オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

おかしなおかしな人間社会で遊ぶ

2018-12-30 10:39:17 | 地球と生きる

 

 仕事は今日でやめとくわい。

 利他主義だとかキレイゴトを抜かして上場して居った不動産屋が銀座にも居るが、顧客を放置したまんま、連絡もないまんま、自分らの休暇にとっとと入っておるが・・・これが日銀の買い支えてる日本の上場企業の実態だな。

 笑えもせんがな。

 

 トランプの続けているアメリカ国内の好戦派の排除が、来年には終わるだろう。

 世界中で戦争とテロを仕組んでは利益を上げていた軍需産業と大メディア群の解体が、終わる。

 醜い自作自演のゲームは終了する。

 新しい世界の秩序は、トランプの黒幕が既に動いてる通り、ロシアと中国が中心になって構築して行くだろう。

 馬鹿で乱暴なドンキホーテを演じ続けてるトランプは、良い役者ではある。

 ただ、新しい秩序はハッピーだとは限らない。

 特に我がイエローモンキー国家にとっては、悲劇を生むかも知れない。

 国民がそれを許している以上は、仕方のないことだろう。

 

 地球は活動期に入っている。

 温暖化という資本主義での身勝手な解釈とは別個に、地球は活動期に入っており、地球の歴史で言えばほんの一瞬しかまだ生きてない人類の経験則では理解できない、そんな異常なことがどんどん起きて来る。

 すべてが想定外のことになる。

 知識や経験がない大人たちが、滑稽な醜態を晒してる社会とおんなじさ。

 ながく山や海で遊び呆けてる連中の間では、すでに以前からこの地球の異常気象については頻繁に話題になってる。

 海でも不思議なことがたくさん増えてるし、山でもそれはたくさんある。

 学者たちがパソコンの前から離れ、そんな山や海で遊び呆けてる連中の話を聞きに来るようになれば、もっと学問も進むんだろうが、残念ながら、現代の学者や専門家は、覗き見と又聞きがその日常の仕事になり果てて居る。

 どうしようもないのは、そんな薄っぺらい自己満足で過ごしてる社会そのものだ。

 来年はもっと地球の変動に人類は引っかき回される年になる、これは想定内の話。

 そうして人間の社会も、すでにグチャグチャになってしまってる価値観がもっとグチャグチャになって行く。

 それでエエんやで、そうやって時間をかけて変わるしか、人類の価値観は変われない。

 

 恋愛がうまくいかないとか、仕事がうまくいかないとか、後を引かないようにやっておっても、人間のやることには流れというものがある。

 逆らえない流れというと語弊があるけんども、独りで山奥で淡々と暮らしてる訳ではない社会では、そんな群れの作る流れに身を翻弄されてしまうこともある。

 これは歳をとっても、普通にある。

 そんなときは、ナニもしないことが一番、自然で良い。

 神や仏なぞいるもんでもなく、他人や社会だって頼りにはならない。

 ジッとやる気なくして、笑ってボ~っと山や海で遊んでるしかない。

 そうして過ごしてるうちに、また流れが変わって来る。

 時間しか、解決法は無いとも言える。

 銀行屋だった親の定めで転居の多かった俺のガキの時代、転居の話を聞くとそうやって過ごしておったわ。

 余計な動きはしないに限る。

 日本人で生まれたいじょう、山や海はどこへ行ってもある。

 遊びには、困らない。

 

 自分の子供ですら、どう接すれば良いのか解らなくなってる間抜けな親は多い。

 思春期や反抗期になればなおさらに、あとで解消できないような距離を作ってしまってる。

 俺は俺自身が、家にも寄り付かないとんでもない激しい思春期を過ごしたもんだったから・・・

 ・・・おい、お前には腹違いの兄ちゃんや姉ちゃんがおるんやで・・・

 日常の会話の中で、普通に思春期を迎えてる子供に話してやって居る。

 ・・・おい、お前には腹違いの弟がいるんだよ

 普通に飾り事も無く、臆面もなく話してやって居る。

 みな、一瞬はギョッとなるが・・・たいした問題じゃ~ない、俺の生き様だ。

 そんな父親の子供として、みなずっとキチンと遊んで育てて来てるから、別に距離もナニもありゃ~しない。

 嫌になるほど俺の吐く息を顔にかけ、嫌になるほど抱き締めてやって、体温を共有してやってる。

 ・・・今度紹介してやるから一緒に遊ぼうぜ!!

