私の性格は、父親の血も引いているので、気弱な所も有り、平和主義者でもあります。
母親の性格は、正義感の強い親分肌、一度切れると恐い性格。
どちらも持ち合わせていると、思います。
環境に応じて、育成されて来た様に思います。
子年生まれの性格と言うのも、有ると思います。
「窮鼠猫をも噛む」的な所です。
窮鼠猫をも噛むの、実体験をした事が有りました。
中学生時代の事でした。
手の平で掴めそうな小さな鼠だったのですが、袋小路に入ったので、面白半分に手を入れて掴もうとした時でした。
見事に噛まれてしまいました。
出血などはしませんでしたが、その時に思いました。
えっ、本当に咬むんだと。
それから坊主になった時に、腹を決めて事に臨む時の事です。
祈祷寺での勤務でしたので、申し込みが有れば、何のお祓いで有ってもお伺いしていました。
土地でも、家屋でも。車輌でも。とにかく何でも、です。
記憶に残るお祓いで、幾つかの事案が有ります。
まず、事故物件のお祓いで何件かあったのが、自殺箇所のお祓いでした。
飛び降り、首吊り、自損案件(手首切り・首切り)など。
自殺者の魂はやはり始末が悪いです。
このから霊的な話になりますが、一般的に病気で亡くなった時に、本人は「もう、長くないかも」と覚悟が出来ていた時の事です。
お迎えには、その方のご先祖様達がみえる事が多い様です。
本人が覚悟が出来ているので、お迎えに対し素直に従いますが、自殺者の場合、怖がってお迎えに従わない事があります。
内心思ってしまいます。
「そんな事くらいで、怖がるなよ。始めから解ってやった事やろうがって」思いますが。
現実から逃避して来てるので、仏様のお迎えにも怖くて、応じられないのです。
ただ、ただ、怖い怖いで。
なだめすかしても、気持ちの変化に一週間ほどかかります。
目に見えない所での、せめぎ合いです。
生きている時の性格、そのままです。
それでも、気長になだめすかして。
内心またもや思います「本当に、たいがいにせんか」と。
それでも、それでも、なだめすかしながら。
魂が三途の川を渡って、彼岸(ひがん)に渡れないと、成仏の道は辿れません。
三途の川を挟んで、こちら側を此岸(しがん)と言いますが、家族の方々は彼岸に渡り、成仏の道を辿って行っていると思っている事が多いのですが、時たま此岸にしがみ付いている魂があります。
生前の欲にかまけて、囚われて行かないのです。
いわゆる強欲と言われる人達ですね。
諦めと悟りは紙一重なんですが、欲を無くさないと成仏は難しいのです。
生きていても、死んでからも、欲に囚われない事が、成仏への近道になるんですから。
変は坊主が、変な事を言っていたと、覚えておいて下さい。