story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

金縛り

2022年06月17日 20時37分34秒 | 詩・散文

暑い夜、部屋の窓を開けて網戸で虫を遮っているが
部屋には風も吹きこまない

それでも昼間の疲れからか長くもんどり打った後、睡眠に落ちたようだ
ぐうっと意識が引きずり込まれていく
「やばい」と思ったもののどうにもできない

起きなければ・・
だが身体が動かない
「来たのか」と悟った

その人は僕の身体の上に覆いかぶさっている
手足は強い力で抑え込まれる
そしてまるで平安朝のような和服に身を包み
長い黒髪が僕の顔の上に垂れ下がる

だが僕は、この人が悪意を持ってないことは知っていた

夏の暑い夜
仕事で疲れて帰ってきたときに年に数度現れる
その女性はいったい誰なのか、考えてもわからない

僕の両手足を強く抑えたその女性は
やがて僕の身体をゆっくりと舐め始める
声を出したいが声は出ない
身体を動かしたいが、身体は動かない
嫌なはずなのに
なぜか僕はその愛撫とも思える行為を受け入れてしまう

恐怖心というものはない
ただ身体が動かず声が出ず
それが嫌なだけだ

やがて僕の上に乗りかかった女性は
僕がその快感に酔いしれると
ふっと力を緩める

がバッと僕は起き上がり、女性を探す
「またね」
そう言われた気がした
「うん」
頷いてしまう自分が情けない

世間一般の金縛りとはイメージが全く違う
僕に来る空中を彷徨う和装の女性

この女性は僕が加古川、須磨や垂水に住んでいた時には年に何度か表れた
しかし今、神戸市西郊に3年ほど住んでいるが
全くその気配すら感じない

あれは、なんだったのか
僕の夢の中の欲求不満だったのか
それとも、何かを知らせる使いであったのか

ふっと、これまで住んでいたところがみな
大昔、戦国期、あるいは源平時代には
戦場であったことを思い出す

今住んでいるところに、そういうきな臭い過去は存在しない
ではあの人は、そういうところで亡くなった女性の霊なのだろうか

殆どの人が怖がるシーンで
僕が怖がらずに受け入れたことを
すくなくとも彼女は、嫌っていなかっという事なのだろうか

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向かいの席の女性

2022年05月12日 22時31分17秒 | 詩・散文

姫路を八時二十九分に出た播但線和田山行きは古臭い客車だった
季節はまだ秋だというのに肌寒く、列車には暖房が入る
播州の長閑な田園地帯を抜け、やがて山々の中に分け入り
列車は各駅に停車しながら淡々と進むが、行くほどに秋が深まる
生野峠をトンネルで抜けたあたりから白いものが降ってきた
初雪になるのだろうか

長い編成で僕はゆったりとボックスを占領して旅を楽しむ
今宵の鳥取での蟹宴会に参加できれば良いのだ
仲間たちは特急か急行あるいはクルマで鳥取にくるだろうが
僕は連中から離れて鈍行乗り継ぎを選んでいる
乗り継ぎと言っても姫路からなら和田山で一度乗り換えるだけだ

客車列車特有のスチーム暖房は体の芯まで温まる気がする
ワンカップ酒を何本かあけて意識が朦朧とする

居眠りしているのか、起きて景色を眺めているのか
自分でも判然とせず、列車はやがて但馬の盆地に入り速度を上げる
ディーゼル機関車の甲高い警笛が聴こえる
窓の外には鳶が舞う

姫路を出てから二時間近く、和田山で列車を乗り換える
普通列車の出雲市行きだという
この列車はどこから来たのだろう、大阪か京都か
いずれにしてもかなり長い距離を丁寧に各駅に停まりながら走る列車だ

思ったほどに編成は長くはなくせいぜい四両ほどの客車と前のほうに
郵便車や荷物車が繋がっている
列車の編成が短いからか車内は案外混んでいる
どの座席にも厚着をした地元の人たちが座っていて
暖房は効きすぎて気持ちが悪いほどだ

