この写真は、戦艦大和沈没の説明でよく使われる「鹿児島県坊の岬」です。
本文ではこうなっています。
昭和20年4月7日午後2時23分
鹿児島県坊の岬南西沖約120浬
(1浬かいり1.852km 222.24km)にて沈没すると。
まず坊の岬をナビで設定し、灯台近くまで行く事にしました。
国道からの進入です、道幅がとても狭く、軽自動車でもまともに離合できない程の道でした。
たまたま地元の方でしたか、出会い頭の同じ軽自動車でしたが、カーブの膨らみで避けて頂きました。
ついでに、窓を開けて大和の慰霊碑の事を、聞いてみました。
「ここじゃありませんよ。市内の方に戻って下さい。火ノ山公園ですよ」と親切に教えて頂きました。
20分ほど戻ると、道路脇に案内を見つけました。
駐車場から丘に登ると、小さな慰霊碑が有りました。
毎年、大和沈没の4月7日に、海上自衛隊の方による慰霊祭行われていると、案内に有りました。
この場所から遙か沖合い200kmあまり。見える筈も有りませんが、第二艦隊総員6000名以上の戦士達が、艦船と共に沈んだ海を見つめ、「お疲れ様でした。ありがとうございました」と心の中でつぶやき、最敬礼し、帰路につきました。
ちょっと、悲しかったです。