 またまたギョッとしてるが、関係ない。

 そこでも普通に遊んでる。

 この夏に4人で遊んだときは面白かった。

 ・・・考えてみれば、お前らはみなスポーツ・クラブのキャプテンだな~、さすが俺の子だな~

 息子たちはみな、学校最後の運動会では騎馬戦の大将になっておる。

 時代も学校も取り巻く環境も違うのに、それぞれが人間の集団で生きる術を身に付けてしまってる。

 みな平等に可愛いことに違いはなく、誰かだけということもなく、俺は俺でまた自分の残った生を生きて行くだけのことで、忙しい。

 当然に、それぞれはたくさん壁にぶち当たり、若気の至りを繰り返すだろうけんども、生きるとは、そういうことだし、それが愉しめるようになって欲しいといつも願っている。

 素敵で優しい爺様には、なりようがない。

 若い頃は決別ばかりだったが、いまはそのまんまで良いと思うようになった。

 自然で良いじゃ~ないか?

 自分が何度も死にそうになって、終わりを意識することが多くなると、自然で良い、そう想うことばかりになった。

 余計なお世話なことばかりが多い現代では、この自然で居ること自体が、難しい。

 

 今夜から、片道1000キロのドライブに出かける。

 免許をとったばかりの息子と出掛けるわけだが、日本中で周旋屋をやってきた俺には別にナニも感動はないし、毎週のように往復5~600キロ、山の行き帰りで走ってる爺ィには新鮮なことはなにもないが、景色の変化は愉しめるわけだ。

 あちこちでなんか美味いモノを喰う。

 地元の奴らにちょっかいを出す。

 若いうちには、自分の生まれた国を目に焼き付ける、これも大事なことには違いない。

 すぐに海外のパンフレット通りの観光に出掛けてる阿呆にはなって欲しくない。

 オリジナルの生を、自分で作って行って欲しい、これはどの子にもおなじ願いだ。

 時間や人間社会に煽られたり、振り回される大人にはなって欲しくはない。

 こんな無味無臭の洗脳されてる土人ばかりの国で生きるには、ゆっくりで良い。

 自分の足型に凝るくらいで丁度良い。

 ただ、その足型の向かう先のことは、自分でいつも考えておけ。

 どんな形であれ、命を繋ぐことを忘れるな・・・そういうことだな。

 

 いよいよ仕事納めなどナニもなくなって普通どおり、新年のためにナニかをすることもなくなって、年賀もやめにしたから悠々と、簡素に合理的にが研ぎ澄まされて、自由自在に、なるように生きる、そうなった。

 またさ、来年はもっと簡単に単純に生きようと想う。

 神や仏の峠を越えてしまうと、あとは笹原の快適な尾根の道。


暴露されて困る私生活を生きる猿

2018-12-28 10:40:31 | 地球と生きる

 

 レンゲの畑がなくなってる。

 俺がガキの頃は、小学校への行き帰りでも、そんな鮮やかなレンゲ畑を走り抜けておったもんだが、いまやどこの田舎道を通っても、レンゲ畑など見ることもなくなってる。

 恋文にも、レンゲの花のことを書いておった覚えがあったが・・・。

 

 静かな山村では、むかしは軒下にガマの焼き干しを見ることもあったが、それもなくなってる。

 オスとメスのガマが夢中になって愛し合ってる最中のものを無造作に掴み取り、愛し合ったまんまの二匹のガマを串刺しに焼いて干してぶら下げて、そんな美味を味合うこともなくなってる。

 残酷と言えば残酷だが、満月の夜、産卵する生き物を食い散らかしてることを想えば、美味なのは頷ける。

 鶏卵やイクラや数の子にキャビアと言った食物は、まだ卵のうちに人間に喰われてしまっておる。

 痩せガエル、喰えもしない痩せガエル、喰われるくらいに太ってみたい・・・とさ。

 

 ・・・秘密をばらすぞ!

 ・・・密約を公表するぞ!

 ・・・メディアはこっちの味方だ!