だが僕は座席を探さねばならない
この列車で呑まねばならないのだ
編成の前のほう、荷物車のすぐ後ろの車両は幾分空いていた
ボックスに女性が一人だけ座っている席を見つけた
乗り換える時に駅弁売りから買った缶ビールを持ってそこに座る
まだ呑むかと自分でも呆れるが
今宵の職場の懇親会でのそこに居ることが耐え切れないような
あの雰囲気を想像するだけでもっと呑みたくなる
だが、安物のカップ酒はもういい
駅弁売りの持っていた籠にサッポロビールがあるのを見つけたのだ
果たして、よく冷えていた

先に進行方向窓際に座った女性には悪いが
僕はその反対側の通路側の座席で列車が後ろへ流れる感触を楽しむ
列車の旅では何も進行方向に座るだけが能ではない
だが、窓側なら粗末な小型テーブルもあるし、窓框にも飲み物を置けるが
通路側だとそうはいかない
止む無く先客の女性に「失礼・・」と言ってテーブルの半分を使わせてもらう

列車は警笛も甲高く、そして大き目のショックとともに走り出す
構内の複雑な配線を抜ける

向かいの女性は窓の外を見る
僕は窓を見ていてもどうしても女性と視線が合ってしまうので
時に窓を見ながら、時に通路上の通風器を眺めながら
時に天井からぶら下がる田舎のスーパーの広告を眺めながら
また時に通路を挟んで反対側の窓を眺める

だがこれもまた旅の醍醐味でもある
その路線沿線の匂いを感じながら開けるビールの味わいもまた格別だ
冷たいビールは暖房で火照り、カップ酒でさらに熱くなった体を少し絞めてくれる

列車が少し長く停車する駅では向かいの女性は辺りを見回す
だが、殆どは田舎の小駅だ
豊岡に着いた
窓からホームの様子を見ていた女性は立ち上がる
「すみません」
女性が僕に声をかけてきた
「電話をしてきますのでちょっとここ、見といていただけますか」
「ああ。いいですよ、どうぞ」
だが列車の停車時間はわずか六分だ
女性の荷物を見る僕は少し不安でもある

かなりの乗客が降りて同じくらいの乗客が乗ってきた
ほかのボックスにもいったん空いてまた埋まるところがある
窓際の席へ移りたいが女性の荷物を見ておかねばならず、動けない
ちょうどホーム上を駅弁売りが歩く
これ幸いと窓を開け、缶ビールの追加と駅弁を買う
冷たい風が車内にも入ってくる

発車ベルが鳴る
女性はようやく席に帰ってきた
「ありがとうございました」
「いいえ」
返事をしながら、女性を見る
ソバージュの髪、肩パットの入った上着はあくまでも大人の雰囲気だが
意外に若いのではないか、歳の頃は三十を出たころだろうか

列車は走る
十数分で城崎に着いた
女性はやはりホームを眺めてまたこういう
「ちょっと、またすぐに戻ってきますので」
荷物を見ていてという事だろう
僕は快諾してサッポロ缶ビールを開ける
ここでも駅弁売りがいた
窓を開けるとさっきの豊岡より数段冷たい空気を感じる
「ビール三本」と叫び、うまく手に入れ、窓を閉める
この路線のビールはサッポロばかりだ

発車間際に女性が座席に帰ってきた
「ありがとうございます、たびたび申し訳ありません」
「いえいえ・・お電話をされてたのですか?」
「はい・・」
女性はそういったかと思うと俯いた
「なにか、お辛いことなのでしょうか」
「いえ、特に」
そう言ったものの女性は俯いたまま涙を流しているようだ

列車が城崎の温泉街を通り抜け、短いトンネルを抜ける
冬に向かう田畑が車窓に広がるがそれもすぐに次のトンネルにさえぎられる
古い客車は最近の電車のような明るい車内ではない

女性は暗い車内で俯いている
泣いているのだろう
これ以上立ち入っては駄目だと僕は自分に言い聞かせるが
酔った頭は言葉が出ていくのを抑えられない
「やはり、お辛いお電話だったのですね」
女性は俯いたまま頷いた
「どちらまで行かれるのですか?」
その問いにややあって女性は顔を上げた
列車は淡々とレールジョイントを響かせる

