爺さんが伝えたいこと

寡黙に生きて来た爺さんが、一つの言葉ででも若い人達の役に立つならば、幸いです。

故郷を離れて

2020-05-19 21:30:11 | 日記
今日は久々の出勤日(出仕日)。
いつもの様に、コンビニに寄り、いつものお握りと弁当を仕入れて。

このコンビニの店員さんに、東南アジア系の御夫婦!?が居て、とても日本語が上手なんです。
特に男性の方は、顔を見なければ日本人と話している様な感じです。
随分前に、「ホエァリーズカムフロム?」と間抜けな、爺さん中学生(私です!)が英語で尋ねました。
ちょっと考えてから「あっ、ネパール」と応えてくれました。

内心、ヘェ~随分遠くから来てるんだと、思いました。

今日は彼等がレジに見えないので、ネパールさんは?と聞きますと、「アッ、今日は早朝で上がってます」と言われました。

良かった、まだ働いてるんだって、他人なのにそんな風に考えてしまいました。

自分の子供か孫の様な人達の事を考えていました。

いわゆる異国の地、文化や習慣の違う所で、頑張っている彼等の姿を見ると「大変だね、頑張ってるね」って、声を掛けてあげたい気持ちになりました。

心の隅では「お前が要らん世話たい!」って、自分に向かって言う自分がいるんですが、置き代えて見れば、やっぱり凄いよねって、思わざるを得ません。

やっぱり偉いよねって、思ってしまいます。
頑張って欲しいと思ってしまいます。




考え方次第

2020-05-19 04:35:47 | 日記
自分の境遇を悲しいと思うから、悲しいんで有って、当たり前だと思えばどうって事ない。

身体にしみ付いた闘争心が有れば、必ず超えていけるから。

誰でも人に言えない事の、一つや二つはあるもの。

超えて来た経験が物を言う。

誰にも頼れない経験こそが、人間を大きくする。

誰でも初めての経験は、恐れるかも知れない。

でも、超えてしまえぱ、なんて事ないんだから。

頑張って生きよう。

恐れる事はないかんだから。

頑張れ、がんばれ!

大丈夫だから。




他人からの巣立ち

2020-05-19 03:52:02 | 日記
母が入院した。
小3の春だった。
父の兄、いわゆる伯父さんの家に預けらました。
転校して、知らない級友たちばかりで、馴染めずにいました。

伯父さんの連れ合い。いわゆる伯母さん。
この人にはこなされました。
ダンスの上の物を取るから、四つん這いで椅子になれと言う。
小3の子供に。

いかに女とはいえ、大人の体重だから、子供が保つ訳がない。
背骨が痛み、崩れました。
伯母さんも倒れました。

その時の伯母さんの顔は、子供を労る訳でもない。
口には出さないが、何で倒れるの!と言わんばかり。

小3の子供は謝る術も知らない。
所詮、邪魔者だろうし。

程なく、私は父の元へ預けられました。
小4の春でした。
そこには、知らないおばちゃんがいました。
愛想の良い人でした。
環境に慣れさせ様と、開通間もない関門トンネルに連れて行ってくれました。
が、伯父さんの家で痛めた私の右足が痛み、あまり楽しい旅行ではありませんでした。

小さい私に気を使ってくれて、緊張せずに暮らせました。

程なく父親から、違うおばちゃんが来るからと言われました。

すぐに違うおばちゃんが来ました。
初めて会った知らないおばちゃんに、すぐに愛想良く出来る筈もなく、お互いにぎこちなく過ごしました。

この間は、私は学校に行く訳でもなく、近所のおじさんから父親が「学校に行かせんと」と言われたのか、手続きをしたらしいです。

小学校に行っても、友達が出来ない状態が続きました。

この時の担任の先生が、私がお母さん、お母さんと言った文章を書くので、父親に相談したらしいのです。

「本当のお母さんに預けた方が良いですよ」と。

母親の退院の日が近づいていた様です。

ところが、母親は自分の体調が悪く、私を育てる自信がなく、
私を引き取らないと、思っていたらしいのです。

ある日、学校に母親が尋ねてきました。
当時私は新聞委員をしていて、階段の踊り場の大きな黒板に、新聞の記事を書いていました。
悪ガキの友達が、黒板目掛けて泥粘土を投げたのです。
私が書いていた黒板に、ベタッと付いた粘土を、手で拭こうとした時でした。

母親がチリ紙を手に持って「これで拭かんね」と言ってくれました。

すぐにお母さんと判りました。

言葉が出ませんでしたが、ちり紙を受け取り拭きました。

それからどうしたのか、記憶にありませんが、母親と再会できました。

その時に担任の先生と、母親が話をした様です。
「お母さんが引き取らないと、この子はダメになりますよ」と言われた様です。

母親は地元に戻り、市立の母子寮に入る手続きをした様です。

あまり記憶に有りませんが、ようやく母親と一緒に、暮らせる様になりました。

ところが私の右足は、伯父さんの所で痛めたままでしたので、それから一年くらい、ギブスに入るはめになりました。

この時の母親は一生懸命治療に専念してくれました。

お陰で私の右足は、元通りになりました。

あのまま父親の元に居たなら、私の右足はどうなっていたかと、思ってしまいます。

本当に母親には感謝しています。

本当に有難うね、お母さん。

お世話になりました。

ありがとうございました。