 こういう幼稚なセリフの前で、黙り込んでしまって、困窮する大人が多いのは戦後からずっとだ。

 大人社会のあちこちで普通にある話だし、子供の世界でもずっとある笑い話だ。

 自分がやられたら一番に困ると思うことを、相手にやろうとする、自らの弱点の暴露でもある笑い話。

 その程度のことで、あんたは困るの?? そういう笑い話。

 ならば堂々とあからさまに生きて、逆に他人のそこを突いておれば怖いモノはなくなる、そんだけのこと。

 女や子供を人質にとるのは戦争ではよくやってる姑息な戦略だが・・・あ~、好きにしろよ! 俺とは別個の生き物だから、気にすることも無い・・・そう言い放って返して、逆に同じことを相手にしてやればイチコロになる。

 強がりとか、我慢ではなくって、それがごく普通の心持ちで生きて居れば、なんということもない。

 俺はそう生きて居る。

 そう生きて居れる場所を自分で作り上げてきた。

 そう生きるべしと、女や子供にも言っている。

 ところがそうやって社会の中で秘密を隠し合って生きてる阿呆が多いから、そこに商売や政治にメディアまでが絡まってきて、こんな閉塞感満載の社会に成り下がっている。

 女や子供が一人だけだから、それに無意味に固執して、ムキになってしまうのは、戦国時代からの普通の光景だ。

 そこに悲劇が作られて、煽られて、先入観に屈服してしまってるド阿呆ばかり。

 黙ってようぜ! 黙ってるついでにそれで儲けようぜ! 他もそれで脅して仲間を増やそうぜ! 

 調略・騙されやすい体質の人間の常。

 良い時期はそれで良い、社会全体が、国全体がリズムを狂わしてくるとそれが致命傷になる。

 みっともない私生活のばらし合い、覗き見・盗聴・スパイ合戦。

 堂々とあからさまに生きて居れば、そんな場所に居ても飄々と笑って居れる。

 人間の社会なんて、滑稽なもんだぜ。

 あいつはナニを言ってもダメだし、すでにぶっ飛んで生きてるから効果などナニも無い、それが一番。

 現代のメディアを賑わしてる下らない事象のひとつに、不倫だとか浮気だとかがある。

 いつもそこでキチンと子供を作り、みな群れやグループのなかでもリーダーシップを取れるように育て上げておれば、ナニも言われることもない。

 逃げて、嘘ついて、陰でコソコソするから話がややこしくなってるだけの猿の騒動だ。

 俺はそうやって黙って生きて来た。

 結果を見てくれればそれで良い。

 それを批判する資格のある者は、いるのか? みな食わして来てる。

 群れや社会とは、自分の結果などナニも無いくせに、目立つ他人にはそれを厳しく求める性質がある。

 すくなくとも、あんたらのやってる一人や二人の子育てよりは、俺の方が人間としては遥かに完成度は高い。

 そこから先は、それぞれのことだ。

 俺はガキの頃、まず人間として弱みを持たない立ち位置で生きようと想ったもんだった。

 その為に、どういう自己主張をしてゆくのかは、おのずと解っておった。

 小学校ですでに転校6回を経験して居っても、いつもみなの中心に自分の居場所を作れておった。

 そのくせいつでも独りになれる覚悟もしておった。

 群れや社会で生きる、ただの簡単な方法論ではある。

 そんなとこに、俺にとっての大事な話はなかった。

 退屈な時間潰しの話だったな。

 ヒソヒソ話しか出来ない奴らは、じきに寄ってこなくなる。

 

 誕生日に、親にプレゼントをねだる風習は、健康な人間社会のモノではない。

 誕生日に俺は親に感謝している、産んで育ててくれてありがとうと、そういう日なんだって、誰も言わないね。

 だから・・・生まれて来たくて生まれたんではない!! という論法が出来上がる。

 悪さしたら親や社会が悪いんだと、いずれは保険や保証に入ってるから・・・人を殺しても良いでしょ?