「浜坂までです」
「そちらへは何か大事な御用で?」
列車は山の中を走る
やや沈黙が流れ女性はこぼれている涙を拭いた
「ごめんなさい、見ず知らずのお方の前で」
美しい女性だ
「いえいえ、僕がぶしつけで失礼な質問をしていたらごめんなさい・・さっきからずっと酔っているので」
ちょっとお道化たようにそう言うと、少し笑ってくれた
「ずいぶん、お召し上がっておられますものね」
「はい、この列車でビールを三本呑んで、まだ二本残っています」
「あら・・いいですわね」
女性は泣きあがりの笑顔を向けてくれる
「しかも、乗り換える前の播但線でワンカップを三本」
自分でそれが可笑しくて僕が笑うと件の女性も笑ってくれた
「おつまみは食べないのですか?」
「はい、僕は呑むばかりで‥さっき、豊岡で買ったお弁当にはまだ手を付けてないです」
女性は「駄目ですよ~」と少し呆れた表情をしながらいう
「ちゃんと、アルコールは食べ物と一緒に摂らないと、肝臓や胃腸に負担をかけます」
「分かってはいるんですけどね」
「今は良くてもやがて年とともに体を壊す原因になります」
「すみません」
「いえ、謝るのは私にではなく、ご自身のお体に・・」
「あなたは病院の関係の方ですか」
思わずそう言った
女性はハッとしたようで一瞬黙ったが続けてこういう
「私、浜坂の病院に勤めに行くのです」
「それは転勤?」
「いえ、宝塚の病院を辞めて、浜坂へ」
「えらい遠くへ転職されるんですね」
「切らなければならないこと、人生にありますよね」

列車は竹野を過ぎた
幾分か、車内が空いてきていた
「海の見える方へ移りませんか」
僕は女性を誘い、通路を挟んだ反対側のボックスへ移る

荷物ももちろん一緒だが、女性は鞄一つで身軽なのに対し
僕は呑んでしまったビールの空き缶とこれから呑むビールの缶と
まだ食べていない駅弁があるのでかなりややこしい
僕の下手な動きを見て女性が苦笑している

竹野から先、浜坂までは列車は海岸沿いを走る
だがこの区間、トンネルも多く車窓風景は半分ほどだろうか

暗いトンネルを囂々と走り抜けると日本海が窓いっぱいに広がる
「すっかり冬の日本海ですね」僕が海を見て呟く
「ほんと、なにか大きな黒い力が迫ってきそう」
「迫ってくるんですよ、冬将軍が」
ややあって女性が話し出す
「宝塚の病院に居られなくなって・・でも、私、出身は福井のほうなんですが、そこに帰るのも憚れて・・」
「ああ・・」
「募集の出ていたちょっと遠そうな病院に行くことにしたのです」
「失礼ですが、あなたが何か悪いことをされる人には見えないですが」
「悪いことをしたという思いはないのです、成り行きでそうなってしまった」
「なるほど、人生、時に自分の想いの寄らぬ周囲の反応などもありますね」
「悪いのは私です、向こうの人も悪いけれど、口車にのってしまって、本気になって」
「それは、僕のようなただの酔っぱらいには想像もできないことです」
「あなたは、なんだかとても正直に生きておられるように見えますわ」
「でしょうか、たぶん、汽車に乗ってこれ幸いと酒を呑むような男に悪いのはいないかもですね」
僕がそういうと女性はクスッと笑ってくれた
トンネルの中を走っているときは、列車の騒音が激しく話ができにくく
それゆえ、青の間は次の会話への準備になるのだろう
言葉を選び、想いを言葉に乗せるにはこの路線はとてもいいかもしれない
「わたし、それでも未練を捨てきれず、彼と話がしたくて何度も電話をしたんです」
「人間、簡単に未練を断ち切れるほど強くはないですね」
僕にも経験はある
一人の女性を追って苦しみぬいた数年が
「今ふっと楽になりました」女性がしみじみそう言う

