爺さんが伝えたいこと

寡黙に生きて来た爺さんが、一つの言葉ででも若い人達の役に立つならば、幸いです。

生い立ち4

2020-08-14 23:19:21 | 日記
もう一つ、先生に勝ったと思った話です。

中2でしたか、物理の女の先生でしたが、試験でフレミング右手の法則かなんかで、コイルの巻き方向が解らないと答が出ない問題でした。

手を挙げて、コイルの表示がおかしくて、答が解りませんと言いました。

先生は「それは、貴方が勉強してないからよ」と上から目線に言われました。

切れました。

前に出て黒板に問題を書いて、この表示とこの表示では、答が反対になるでしょって、書いて言ってしまいました。

私は自分でそんなに「くそ度胸」があるとは、自覚してませんでしたが、なぜか切れて前に出てしまいました。

先生は私が言う事に納得してくれて、そうね、貴方の言う通りねって言ってくれました。

しかし、何故それ程自己主張をしなければならなかったのか
、今さらながら思ってしまいます。

私はそんなに、正義感が強い訳でもないのに。

引っ込み思案な、私でしたのに。












生い立ち3

2020-08-14 17:28:05 | 日記
母親は時々入院した。

身体があまり強い方ではなかった。

小5の時に私を迎えに来て、公立の母子寮に入った。

子供が中学生まで居られるが、高校入学前には退所させられる施設だった。

中学の入学式当日に、母親の具合が悪く、内心今日は来れないだろうと思っていたが、期待して校門で待っていた覚えがある。

私が入学してからも、母親は時々短期入院していた。

母親の心配は私の食事の事だったろうが、私はお金を持たせて貰えれば、自分で買うのであまり苦にしなかった。

その頃、中学校では抜き打ちで、持ち物検査をしていた。

私のポケットには食事代が入っていた。

私も正直に出さなくても良いのに、ポケットの中の千円札を机の上に出した。

指導担当の数学の先生だったが、偉そうに「この金はどうしたんか?」と、さも私が悪い事をしてる様な言い方した。

まだ中1の私は、少しビビっていたが、ちゃんと説明しなければと思い、忘れもしないが「親一人、子一人で、母親が入院してるから、飯代です」と言うと、先生は何も言わずに引き下がった。

教室内はしんっ!となった。

内心思った「なんか言えよ、偉そうに言ったのに」と。

心の何処かで、なんか勝った様な気がしていた。














親を看取って

2020-08-14 04:04:46 | 日記
母親を看取って14年になる。

亡くなる前には、私の事も解らなくなっていた。

自分の子供の事を解らなくなっている事が、少し残念ではあったが。

仕方がないとも思った。

でも、ボケて解らなくなるのは、自身の病気の事や死への恐怖が、解らなくなる事だから、本人にとっては、幸せな事なのかも知れないと思った。

身体は動かなくても、頭がしっかりしていれば、死への恐怖が増すのではないだろうか。

ただ、もうダメかも知れないと、覚悟が出来ていれば、慌てる事はないのかも知れない。

それでも、私はしっかり育てて貰ったと思っているから、感謝しかないのだが。

いくら歳を取ったとはいえ、肉親を亡くすのは悲しい。

坊主だから、葬儀の中の「引導渡し」の作法を、私が自分でしてみろと言って貰ったのだが、涙で出来なかった。

これでお別れだからと、どうしても言えなかった。