
 アクシデントすらロクに無い現代の大人社会には、そんなものどこにも無いし、売ってもいない。 
 自分の意志で生きるとは、常にこのアクシデントの連続だ。
 それだけを愉しみに生きてる。
 あとの人間社会のことは、なんということもない。
 ただのゴミだな。

シモツケソウが、たくさん咲いてた

2018-08-06 10:10:56 | 日記



 暑いから、夏と言う。
 今年の冬は、情報遭難してる日本人は、またまた極寒・大雪で大騒ぎになりそうだ。
 お暇なのよね~、自分の今にナニも無いから、又聞き・覗き見情報ばかりで生きて居る。

 ・・・あの醤油ラーメン、スゲ~美味かったよ
 銀座の隣の新富町で中華料理屋を永くやってた爺婆の孫が嬉しそうに言っていた。
 外房の白砂の海で小学6年生3人連れて沖まで泳ぎ出て、遠浅の瀬を見つけ、溺れて死にそうなくらいの波遊びをさせてやった帰りだ。
 30年前からある、いまでは勝浦の人気のラーメン屋の、スープ切れ直前最後の客になって、餃子にライスまでペロッと喰って、相当に楽しかったらしい。
 1か月前に癌で失った父親の通夜の日に、学校帰りに俺の店にやってきて、無言で立っておったから力一杯抱き締めてやったら、ずっと我慢してた涙と嗚咽が止まらなかった。
 ・・・お前さんは独りじゃ~ない、泣いたってオヤジはちっとも嬉しくないだろう、笑え
 その会心の笑顔を海では見せてくれていた。
 その翌日は、三人の仲間のオヤジがまた急死して、その通夜だった。
 帰りの車の中で・・・俺のお父さんの時は、最期はずっと寝たり起きたりだったから覚悟してたけど、でもあいつのお父さんは急だから、ショックだろうな
 ・・・歳から言ったら、俺が最初に逝くのが順番だからな、みな若すぎるよな~
 ・・・いや、いいんだよ、もう俺はオジサンのことお父さんだと思ってるから
 ニヤッと笑って言ったから、頭をこずいてやった。
 よほどに楽しかったのだろう、帰りの車の中でも三人は眠らず、興奮は続いておった。
 ・・・山や海で、たくさん楽しい思い出を作って生きて行けよ、生きるって、それしかない
 ・・・俺、きょうは波で死ぬかと思ったよ、だからよけいに楽しかったよ
 ・・・アクシデントのない、命の危険を感じないことは、すぐに飽きるもんさ、安全こそ退屈なことだ
 ・・・ね~ね~、次はどこに連れてってくれんの? 山が良いな~
 こうやって、銀座で30年近く周旋屋を続けながら、地元の悪ガキらとともに生きて居ると、成人してるのもいるし、その時その時、俺を必要としてくれる者がいるかぎり、そこで一緒に大笑いして遊んでやることが、俺の意味でもあると想ってる。
 60歳になっても、小学生と一緒に大声出して弾けてる。
 他になんかあるのか?
 大自然の中で遊び呆けて生きること、それこそが日本人だ。
 明日のことや未来の予定など、明日の朝に、考えれば良いことだ。
 今は今を精一杯、笑って過ごすこと、そしてクタクタになって眠る。

 仕事や勉強や遊びでも、組織やチームの中で生きることが全てになり、そこにいることが安全と安住の根拠となり果ててる狭小な大人社会では、そこに必死にしがみついて、笑えもしないいかがわしいポジションを奪い合い、他人を蹴落としてまでして生き残ろうとする。
 猿の群れの中ではそれは普通でも、人間社会ではド阿呆の最たるもんだ。
 学校や社会やグループにしがみついて、それが存在意義となり、満足だと自認してしまうと、あとはダラダラ流されて息をしてる植物にも劣る生物。
 俺にとってそれらは、ただの処世術に過ぎず、俺の存在意義は地球の大自然の中に在り、そこでともに遊び呆ける者らと生きてるアクシデントを愉しみ味わうこと、これが最上のモノだ。
 人間が人間に興味を持つ、これはおかしい。
 本当に人間が解って、確たる自分が解ってしまえば、おなじ人間など興味は湧かない。
 言い換えれば、比較や競争や差別なんて有り得ない。
 我が子たちを育てるとか、肉体の性的欲求から、特定の異性を愛することはあるが、それ以上の興味は湧かない。
 あとは人間以外の地球上の大自然や生物や鉱物やに興味は向いて行くのが健康的なことだ。
 ところが現代社会はそのおなじ人間社会にばかり目を向けて生きてる間抜けなタコばかりだ。
 どうしようも、ないね。

 ・・・ということで、暗いうちから起きだして、2000m弱の素敵な山に登ってきた。
 海でばかり泳いでると、山が恋しくなる、山ばかり登ってると、海が恋しくなる、贅沢さ。
 下界のみなさんの寝てる場所は雲の下、ドピーカンの山頂では、雲海の向こうに富士山だった。
 一年中、あちこちの高い山から眺めてると、雪の無い富士山は、だらしのない間抜けな姿をしてる。
 人間社会の多くの病や、疲れやストレスは、それは処世術から生まれてくる軋みだから、本当は俺のように早起きして大自然の中で汗をかくこと、これが一番の自己治癒ともいうべきものだが、だらしのない大人たちは酒を飲んで騒いで寝て、それを解決ではなく先送りすることしか知らない。
 哀れ提灯だな。

 シモツケソウという可愛らしい小さな花がある。
 赤やピンクの、小さな花だが、よくよく見ると精巧な造りだ。
 線香花火のような素敵で可憐で濃縮された美しさ、よく高い山の稜線で出会うけんども、俺の好きな花だ。
 昨日は、それがいっぱい咲いていた。
 シロハナヘビイチゴも、あちこちでキラキラ朝露に実が輝いておったが、これは苦苺とも言い、ガキの頃に喰っていらい、喰ってない。
 1時間くらい、喰って飲んで一服して、山頂の岩の上でぼんやりしておったが、だ~れも来なかった。
 もったいないよな~、こんな場所は日本中にあんのに・・・。
 この週末も、海ではなく山に登るかな・・・海は平日の空いた時間で良いか・・・。
 やっぱり儲けるよりも遊ぶことを考えてる、いつもの月曜日。