トンネルを抜けると大きな空と海が広がる
余部鉄橋だ
「すごい!」
女性は感極まって叫んでいる
「これを見られてよかった、もしあなたが居てくださらなかったら僕は今日のこの景色を見ずに酔っ払って寝ていたかもしれません」
女性が笑ってくれる
列車は走る
間もなく浜坂に着く
「あの、僕は鳥取での宴会に向かうのですが、明日、またここを通って帰ります」
「はい」
「よければその時、浜坂の駅で会っていただけませんか」
「え・・」
女性は頬を赤くした
美しい女性だ

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あたためあう癒しに

2022年01月17日 17時00分07秒 | 詩・散文

清楚である
いや、清楚という以前に色気を感じないというのだろうか
見た目は確かに女性だというのは失礼な言い回しだろうか

頭の良い女性だ
古文にも造詣が深く
自作の短歌などもする
そして周囲が驚くほど花の名を知っている

そんなあなたの表情が見せるかわいらしさは
たぶん、よほどあなたという人間を知らないと出てこない秘密の森の中
あなたは固くガードをして
自分を女であることが見破られないようにしているのだろうか

だが、その森へ分け入り
よく見れば、目元は理想的な形をしていて
大きな瞳は美しく澄んでいて
鼻も程よく美しく
きちんと紅をいれれば化粧映えするだろう口元も美人のものだ

眉の形も美しい円弧を描くが、やはりもう少し細く見せること
そして少しは肌にも化粧っ気があれば今の流行りの美人になるのだろう

ただ、セミロングの髪型があなたを女性足らしめていたわけではないことに
僕はあなたをじっと見つめてしまう
「え?なに?なんですか・・そんなに見つめて」
恥ずかし気にはにかむ表情は
僕が初めてあなたを女性としてみた時ではなかったか

だが、あなたは無頓着で、僕には単に写真趣味のお付き合いでしかない
出会うときはいつも活動のしやすい服装で
そして活発に動くのだけれど
例えば、花畑の中にいる時
例えば、夕日の沈むのを目にした時
例えば、夜のイルミネーションのただなかにいる時

あなたは時に、ほうっとしているかのように立ちすくむときがある
ご本人曰く「ああ、心の中が真っ白になる」のだそうで
心底その場所、そのシーンに酔いしれているときだったのだろう
感受性の強さ、そしてそれを写真のモノにできる力量の持ち主
それが僕があなたに抱いたごく初期の印象でもある

ある時だ
僕は夜の町中で
あなたのシルエットを撮影した
それはほんの悪戯心ではあったのだけれど
デジタルカメラのモニターに再生されたそのカットは
あなたがまぎれもない美しい女性のシルエットを持っていることを
思い知らされた

そうか、この人は被写体としても原石なんだ
僕はあなたのポートレートを
それもかなり難しい表現が必要なそれを
撮ることが好きになっていった

僕には女性としてのあなたの魅力は少しずつ分かってきてはいても
あなたから見た僕などは
ただ、気軽なお友達であり
写真のことを教えてくれる便利な友達と思っていたはずだった

仕事や家事のことで心底疲れ切った時期だった僕は
「どこかで休ませてくれる女性がいればなぁ」と口走った
「あら、今からでもいいですわよ」と答えられ
僕はかなり焦った
要らぬことを言ってしまった
その時のあなたは「まだ機が熟していないようですわね」などといい
結局、いつもの通りお茶を飲んで分かれた

けれど、その日は意外に早くやってきたのだ
かなり、きつい状況を僕が乗り越え
それでも、夏の海の輝きをあなたと共にカメラに収めた日
その場所のすぐ近くの宿へ
どちらが誘うともなく、手を繋いで入ったあの日

痩せぎすに見えたあなたは
ベッドの上で薄いブラウスの下に
意外なほど美しい肌があることを僕は知ってしまった

滑らかで美しく白い肌
小ぶりだが年齢を感じさせない張りのある胸
美しい肩のライン

僕は夢中になってあなたの身体を泳いだ
切ない声を漏らし
あなたは汗を輝かせる
暗い部屋の中で
僅かに光るオレンジのダウンライトに照らされた
あなたの身体はため息が出るほどに美しい