 先や結論が見えている行動原理を止めずに続けさせてる大人社会には、うんざりする。

 そういうことを考え始めて、かれこれ半世紀を過ぎている。

 

 子供がまだ小さい折に、毎年のように沖縄に旅行に出掛けておった銀座の母子家庭の二組がおって、その内容を聞いておったら腹が立ってきて、一度その3泊4日の日程の頭の1泊2日だけ付き合ってやろうとなり、費用はぜんぶお前らで持てよ! ということで付き合ったこともあった。

 レンタカーを借りてやって2日間で沖縄のめぼしいところは全部まわってやったが、行動しない親の元に育ってる子供らは、たくさん思い出を目に焼き付けたことだったろう。

 先頭になってサンゴの海を泳いでやったり、親が子に見せてやらなければいけないことを、親に見せてやった。

 ゼニカネ出して他人頼み、親からまず教育しなければいけないのが、現代の育児の実態だ。

 地球のこと、日本のこと、な~んも知らんで、どうやって子供らを育てるつもりなのか?

 帰りは当然、オストメイトの俺はスーパーシートだったろう。

 身体に障害を負っても、やってることはそんなことばかり、オジサン、呆れ返ってひっくり返るがな。

 ゼニカネ持っておってもそんなこと、可哀相なのは子供らのことだ。

 

 今年も30日までは銀座の店にいるかな・・・。


山では寒波が来て、咲く梅もある

2018-12-27 11:46:31 | 地球と生きる

 

鯨は哺乳類だから食べてはいけないとか、ならば牛や豚はどうなんだとか、日本人という島国で生きて来た歴史を考えることから離れてしまって、世界標準だとかグローバル化だとか抜かしておるうちに、日本と言う国のことが、ナニがなんだか解らなくなってるのが現代の日本人だろう。

ソクラテスから、やり直した方がエエんとちゃうか?

西暦を頑なに守って時間軸にして生活してる訳は?

怪しい明治維新によって、天皇家の宗教が仏教から神道へと簡単に変わってるが、それについての抵抗すら皇族からはなかった訳は? 血は絶えておるのではないのか? そんな解釈がないのと同じで、訳がわからないことがずっと続いてるうちに、みなオツムがテンテン、猫の顔洗いばかりになってる。

猫は興奮を抑えたり、感情を隠すとき、のんびりと、しかし頻繁に毛づくろいを始めたり顔を洗い始める。

本当は不信と不安のカモフラージュと言う奴だな。

 

海外留学や海外赴任の後に帰国した連中のほとんどが、海外では日本という国の話が出来なかったという現実を抱えて、阿呆面さげて帰国してる。

なんでもそうだけんども、まず自分の日常生活の価値観をしっかりと持つこと、それが最優先にしなければいけないことだが、それをおざなりにして、空虚な群れに流されるまんま生きて来てる日本人は、日本を語れない。

アクシデントが日常に起きて判断を急かされるとパニックになり、自分では即答ができなくなる猿の病だ。

自分を語れないのに、自己主張など出来るものでもなく、増して日本を語れる訳がない。

日本を語れないのに、ナニが世界標準だ? グローバル化だ? 俺は若い頃から随分と笑わせてもらってる。

エコノミック・アニマルと呼ばれた世代が、今の60歳後半から80歳くらいまでの世代だった。

海外の彼女の元へ一人で出掛けておった俺は、嫌というほどにそんな阿呆どもの群れて大騒ぎする下半身猿を見た。

とうとう、日本と言う国も国家の体を為さなくなってしまってる、それを痛感したもんだった。

世界のなかで、どういう国なのか? が無い。

地球上でどういう人類の種で生きているのか? が無い。

歴史も捏造と創作、自作自演と自画自賛だけで誤魔化すことも難しくなってる。

役者の粒が酷すぎる矮小さ、それだけでも行き詰まっている。

子供にすら説明のつかないことを、大人社会や国家が平気でやっている。

これは日本だけの話でもないだろうが、島国の日本は特に閉鎖的に劣化して、愚民ばかりが大量生産され、大量消費の役回りを見事に演じさせられている猿、だ。

 

まず日本と言う国の本当のことを知ること、それが教育に無い。

色付けされて教科書に載ってる日本や、煽るようにメディアで語られてる日本ではなくって、本当に知りたいと思う日本のことは、自分の目で確認して歩く作業から始めるべきだろう。

情報は自分で集め、解釈は自分でする、すべてセットで売ってる日本を、コンビニで買うのでは駄目だ。

猿真似の上手い下手だけがアジアの優劣なのか?

