ヒデさんは、時々大きな風呂敷包みを背負い歩いて、
「番頭はんと丁稚どん」が出て来そうな感じでした。
義兄の話によると『娑婆にいるより、務所に入っている方が長いって云うんだから、驚くよ。務所の仕来たりなんか細かい事まで詳しくてさ~、あ~云う奴が務所に入るとオオエバリ、だから牢名主だな。小悪党の方が、エバルんだ』
へ~そうなんだ。
『あいつの本業は泥棒、それも安物は取らない。大きな呉服店の高級な着物専門、店の目星を付けるだろ、入り口を見ると、裏口が分かると云うから驚きだよ。品物を運び出す時、どこから出すか入る前に頭の中に入れるそうだ』
当時、夜の女性達を「夜の蝶」と呼んでいました。
夜の蝶でも、着物を着ている女性達は格上です。
今もそうですが、夜の蝶だけでなく、芸者さんや日舞の人達にも着物は必需品です。
その女性達に、着物や帯、羽織などを仕入れていました。
ヒデさんは、女性達に直接売りません。最終販売先の女性達を集められるお客さん達を集め、その人達に定価の3割位で売っていました。買った人達は、6~7割位で女性達に売ります。売った男性は、女性達の店に通い、お金を落とします。
良い循環でしょ?
僕が20歳の頃、池袋産業通りがあり、産業地がありました。
夜歩いた事はありませんでしたが、この呼び名、名前は知っていました。
当時は、怪しい場所だと思っていました。
当時義兄は、この場所でも親しまれていました。