出会いというものは不思議だ
人は出会ってみないと、その相手とどこまでの関係になるかわからない
肌を重ね、お互いの体熱を感じながら
静かな時間を共有できる
それはまさしく相手が異性だから可能なことであり
そうすることでお互いを癒すことが出来るということなのだろう

若いころに、いや、少年の頃に夢見た、いや妄想した
あのセックスという概念は今の年齢になると遥か彼方に消え去り
そこにあるのは人と人の得難い熱さではないだろうか

快楽ではなく
癒しを求めて
そしてそれがやっとわかった僕はすでに
人生の終盤戦への入り口に立っているということなのだろうか

 

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後藤先生

2021年12月25日 20時56分36秒 | 詩・散文

秋の深まったある日、久しぶりに阪急電車に乗り大阪へ向かう
ロングシートに座って向かいの車窓に広がる六甲の山々を眺める

今年も黄葉が美しい

秋の六甲山、それに阪急電車とくれば僕には思い出すことがある

あれは、写真スタジオでの修整作業をしていた時

ちょうど外出から帰社されたこのスタジオのトップ

後藤先生が店に入るなりこう叫んだ

「六甲山がすごく綺麗や!」

そして、機材の入っている戸棚を開けて
ペンタックス6×7という

ブローニーフィルムを使う大きめのカメラを取り出し

レンズを交換するのも何やら必死の形相で

巨大な望遠レンズをつけて、すぐにまた店を飛び出していった

 

美しい瞬間はあっという間だ

先生はそれを知っていて、とにかく気が急いたに違いない

当時のスタジオは阪急電車、六甲の駅ビルの中にあった

このビルの屋上はテナントの人たちが物干しなどに自由に使えるように

従業員通路から入ることが出来た

 

後藤先生の慌てぶりに、僕も手にしていたネガの修整を

いったん置いて屋上に上がる

 

広がる六甲の山々は見事に黄葉して

秋の青空を背景に屹立する様は本当に見事で

年に一度見られるかという景色だった

結構広い屋上にあの大きなカメラのシャッター音が続く

ブローニーサイズのフィルムは普通のものは10枚、長いものでも20枚撮影するのがやっとで、先生は時折フィルムを入れ替える

 

ひとしきり撮影したあと、僕の存在に気がつき

「すごいなぁ、永年、ここにおるけど、ここまで綺麗なのははじめてや」

先生は感極まったという風に頬を紅潮させて熱っぽく語る

 

この人との出会いは偶然でしかなく

僕はある写真会社の、店頭販売員として採用された

国鉄を辞めて、好きなカメラの世界で生きようとしたのだ

だが、ちょうどカメラ店はどこも社員が満たされていて

僕は「とりあえず」後藤先生のおられた写真スタジオへの配属となった

 

自分にとってカメラマンの助手、スタジオスタッフになるというのは

これは想定外で、けれど、ここの仕事は面白かった

 

修整なんてことが出来るというのは初めて知ったし

スタジオ写真の奥の深さ

後藤先生の感性と技術

スタッフの人たちの屈託のなさにすっかりここが気に入ってしまっていた

 

後藤先生はいわば「女性専科」のカメラマンで

神戸で女を撮影させたらこの人の右に出る者はいないとまで評されていた

実際、プロラボが全国で展開するフォトコンテストではよく入賞、入選していた

 

先生の評価では僕は真面目だが不器用ということだった

特に女性の写真が固いとよく言われていた

ガールフレンドに頼み込んでポートレート習作などもさせてもらっていたが

先生に作品を見せるといつも「ふ~~ん」で終わるのが常だった

 

ある日、僕が先生に命じられて残業していると

終業後の店にスタイルの良い、綺麗な女性が訪ねてきた

「おお!ありがとう、来てくれたんや」

先生は喜んで、そしてその女性に僕を紹介した

「今日のカメラマンや、注文やクレームは彼にどんどん宜しく」

などという

僕はなにも聞いていないので唖然とする

 

