◇首相と共鳴、根を張る「日本会議」
国民から説明不足と指摘されても、安全保障関連法の成立に固執した安倍晋三首相。その姿勢に共鳴し、後押ししてきたのが国内有数の保守系団体「日本会議」だ。スローガンは「誇りある国づくりへ」。早期の改憲を目指し、首相側近を含む国会議員や地方議員に運動のネットワークを築くことで政治への影響を強める。ナショナリズムが静かに根を張ろうとしている。
耐え難きを耐え……。せみ時雨に混じって玉音放送が流れると、参加者はうつむき、目を閉じた。
終戦から70年となった今年8月15日、靖国神社で開かれた戦没者追悼集会。自民党政調会長の稲田朋美が壇上で訴えた。
「私は決して歴史修正主義者ではありません。客観的な事実は何だったのかを重視したい」
日本の戦争指導者らを裁いた極東国際軍事裁判(東京裁判)を検証する意向を表明すると、聴衆から拍手が起きた。
◇侵略の「主語」は
主催者の一つが日本会議。1997年に設立され、皇室崇敬、憲法改正、愛国心を養う教育、夫婦別姓反対といった主張を掲げる。会員約3万8千人。国会議員懇談会には自民、民主、維新などの約280人が加盟する。集会には首相補佐官衛藤晟一も姿を見せた。
日本会議会長の田久保忠衛(82)は、首相の戦後70年談話を持ち上げた。「誰が侵略したなんてことは全く言ってない。『俺が侵略した』と言ったら謝らなければならない」
日本を主語にしない表現へのこだわり。「あの時と同じだ」。元労相の村上正邦(83)が、95年に衆院で採択された戦後50年決議を振り返る。採択直前、自民党参院幹事長だった村上の部屋に保守運動を共にするグループが大挙して押し掛けた。「これでは駄目だ」。多くの党幹部が侵略戦争を認める内容の決議に傾く中、タカ派の村上に詰め寄る。村上は党内調整に奔走したが、最終的に日本が「侵略的行為」をしたとの表現が盛り込まれたため激しく非難された。
◇60年代から
そのグループの中に「日本を守る国民会議」(当時)の事務局の中心だった椛島有三(70)の姿があった。現在は他の団体と合流してできた日本会議の事務総長。「彼らはあの時のこだわりを持ち続け、安倍首相の周辺で存在感を示している」と村上は言う。
65年5月。長崎大に警察が出動し、学生会館の運営をめぐり大学側と対立していた左翼学生を排除した。激化する闘争。この時、左派に反発して「学園正常化運動」に立ち上がったのが長崎大生だった椛島らだ。
「学生運動といえば左翼の時代に少数の右派を組織化した」と、左派のリーダー的存在だった青木道郎(75)。青木と活動した大野泰雄(71)は「僕らを批判するビラをまき、論争になったこともある」と話した。
◇「日本は危篤」
「長崎に続け」。椛島らの運動は各地の大学に波及する。69年には「全国学生自治体連絡協議会」が設立され、民族派団体「一水会」の元顧問で、早稲田大生だった鈴木邦男(72)が初代委員長に就いた。鈴木も含め中心メンバーは宗教団体「生長の家」の学生組織と重なっていた。
鈴木は「創始者の谷口雅春先生は左翼による革命に危機感を持ち『日本は危篤状態だから立ち上がれ』と教えていた。椛島君も影響を受けていた」と語る。
椛島らは70年、後に日本会議の事務局を担う「日本青年協議会」を結成。その直後、三島由紀夫が憲法改正を訴え、陸上自衛隊市ケ谷駐屯地で割腹自殺した。「ああ、これが国のために命をささげることなのか」。椛島は青年協議会の機関誌で「義挙」と称賛した。
8月15日の集会に参加した会社経営の男性(26)は「あの戦争は自衛のためで侵略ではない。日本軍が理不尽な暴力をしたというのは報道と教育の影響が大きい」と主張する。三島には「ものすごく共感する」といい「集会には同世代も多く、頼もしく感じた」と笑顔を見せた。
一方、保守的な考えを持ちながら日本会議と距離を置く人もいる。大学講師の早瀬善彦(33)は学生時代、保守系サークルに入った。当初は伏せられていたが、やがて実質的には青年協議会の学生組織だと分かった。
谷口や三島を「先生」と敬い、天皇にまつわる知識を学ぶよう求める姿勢に違和感を覚えて脱会。「純粋な人ばかりだったが、精神論についていけなかった」。メンバーは青年協議会職員の子どもが多かったという。
椛島と同志だった鈴木には、若いころに夢見た「右派からの革命」が、日本会議の活動に重なって見える。「同調する政治家が増え、改憲に手応えを感じているのではないか」と鈴木。新右翼として活動してきたが、立ち位置は大きく離れた。
「改憲で軍備が強化され、国の力が強くなれば、個人の自由や人権は否定されていく。椛島君たちと話してみたいが、僕たちのことなど眼中にないかもしれない」(敬称略)
◇改憲、設立時からの悲願 各地に拠点
日本会議の悲願は9条をはじめとする憲法改正だ。初代会長に就いたのはワコール会長だった塚本幸一(故人)。1997年5月の設立総会で「憲法を変えなくてはこの国は良くならない」と訴えている。
2014年10月に設立された「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の共同代表は、元最高裁長官で日本会議名誉会長の三好達、会長の田久保忠衛、ジャーナリストの桜井よしこ。早期の改憲を目指し、全都道府県で「県民の会」をつくる方針を示している。今年8月に開かれた埼玉県民の会で、NHK経営委員で日本会議役員の長谷川三千子は「(交戦権を否定する)憲法9条2項は欠陥だ。力と力の均衡があればこそ、国際平和は保たれる」と講演した。
役員には神社本庁など宗教界の重鎮も名を連ねる。日本会議を研究する国学院大助教、塚田穂高(35)は「保守派としての主張が幅広く、乗りやすい。さまざまな活動の受け皿になっている」と語る。
全都道府県に本部、区市町村にも計約240支部がある。東京都府中市議の杉村康之(46)は34歳で初当選したころ、日本会議に入った。「日教組のイデオロギー色が強い戦後教育は行き過ぎている」と考え、教科書選定の在り方などで問題提起してきたが、今は活動を控えている。
「憲法解釈変更で集団的自衛権の行使を容認した安倍首相のやり方は極端。それでも日本会議は支持し、イデオロギーを国民に強制しようとしている。これでは日本会議が批判してきた日教組と同じではないか」と指摘した。(敬称略)