ひねくれ亭日常

散歩と徘徊が日常の独り言

フリーランスの悲惨な末路 

2021-01-10 18:30:28 | 三流カメラマン

フリーになったのはバブルの始まりの頃。

それ以前は余程の実力者じゃない限りフリーになるなんて考えられなかった。

誰もが気軽にフリーを名乗る時代がやって来たが中にはインチキ臭い奴も沢山いたのだ。

酷い輩はカメラも持っていないのにカメラマンを名乗るから驚く。

一応カメラマンの端くれではあるがやった事も無いしそのスキルも無い分野の撮影が出来ると法螺を吹く。

つまりカタリ、はったり、嘘八百で業界を渡り歩く奴らだ。

写真界としてはある程度知名度の高い人でもこんな”先生”は沢山いたのだ。

「僕はトルコの大学で写真の講義をしているんだよ。英語とトルコ語でね」

朝日新聞社から写真集を出した人だが、勿論彼は英語もトルコ語も出来ない。

いい加減な分野でもあったがその分エネルギッシュだった気がする。

当時の写真界は面白かったと思う、今よりは。

或る有名なカメラマンは無名時代、機材すら殆ど持っていなかったが有名新聞社を訪れこう言い放つ。

「俺は○○地帯の専門家で面白い記事と写真を提供出来るから金をくれ」

余程弁舌がたくみだったのか彼はかなりの資金とフィルムを100本手にしたのである。

その金で初めて海外取材へ行きそれが切っ掛けで売れっ子になったのだ。

嘘から出た真とはまさにこれだろう。

まあ今では絶対にあり得ない話だが昔はおおらかだった。

 

 



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