西洋の歴史ですら、キリスト教やユダヤ教の歴史ですら根本からその信憑性が揺らいでいるいま、人類の歴史だって怪しいものだと考える時期になっている。

俺が20歳の頃に想っておったこと、人類そのものの価値観の大転換期がやってきてる。

金儲けだの、人間同士の優劣だの、国家間の争いだの、猿に教えたら死ぬまでやってるという自慰にしか過ぎず、宇宙の中の地球、地球の表層で生きる人類、そういう流れでモノを考えて・・・では、宇宙のなかで人間として生きるとは?・・・そういう大命題を、いままた考える時が来てる。

俺の60年そのものでもある。

ガキの頃からそれを考えている。

考えるだけでは自分とは言えず、生きて見せることが自分の確立、確立した自分でまた次を生き、生きながらにしてまた自分を考え、その繰り返しがいまの俺ではある。

ナニをして喰ってるかなんてことは、余禄でしかない。

余禄でも、自分で生きるためには自分で食い扶持は作らなければならない。

いわゆる狩猟、人間は、餌を待っている飼育豚ではない。

すなわち自立してる自営が人類として当たり前の姿。

公務員やサラリーマンや投資家のままでは、自分として前には進まない。

操り人形、そう言っても良い。

生きて居る日常の時間のすべてを、自分を知るために費やすには、自営しかない。

人間って~なんだろうか? 人類って~なんだろうか? 現実を生きる自分を介して知るしかない。

 

世界はすべて自分の内にしかない、これは有名な哲学者の言った言葉だが、当たり前の真実だろう。

自分の知る世界は、自分の認識する世界でしかなく、本当の世界では有り得ない。

知識や経験の少ない者の知ってる世界は、ごくごく小さく歪んだ世界でしかない。

人間の知能という機能の話だが、ではその認識を果ても無く拡大してゆけば、本当のことを知り得るのか? 

それは経験を伴いながら拡大してゆかなければ、仮想や空想の世界へと離れて行ってしまう。

現代のネット覗き見・又聞き社会がその典型だろう。

むかし山岳信仰に生きた山伏や修験者の中には、そこまで自分を消化しようと生きた者も多かったが、しょせんそれは社会という群れからは遮断された世界でのことだった。

人間として、人類として生きることとは別個の話になってしまってた。

17歳の頃、俺は禅寺で修行に入った時期があったが、毎晩のように禅僧と向かい合って話をしておるときに、すでに出家という、隔絶された世界では駄目だと確信しておった。

ナニが駄目なのか? 俺が知りたい人間として生きるということ、それを知るためにはあくまでも社会の中に居なければ意味を為さない、そう想ったもんだった。

それから半世紀近く、いろんなことをして生きて来た。

そのひとつひとつのことは、どうでもいいこと。

喰う為に、生きる為にイロイロやってきた方法論でしかない。

そうして人間のオスとして、あちこちに子を産ませそれぞれ育てあげてきたことも、刹那刹那の戯れにも似てる。

ただそれは戯れではあるが、それぞれに大きな意味があった。

その都度に、自分というオスを知る学習にはなった。

他人や社会はどう動き、自分はそのなかでどう生きるのか? 

常識や良識という曖昧なモノに捉われない生は、つねにそんな場所で摩擦と熱を起こしている。

そこで変わって行く自分に、またまた気が付く訳だ。

そうやって60年、ひたすらに自分の内なる世界を広げるために生きて来た俺の見てる世界は、果てしも無く広く、自由自在で、素敵と言う言葉では表せないほどに、悔いのない素晴らしい世界だ。

たぶん、皆さんの見ている世界とは随分と違っている。

 

さ~、本厄で仕事ではロクなことがなかった一年だったけんども、山や海ではとことん遊び呆けてやった。

歳男だった筈なのに、仕事ではロクなことがなかったけんども、子供らとはまたいろいろと愉しいことがあった。

生きてる方法論では、うまくいかないことの方が多いが、生きてる実感は満喫している。

たかだか100年も生きれない人間の命の時間をどう使うかは、あなたしだい。

 

・・・なにが愉しくて生きてるの? 

子供の純粋な問いに、あなたは自分の生を振り返って答えれるのか?

