人類の世界で快く生きて行くには、地球や宇宙に人類が誕生する前から存在する物質と、あとは洗脳された後に一度それを全て破壊して、そこから自分で生きながら作り上げた確たる自分と、この二つの存在だけを見て居れば他はナニも要らない。
この共存だけを考えて居れば他にはナニも問題は無い。
今風に言えば、量子と、波動。
そこには宗教も哲学も小難しい理論も、敵対するモノなどな~んにも無い。
その物質や自分、その他の物事もすべては自分の脳の中にしか感じ得ない。
世界は自分の内に在り、自分の内にしか存在せず、その自分の内なる世界を拡げて行く以外には、世界は拡がらない。
どんなに優秀な先人がいたとしても、それを認識できる内なる世界の果てしなく広い人物がいなければ、ただのモノで終わってしまう。
義務教育や偏差値で暗記と復唱競争ばかりして、おなじようなオツムの専門家やエリートで集まって社会を形成している人間の世界では、なかなかそれは理解など出来ないことだろうし、難しいだろう。
洗脳されているおなじような人間だから、コピー・代替品も幾らでもあり、その子や孫も疑問すら感じずにおなじようなロボットになっているが、知識と情報処理では人間はロボットには敵わないし、必ず無理が来て自己破綻する時が来る。
人類という妄想を超えて悠々と存在する、これはオツムの構造の大変革を要するが、40歳までには終えておくべき。
ひとりの人間の命の時間軸で言えば、そんなことだろう。
俺もギリギリだったが、成し得た。
その後は自由自在、悠々と自営を謳歌している。
みな生き物は笑って生きて居たい、それだけを考えておれば他との関わり合いもどんどん拡がってゆく。
借金・負債も、貸し借りもナニも無い。
預金すらなくって、その日暮らしが根本にある。
儲かれば他人の為にと使うことばかりで、余れば金(ゴールド)にして険しく高い山の頂に埋める。
その為の仕事を自営で続けているが、他の時間は山や海でのクタクタになる厳しい遊びを、餓鬼の頃から続けているが、身体も年々衰えてきてはいる。
その時その時の精力・体力を限界まで突き詰めて知ることになる。
そんな遊びは楽したい人たちには、ついては来れないだろう。
毎週まいしゅう汗だくでゲロを吐くような思いをして遊んでいる。
遊びそのものの意味すら違っている。
スポーツ余暇の登山や水泳とは、ぜんぜんに意味が違っている。
そうしてそっちが俺の基本になっている。
どんな良い薬があるのか? どんな栄養剤があるのか? 美容には良いのか? 健康にはいいのか? そんなことばかりで、肝心かなめの身体を使って消費する方法については、な~んにも知恵を働かせない。
キチンと消費もして無い癖に、先付小切手を乱発している。
消費していないのなら、栄養などいらず、水と空気と太陽の光があればとりあえずは細胞は維持できる。
俺の場合は肉体を酷使し過ぎたおかげで内臓が破裂してしまい、本来ならばそこで擦り切れ果てて終わりだったものが、オストメイトという医学の進化のおかげでまた生まれ変わったような楽な身体となり、生きてる楽しみが続いている訳だが、他の部位については擦り切れ果ててはいる。
ウオーキング? ジムでトレーニング? マニュアルのある街中での安全お遊戯ばかりやっておったって、それは健康な肉体消費とは言い難い。
アウトドアが好き、とは言っても人間に管理された場所でお遊戯。
こういうオツムのおかしい連中が社会にはごまんといる。
ナニに使うのか? それすら羨望や妬み負けたくない、見返してやるという自己顕示欲だけで金儲けに走ってるお猿さんたちは、使い方も知らないでゼニカネを追いかけている終わらないお遊戯に生涯夢中になっている。
財産・資産は、人類にとっては最大の負債、これが解って来ると大笑いして眺めている猿芝居。
金を貯めるまえに、ナニに使うのか? 貯めるよりも無駄を無くす方が先ではないか? オツムの価値観を変える方が先ではないかとは、決して考えない。
健康もそう、まず肉体をキチンと消費しているのか?
すべて方法論ばかりが先行して、目的や意味については考えようともしない。
踊らされてるだけの猿芝居、それで人類の社会だけは回転している。
なんども書いておくけんども、30数年前の不動産バブルを、そのど真ん中で謳歌していた俺なんざ、生きている楽しみは金では手に入らないとずっと思っていた。
金持ちや権力を持つ顧客の日常を傍でたくさん見て、俺にはそんなものでは満足感は無いだろうと知っていた。
社会に洗脳されているうちは、な~んにも自分らしい楽しみなど味わうこともないと自覚があった。
当時のサラリーマンと、いまのサラリーマンの収入はほとんど変わってない。
それなのに住宅ローンの借入額は1.5倍くらいに膨らんでいる。
社会での足枷の重さが、増えているだけの話だ。
当時でも3000万円くらいの借り入れにしとけよ! と、よく言っていたもんだが、今や5000万円くらいの借り入れを平気な顔して皆さんは抱え込んでいる。
牢獄に自分たちから入っていってるようなもんだ。
金が欲しい、金持ちになりたい、大きな家に住みたい、高級車が欲しい、ブランド物で着飾りたい、毎日まいにち美味しいモノを食べて、楽していたい・・・こういう浅はかな猿の根拠で日常を生きて居る獣は、人間ではなく、猿の変異種、たとえ金が手に入ったとしても、幸せなど手には入らない。
実際に、金持ち財産家や資産家の日常の生活や精神状態を知っていないからこそ、猿らしく憧れているだけ。
そんなことよりも自分自身の独りでも悠々と楽しめる時間を作る方が、大事なことだ。
銀座や青山で40年近く不動産屋をやってるオヤジが言うのだから、はっきり答えは出て居るさ。
次から次へと湧いて来る猿の変異種は、ネットメディアを舞台にして、猿らしく猿知恵を働かせて強引なことばかりやっているが、じきに哀れな囲われ猿になり果てる。
その程度の猿でしか無い癖に、金など持たない方が利口だろう。
自分を知らないまんまの偽物は逆立ちしても偽物、一代二代ですべてはご破算になる。
手にした金はナニに? ナンの為に使うのか? そこまでキチンと考えてなければ、ただの泡だ。
その為に日常の時間を費やして、悪さをしてまで儲けようとする。
可哀相だが、老後まで見透かされてしまってる。
そういう短絡的な阿呆ばかり、青山や銀座にもぎょうさんおるがな。
金や財産の額で人間の価値が決まっているのならば、さぞかし幸せなんだろうがね。
俺のまわりの人間は、相手の日常生活をジッと観察して、どう生きているのかで相手のことを判断する。
金や財産を持っていたって、孤立してまともな取り巻きもいない猿の衆なんざ、最初から眼中にはない。
ましてや世界の価値の大転換期真っ盛りに、そんな呑気なことではオツムもパッパラパ~。
そろそろ飽きて来ないの?
なんだかな~、地球や宇宙がくしゃみをするだけで木っ端みじんとなる癖に、哀れなもんだわさ。