私の娘達が小学校低学年の頃、30年余り前です、テレビ漫画の「一休さん」が放映され、娘達が喜んで見ていたので、私もつい見ていました。
頓知(とんち)の一休さん、その人ですね。
臨済宗(禅宗)のお坊さんです。
一休禅師「宗純」と言います。
宗教界でも、必ず師匠と言われる人に付き、教えを請い、修行を積んで行きます。
当時の一休さんの師匠は、年長ゆえか、師匠の死亡なり引退なり、または配置換えで、数名の師匠に師事した様です。
現在でも、教団の中で必ず派閥が生じてしまいます。
思想の違い、教えの解釈の違い、そして人間関係等で、人はつるんで行きます。
一休さんの出自は謎と言われています。
一説には後小松天皇のご落胤(らくいん)とも言われ、それぞれ天皇にも召されて、意見を求められています。
そういう一休さんですが、跡目相続の騒動に巻き込まれます。
派閥の頭領相手に罵倒する歌を残しています。
名誉欲が強かったかどうかは、判りませんが、身体は健全な男性です。
当時お坊さんは妻帯が許されない時代でしたが、当然性欲が募ります。
一休さんは性欲を否定する事を良しとしなかったのでしょう。
悟りの妨げになるとも、思ったのでしょうかね。
周囲を気にせず、女犯した様です。
現在の妻帯は当たり前の事ですが、当時の一休さんの行動は画期的でした。
ただし、浄土真宗中興の祖と言われる、蓮如さんと交友が有った様ですので、その影響も有ったのでしょうか。
親鸞さんが妻帯されていたからですね。
また放浪中なのでしょうか、剃髪もせずに髭を伸ばした肖像も残されています。
師匠が亡くなり、自殺を考えていた事もある様です。
真理や悟りを求めて、放浪を続けていたんでしょうか。
自分の息子と一緒に住んでいた史実もある様です。
ちゃんとした文書で残されている訳ではないので、推測に過ぎませんが。
着飾った一休さんの肖像も残っています。
晩年、亡くなる7年前に大徳寺住持(住職)を務めています。
文明13年(1481)11月
88歳で亡くなりました。
頓知の効く心を持った、お坊さんの一休さん。
立派なお坊さんだったと、私は思っています。