俺はさ、いくらでも答えを持っている。

それも常に言葉ではなく、行動を持って答えてやれる・・・とびきりの奴を・・・さ。


もう年賀状も年賀メールもやめだ

2018-12-26 11:13:28 | 地球と生きる

 

 今年は、田舎の軒先で作った干し柿が美味い。

 干し芋も美味いし、良い感じやな・・・

 

 ダウン症の子供を連れて山を歩いている親もいる。

 山や海に連れて行くと、表情が豊かになる、人間の獣の本能がそれに反応して、刺激になるんだろう。

 俺にはよく解る。

 ただ、独りで気ままに山を歩くよりもはるかに危険は多い。

 危ない場所は一緒に歩いてやってる山好きもいる。

 人のいない山や海には、そんな都会では見られない色んな出会いや景色がある。

 

 北の果て網走に相続した土地や建物をいろいろ持ってるお婆さんがおって、銀座の近所に住まいをお世話してあげたことへの感謝の度合いが凄くって、毎日のように色んなモノを頂いてる。

 ・・・こんなに毎日いただいておったら、喰いきれないしデブってしまうよ、もう気にしなくって良いから!

 今は80歳も近くなった老人には賃貸マンションは借りられないことが多く、連帯保証人不要の保証会社だって70歳超えると保証してはくれないから、いかに財産持っておっても、銀座ではなかなか住居は借りられない。

 素朴な出で立ちでどう見てもお金持ちには見えない老人だと、余計にそうなってる。

 それが銀座で唯一のタワーマンションに住めることになってよほどに嬉しいらしいが、毎日だと俺も満腹。

 ・・・田舎者だからね~、美味しいモノを食べるとあげたくなるんですよ~

 一昨日は数の子、昨日は北海の珍味、今日は三越で売ってた干し柿、どれも良い値段のするものばかりだ。

 世田谷にも土地や家屋を持っておられて、来年は銀座に住居を買いたいという。

 当社は大手企業じゃ~ないから、逆にこういう本当のお金持ちの顧客は昔から多い。

 テレビやネットで騒いでるレベルの、ポッと出の成金とは訳が違う方々だから、そんなミ~ちゃんハ~ちゃんな価値観で見てると解らないし見抜けないことだろう。

 昭和の大金持ちって、こういう人たちが多かった。

 平屋の簡素な家に住んでおって、大富豪、そういう話はごまんとあった。

 2億の新築一戸建てに紙袋二つぶら下げて下駄ばきでやってきて・・・買うわ!って、紙袋にはキャッシュ。

 現代のブランド品を売ってる店の従業員や、デパートの店員らには、見抜けないだろう。

 外観でそれと解る連中のことを成金と言う。

 周囲の目など気にしない、そういう自分の価値観で自信を持って日々を愉しく過ごしてる者を、金持ちという。

 ・・・ベンツやBMWなど、事務員が乗ってた車だよな~・・・不動産バブルを過ごした俺のまわりでは、そんな会話が普通だけんども、いまでもそんな醜い成金趣味が続いてる。

 この20年のファンドバブルから続いてる、安い見世物だ。

 金を稼ぎたい! お金持ちになりたい! で、夢がかなってもそんな程度の退屈な日々。

 竹中や小泉が始めたニセモノ作りの延長が、アベノミクス、そんだけのことさ。

 バブルの中身も猿の素行も、小粒になってる。

 ・・・なにが楽しくて、そんな見世物になって日々を過ごして居るんだろうか?

 しょせん、自分の価値観や生き様を持ってない、モノマネ猿の上手・下手の話でしかない。

 若い人たちにも、そんなのを見かけると、哀しくなるね。

 30年も40年も前の、俺なんかは否定してた古臭い人類の生だ。

 そんなことなら、人類は原始人の時代からナニも進化などしてはおらんだろう。

 

 小学生への性教育については、国も都も教育委員会も学校の先生もPTAですら恥ずかしいくらいに遅れてる。

 この夏前にも、小学校6年生のカップルが妊娠して、周囲の認識不足と本人たちの知識不足で発覚が遅れたために大騒動になっておったことを書いたが、サンタクロース・ゴッコにうつつを抜かしてる大人社会とは裏腹に、子供らの日常の実態ははるかに進んでいる。

