ひねくれ亭日常

散歩と徘徊が日常の独り言

立川談志と柳家小さん

2020-12-31 11:45:41 | 落語

小さんと談志が修復しがたい関係に陥ったのは弟子である談志に問題があったからだ。

元々仲は悪くなかった様でどちらかというと師匠小さんが問題児を長い目で見るそんな関係だ。

立川流を名乗り破門されてからは完全に関係が絶たれたが談志は師匠の事を意識していた節がある。

「もしも小さんが”俺が悪かった”と謝って来たらどうするか解らんねえ」

つまり師匠小さんが手をついて謝ったら俺は許すかもしれない、いや許すというのだが何とも談志らしい。

小さんに瑕疵は無い。

勿論謝る道理も無い。

師匠に手をついて詫びるのは談志の方なのだ。

小さんは談志を破門したのち彼について語る事は無かったようだが周囲は違う。

小さんの孫である柳家花緑は

「談志さんにはおじいちゃんにきちんと謝って欲しい」

と公言していた。

もしも談志が謝ったら(謝る訳はないが)恐らく小さんは許したんだろうなあ。

鷹揚な人だから。

不器用な弟子と師匠の関係だった。


犬がいなくなって泣いた日

2020-12-30 12:05:23 | 

生まれた時から家に犬がいた。

最初は柴系雑種の小柄な雄、二代目は少し太めの雑種赤犬。

二代目は小学校の5年の頃死んだ。

2,3日具合が悪かったが学校から帰ると箱の中に収められていた。

辛かった。

それからは父に何処からか犬を貰って来てくれと連日頼んだ。

或る日、子犬がやって来た。

黒っぽい毛並みのやはり雑種。

もう嬉しくて嬉しくて、楽しくて楽しくて、子犬とべろべろ状態で遊んだ。

学校から家に帰るのがこれ程待ち遠しいとは思わなかった。

三日目

家に帰ると子犬の姿は何処にもなかった。

母が犬はもう要らないと返したのである。

犬が死ぬと悲しいからもう飼わないと…

泣いた。


年賀状をやめたいんだが…

2020-12-30 11:02:54 | 生活

いい加減に年賀状をやめたいなあ。

60過ぎてから特にそう思うが中々実行出来ない。

大体毎年パソコンの住所録でそのまま印刷するから誰から来たのかもよく判らずに年賀状を出している。

単なる儀礼とはいえそんなものに意味があるのかねえ。

今年は親戚に不幸があったので年賀状は出さないがそれをいい機会にしようかな。

欠礼のハガキは出していないから年明けに来た年賀状のみに寒中見舞いを出す。

その時点で来ていない人の住所録はすっぱりと削除して年賀状は少なくなるだろう。

更に半数ほど減らしていくつもり。

出来れば親戚と恩ある人のみにしたいものである。

 

 


神田伯山と立川談志

2020-12-29 12:06:04 | 落語

随分前だが立川談四楼さんのインタビュー時、自分が咄家を目指した切っ掛けを語ってくれた。

「私は談志の鼠穴を聞いて体が震えたんですよ。これは凄いと。咄家に成ろうと決めたのは談志の鼠穴のせいですね」

談四楼さんとはほぼ同じ年代なので彼が聞いたのは恐らくNHKの長講一席というラジオ番組ではなかろうか。

45年以上は前の番組で水曜の午後九時から十時まで、タイトル通りに長い演目を取り上げていた。

勿論落語以外にも講談や浪曲も掛かり私は落語以外には殆ど聞かなかった。

そんな中に談志の鼠穴があったのである。

当時は確か中学生で布団に入り電気を消して聞き入っていた。

これは一体どうなるのか?希望があるのかそれとも絶望か?

まあ聞き終えた時の感覚は今でも覚えている。

感動というのか鳥肌ものというのか放心状態というのか。

談四楼さんも同じような状態に陥ったのだろう。

実に良く解る。

今年襲名で多いに名を売った今を時めく神田伯山、彼が話芸の道へと進むきっかけがやはり鼠穴を聞いたからだというので驚いた。

年齢はかなり違うから恐らくリアルタイムの放送ではなく何かの音源だろう。

あの時の噺の出来はかなり良かったと思う。

談志の何時もの口調が聞こえてくるようだ。

「どうだ、あの時の俺の鼠穴を聞いたか!」

っとね。

 

 

 

 


日本最強の田舎はここだ!

2020-12-27 13:34:25 | 田舎暮らし

田舎の定義と言う物はない。

タイムリーな話題に合わせると漫才の定義はないような感じか。

個人的には色々あるだろう。

高速道路が無い、新幹線が無い、携帯が使えない、山しかない、海しかない、野生動物が庭にいる、コンビニがない、訳の解らない祭りがある。

文化面で述べると直ぐに差別だとか五月蠅い昨今だが敢えていうとやはり文化の香りが薄いという感じはする。

しかしこれは簡単に言うと情報の乏しさと都からの距離の問題なんだな。

京都が都だった頃は日本海側は北前船の影響で非常に文化的に豊かな所が多かった。

それは東北地方でも同じだが北東北となると流石に遠くて田舎感が強くなる。

江戸時代でも北東北は未開の地と認識されているのであまり取り上げられる事は無い。

雪深い新潟県の山間部は北越雪請が江戸でベストセラーになった事からその生活が知られるようになった。

北東北はそれがない。東京が首都になっても奥羽列藩同盟の関係で不遇な立場のまま大田舎としての認識だった。

しかし実際には東京との距離が西日本に比べれば近いので関係性は深くなっていったのである。

実際に東北は東京に常に意識があり標準語の勉強も当たり前だった。

「私の言葉は解るでしょう」

と老人が胸を張っているのを以前はよく見かけた。

きちんと標準語の勉強をしているから単なる田舎者じゃないと言いたいのだ。

その点で言えば山陰や九州の人の方が田舎者なのである。

東京からの全中ニュースも東北発が非常に多い。比べると九州発とはかなりの差がある。

つまりそれほど東北は東京に近いという事なのだ。

だから若者はどんどん東京に吸い込まれていく。東京の磁力は強いからなあ。