「業務だから心してや」

先生は改まってそんなことを言う

「今からこちらの女性をスタジオで一時間撮影すること」

「は????」

「普段、俺の写真を見てるやろ、それを君なりにアレンジしてやってみるように」

「今からですか‥」

時刻は午後八時過ぎだ

もう僕の頭は一人暮らしのアパートへの帰宅モードでもある

「そう、九時まで撮影して、そのあとは二人でご飯食べて、彼女を送ってあげてね」

「まるでデートですやん」

「大丈夫、君ごときで落ちる子ではないから」

先生がそういうと女性はきれいな声で笑う

 

その日、結局、かなり必死で女性の撮影をし

そのあと三宮のカフェバーでゆっくりと食事をした

 

当時の僕には片思いの相手があったが

「この子、いいなぁ」と思える素敵な女性だった

もちろん、僕とその子のラブロマンスなんてものは存在しない

 

数日後、仕上がった写真を見て後藤先生は

「まだ固いなぁ、でも随分、マシになったよ」

と言ってくれた

「そろそろメインでやってもらおうか」とも

それ以降、僕はカメラ販売員は諦め

スタジオカメラマンとして歩くことになる

 

写真業界を襲ったデジタル化の激流は

あまたの名店を壊滅させた

後藤先生が責任者をされていた写真会社もその例外ではなく

潰れるのはあっという間だった

 

ただ先生は、それだけでは引き下がらず

同じ阪急沿線の岡本に物件を見つけて独立された

先生の写真はお洒落なことで知られる岡本の街でも評判で

積極的に取り入れたデジタル撮影は新しい時代を感じさせ

独立したスタジオは常に活気にあふれていた

 

僕は写真会社が潰れる前に大阪のホテルスタジオに転職していて

この時は変化の激流から脇へ遠ざかることが出来た

 

だが、神戸の震災の時に人生観が変わる

「自分の好きなことを精一杯しよう」と思ったのだ

そう言えば、後藤先生はよくこんなことを言っていた

「好きな写真の世界で何年、メシが食えるか、それが人生の勝負やな」

 

やがて僕は大阪のホテルを飛び出し、震災後の神戸で独立

そして大失敗し、借金だけが残った

それでも拾う神があるとはよく言ったもので

スタジオ、出張撮影、DPE、カメラ販売などを手掛ける会社の

舞子の店の店長に招いてもらうことが出来た

 

舞子の街は後藤先生の生まれた土地で

先生はここを当時、住んでおられた塩屋、最初のスタジオがあった六甲

そして先生が独立した岡本とともに深く愛しておられたようだ

よく休日などに散歩ついでに撮影した写真をスタジオに飾っておられた

 

舞子では僕は店のすべてを任されて

それは、明石海峡大橋の開通という地元では最大級のイベントもあり

店の売り上げは、しばらく快調が続いた

けれど写真業界をさらに第二波のデジタル革命が襲う

今度は業界そのものがなくなるという恐ろしい大波だった

 

僕が店長をしていた店も不調になり

やがて僕は自分で小さな店を作って独立して

結果としてここで二度めの大失敗をする

後藤先生は非常に心配してくださり

時には店にやってきて僕の大好きな日本酒を置いて行ってくれたり

不調続きとは言っても仕事が重なることはよくあるもので

そういう時は先生が自ら応援してくれたりもした

 

だが、ある寺院の新築落慶法要の撮影が婚礼と重なってしまい、

寺院のほうを先生に助けてもらった時だ

撮影後、僕の店に愛車のRAV4でやってきた先生は

僕にフィルムを手渡しながらこんなことを言った

「もう、俺、長くないかもな」

僕はびっくりして「何かあったんですか」と訊く

「うん、肝炎がまた出てきたんや」

先生はC型肝炎に侵されていて、それもしばらくは小康状態だったはずだ

僕は後藤先生の体調が回復することを祈るしかなかった

 