 学校や親の性教育があやふやで誤魔化しばかりだから、俺んとこにはそういう質問を抱えた子供らがやってくる。

 エエ恰好ばかりしてる大人社会は、そろそろ現実の前で粉々になるお時間が来てる。

 テレビや新聞やネットのニュースなんて、いまや現実のはるか後塵をかぶって腐り果てておるわい。

 キチンと現実を自分の目で確認もしてないくせに、又聞きと覗き見だけで生きてるメディア社会、現実の社会をキチンと知りもしないで偉そうにドキュメンタリーなんざ作ってる場合か? 滑稽な奴らだ。

 小さな世界で日々を生きて居る大人、専門職の世界で日々を生きて居る大人、画面だけを覗いて生きて居る大人、そんな大人たちの思考や感情や知識は猫の脳ミソの類で、実際の現実がナニも見えてはいないから会話にもならん。

 ・・・あんた、ナニを言ってんの? 

 ・・・あんた、ナニをやってんの?

 そういう大人社会の狂騒は、歌にもダンスにもならんだろうが、子供らの現実は関係なしに進んでる。

 

 山や海で、たくさん数えきれないほどの思い出を作ってやること、俺はそうやって子供らを育てて来た。

 まわりの連中も巻き込んで、一緒に連れて行ってやることも多いけんども、いつも感じることは、他の親はナニをして子供らと接しているんだろうか? その一言。

 日本の素敵な四季のある山や海で、愉しい思い出をたいして持ってない。

 俺が連れて行ったことが、いままでで一番の思い出になる、寂しい話だ。

 偉そうに教育や進学を論じるのは勝手だが、大事なことを忘れてる大人社会、なんか変じゃ~ないか?

 年に1~2回のありきたりの家族旅行、そんだけ? 

 豊かな感性は、豊かな経験、豊かな時間の使い方、豊かな楽しみによって育まれる。

 大自然の中での笑いがさ、ぜんぜん足りないよ。


リハビリ登山?初心者?それで?

2018-12-25 11:14:43 | 地球と生きる

 

 山に入って・・・私は初心者、リハビリ登山ですの・・・自分から言って来る阿呆も相変わらず多いが・・・俺はベテランだから、詳しいから・・・という喧しい連中も多い。

 どういう立ち場で、どういう肩書で、どういう状況で歩いておろうとも、なんでもエエがな・・・そういうことだ。

 誰も、わざわざお前さんに会いに来てるわけじゃ~ね~がな・・・自意識過剰とは、そういう奴らのことを言う。

 インストラクターだの、山岳ガイドだのと言ったところで、俺のまわりにもいるが、別にウルトラマンじゃない。

 道を知っている、山を知っている、天気を知っている、経験があるだけの話で、それも外すこともあればお見事ずっこけてることもある。

 家じゃ~母ちゃんや娘に邪魔モノ扱いされてるようなのに限って、山では偉そうな顔してほざいてる。

 歩くこと自体は、みな出来て当たり前。

 街を歩いて居って・・・俺はベテランだぞ!! って威張ってる馬鹿はおらんだろう。

 逆に・・・初心者だから・・・と、道を譲ってる馬鹿もおらんだろう。

 都会では、言い訳作りと逃げ道作りの生活が沁みついてる大人社会ではあるが、自然のなかではみな平等だ。

 百名山に登ってるのが偉くて、里山はダメ? 北アルプスは偉くて長瀞アルプスはダメ? そんなおかしな価値観などあるものでもなく、俺なんざ逆に百しか名山を知らない馬鹿!! と呼んでるくらいのことだ。

 オストメイトになって3カ月位で里山歩きから再開したけんども、幼稚園児のハイキング集団に抜かれたときでも、俺は自分のペースを崩すことなく歩いておった。

 言い訳や見栄やはったりはいらんから、自然にあるがまんまに愉しめない奴は、しょせん長くは山に居ない。

 能書きはいらんから、黙って山を愉しめや、海を愉しめや。

 

 ・・・この3年間だけ見ても、お前はな~んも変わらない退屈な時間を過ごしておったが、俺は地獄のような日々を送って来てる、わかってんのか?

 ・・・わかってますよ、どうせ何のために生きてるのかわからないような、ボケ野郎ということですよ

 ・・・そうだ、女房の実家のそばに暮らして、子供すら作れね~で、よくよく考えてみろよ、お前は孤児どうぜんで親戚から遠縁へと苦労してきたっていうのによ、50過ぎていまだにナニも愉しみがないじゃないか?

 ・・・ま~ま~ね、そりゃ~そうだけどもね~

 ・・・そうだ、そこでだ、五竜の山小屋に行って来て、酒が好き!山が好き!のTシャツを買って来てくれ!

 ・・・え~~、そりゃ~無理だよ、日帰りじゃ~無理じゃん、ま~た訳のわからんこと言いくさって・・・

 ・・・どうせさ、何のために生きてるのか解らない男の人生じゃ~ないか、俺のために死んでこい!

 ・・・え~~、そりゃ~さ、たいした人生じゃ~なかったけどさ・・・

 ・・・ちゃんと、どこぞの高い素敵な山の頂で、お前の供養はちゃんとしてやっからよ!!

 ・・・寝ないで言って来いと? この冬山の時期に?? そりゃ~無理でしょうよ

 ・・・いいか、何十年もこの世界でお前のような退屈な野郎とずっと付き合って来てやってんだぞ!

 ということで、可愛い山馬鹿の後輩は出掛けていったものなのかどうか、ま~だ連絡はない。

 

 茨城の奥久慈男体山の男坂を、毎日のように登ってるオヤジがおったが・・・おめ~よ、週一の山歩きじゃ~身体は老いてくだけよ、歩け!歩け! 

 お洒落なハーネスやスリングやカラビナではなくって、林業作業用の重量感のある道具を腰にぶら下げて、派手な音をジャラジャラさせて鎖場を登り降りしておった。

 銀座周辺にも、俺の知ってるだけでも通勤と称して、毎日歩いて浅草や両国まで行き来してる爺様が三人はいる。

 どいつもこいつも、みな歩けや!

 

 金曜の夜はいつものようにアメリカ市場を眺めながらの就寝スタイルだったが、寝不足になった。

 とうとう、アメリカ市場のVIX指数が30を超えたからではなくって、年末年始の移動する先の天気予報をしておったからだが・・・。

 長短金利逆転でシグナルが灯っておったことは書いたが、これで今年のクリスマスの様相が変わったろう。

 成金・ゼニカネ亡者、儲けてなにに使うのか? 単なる高額消費? 真似の上手な猿やんけ・・・の皆さま方へ、素敵なクリスマス・プレゼント。

 わが国ではオリンピックまではもたないだろうと巷で言われ始めてるときに、大阪で万博が決まり、経済は自転車を漕ぐがごとしとは30数年前の不動産バブル時にそのド真ん中で見た光景だったが、安易に電動自転車にしたばっかりにスピードは出過ぎてしまっておって、どうやって止まるんだろうか? と興味津々だ。

 そうして昨夜はまたまた勢いよくアメリカ市場は落ちておって、VIXも36を超えて終わってる。

 今夜のアメリカはお休み、今日・明日の日銀の買い支えがどの程度なのかが笑えるが・・・え? 買い支え枠を使い切ってるの? そうそう年金もあるじゃんか? 株式の含み益なんざ落ちたら一瞬、そんなゲームに日夜時間を無駄に費やして、大自然の大きな変化には目を向けない、変な人間ばかりだ。

 自営を長くやってきてると、嘘臭い経済ゴッコなんざ興味もない、屁にもならない夢幻。

 そんなことなら山や海で遊んでる、30数年前の不動産バブル大崩壊時にも、俺はそのド真ん中にいながらもそんな生き方を貫いてきたもんだ。

 オチャラケの蔓延ってる現実社会では、作りモノのイルミネーションなんざ停電になればすべてがオジャンの闇市さ。

 まだまだトランプのアメリカ覇権破壊と放棄は続いて行く。

 こんな株式急落なんざ、年末年始には戻してしまうだろうし、まだまだ大破綻までは行かないだろうよ。

 ただ、みみっち~ゼニカネ守銭奴たちの真剣な顔を見てると、愉しい年末年始になりそうだわさ。

 

 仕事は暇こいてもっと稼げと、あちこちの扶養家族には尻を叩かれてはおるが・・・

 東京タワーも60歳で3日間は真っ赤になっておったが、同級生の俺は・・・今年は本厄だったからんの~~~