今から15年前、僕は写真業界を去って、今の仕事に就いたのだが

その直前数か月、最後の賭けとして大阪の超一流ホテルの中のスタジオで

再びカメラマンとして働いていた

だが、売り上げが最優先、写真の歴史も基本技術も撮影の質も

なにもかも知らない会社幹部ではスタジオ写真の評価ではまったく話にならない

それでいて社長の息子である専務が恫喝まがいの朝礼をする

「もっと売れ、もっと稼げ」そればかりだ

名前だけは一流の、スタジオとしては三流のそこで働いていたある時

携帯電話に着信があったようだ

そのスタジオでは業務中に個人的な携帯電話に使用は禁止されていて

だから僕が着信を知ったのは帰路

大阪の街を駅に向かって歩いているときだ

 

留守番電話には後藤先生のろれつの回らない声が残されていた

 

数日後、かつての六甲のスタジオの仲間から連絡があった

「後藤先生が亡くなられた」
先生は六十代、まだまだ活躍できるはずだった

 

仲間と待ち合わせ、葬儀会場に行くと

キリスト教の祭壇の上に先生の笑顔の写真とニコンのデジタルカメラがあった

後藤先生は敬虔なクリスチャンで、またニコン党でもあった

 

数日後、意を決して僕は写真業界を捨てた

先生のいない業界にいて、だれが自分を認めてくれるのかという思いがあった

感性も技術も売り上げのためには否定される風潮に

逆らう力のない自分が悲しかった

 

後藤先生の作る写真は本当に美しかった

女性のしなやかさ、爽やかなエロスをも引き出し

写される人が自ら撮影料を支払う営業写真の世界で

僕はあそこまで「女」を写し切れるカメラマンを他に知らない

 

六甲の黄葉を頬を紅潮させて撮影していた後藤先生へ

僕は先生の弟子でありたかったのですが、写真業界を捨てて

今、街中でタクシーに乗っています

先生の愛した舞子の街で

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本気で抱きしめて

2021年09月22日 21時17分47秒 | 詩・散文

 

ねえ、あなたの理想なんてホントはどうでもいいの
ただ、抱きしめてほしい
あなたがいろんなややこしいものを持っているのは知っているつもり
だけど、そんなことの言い訳より抱いてほしい

ね、どうして、わたしが行くといつも決まってキラキラした目をして
夢を語ってくれるの?
あなたの夢なんてどうでもいいのよ
ただ、わたしをぐっと抱きしめて好きなようにしてほしいの
ホントはわたし、あなたの夢なんて聞いてもちっとも嬉しくないの
ただ、力強く抱きしめてくれる方がどれだけ嬉しいか

胸を吸いながら「今度の店はね」なんてないわよ
もうだめ、感じてるふりをするけど
ただ、上に乗って要らぬことをほざく馬鹿に見えるのよ
わかる?
屁理屈で女は抱けないわ

あなたの家族がどうたらなんて
わたしには興味ないわよ
あなたの奥さまがどんな人で、どんな趣味を持ってるかなんて
わたし、悪いけどどうでもいいの
わたし、あなたを奥様から奪おうなんて考えていないから

ただ、わたしと肌を合わせているときって
それだけ、それだけの時なの
わかってよ
めったにないチャンスだもの、本気になってよ

なんで、ここぞというときに
変な屁理屈、しゃべりだすかな
それで、もう、萎えてる女の気持ちなんてわかりっこないわ
萎えていながら感じているふりをするなんて結構つらいし
自分で自分を見たら馬鹿にしか見えないの

ね、抱いて
何も言わないで
一生懸命に抱いて
わたしが欲しいのはそれだけなの

もっといえば、あなたに求めているのはそこだけなの
だから、ね、お願い
ちゃんと抱いて
もっとちゃんと抱いて
もっと力を入れてよ
もっとあなたのわたしへの想いを
もっとぶちまけてよ
もっと力を入れてよ

わたし、苛ついているの
わかる??
やっとこの時が来たのに
屁理屈ばかり言うあなたにさ
わたし、がっかりしているの
肝心な時に、本気を出さないあなたにさ

どうでもいいの
本気で抱いてくれたら
本気で抱きしめてくれたら
もっと強く抱きしめて
もっと強く吸って
もっと強くあなたの汗をください

ね、わかって
わかってほしい
今日だけは分かってほしい

お願い、わたしを鎮めて
お願い、わたしを助けて 
お願い、わたしを強く抱きしめて

 

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