*正一・・1
ここは何処やろ?正一は、醒めきらない頭で考えていた。
といっても、真剣に考えるのではない。
確かにさっきまで、そう、阪急東口の居酒屋で仲間たちと酒を飲んでいた。
「なんで・・俺・・ひとりになったんや?」
つぶやいてみる。
先ほどから何度も、同じ事をつぶやいては、居酒屋でのやり取りを思い出して、そのまま沈みこみ、その都度、何度も座りこんでいるのだった。
「俺がアホなんや・・」
またつぶやく。
道に座りこんで空を眺めると飲食店が雑居するビルやそのビルにくっついている派手な電飾看板やネオンサインが目に入る。
空は建物の隙間に少しだけ見えるという按配だ。
酔いの回った頭には繰り返し先ほどの情景が浮かび上がり、その都度、彼は「俺はアホや・・」とばかり自分を責める言葉を吐き出している。
元々、女性とまともに話をしたことなどない。
正一の家庭は彼と父親とそれだけの家庭だった。
母親は彼が小学生のときに突然の事故で亡くなっていた。
学校へ通う間は自宅に帰ると祖母が居てくれて、夕食の支度をしてくれていたが、祖母も亡くなった今、彼は父親と男二人の生活を嫌い、職場の近くでアパートを借りて住んでいた。
彼は工業高校を卒業して、男ばかりの現場で働いていたから、高校時代によくある恋愛とも無縁だったし、仕事でも事務員の女性とそれこそ事務的な話をする以外は女性と会話をしなくても生活は成り立っていた。
それが今日は、高校のクラスメイトだった友人たちに誘われて、飲み会に来たのだ。
女の子が居るなんて話に聞いてなかった。
参加していたのは友人の会社の同僚たちだったが、女性のほうが多い職場で、どうしても女の子が多くなるから友人が彼を誘ったものらしかった。
華やいだ明るい空気は、彼にとっては始めて味わう雰囲気であり、すぐに彼は楽しくなった。
「正一クン!」甘い声でそう言われると照れて顔を赤くする彼を面白がって、女の子達は様々な質問を彼にしてきた。
じゃれかかり、甘える声が飛び交い、正一も気を許していく。
けれども、女性とは縁のなかった彼のことだ。
女性たちの胸元、やわらかに揺れるその部分を思わず見つめてしまう。
「嫌だぁ・・正一クン・・胸ばかり見てる・・」
そう言われると正一は顔を真っ赤にして、済みませんとばかり言いながら頭を下げた。
「いいのよ・・正一クン!・・ウブなんやもんねえ・・」
そう言いながら別の、女性たちのリーダー風の女性が、面白そうに彼に身体を摺り寄せてくる。
「あら!キョウコさん、ずるーい・・あたしも正一クンに興味深々・・」
別の女性が反対側から彼に近づいてくる。
「お!正一!おまえ、えらくもてるやないか・・」
クラスメイトがずるいぞという顔をして彼を見る。
目は笑っていた。
「じゃあね・・正一クン、女の子のおっぱい・・見せてあげようか・・」
キョウコといわれた女性が更に大胆に身体を寄せてくる。
「あの・・いや僕は・・」
正一は断る言葉も出ずに、自分が多分赤面しているだろう事だけはわかった。
「触っていいわよ・・」
さらのその女性は、彼に身体をくっつけてくる。
「あ・・はい・・」
そう言ったかと思うと、店の中に女性の叫び声が響いた。
「きゃ!本気にしないでよ!」
正一は、女性のひらき気味のセーターの首からセーターを広げたかと思うと、そこから手を突っ込んで、胸をまさぐったのだ。
「え?」
正一は事態が飲みこめなかった。
ただ、手には女性の胸の、暖かく柔らかい感触だけが残った。
「お前!なんて事をするんや!」
友人が彼を叱りつける。
「でも・・キョウコ先輩も悪いですよ・・」
一人だけ、正一をかばってくれる女性がいたが、あとはもう、非難の嵐になってしまった。
「この子!追い出して!」
キョウコと呼ばれたその女性は顔を真っ赤にして、彼を指差した。
正一は、何も言えずに店を飛び出した。
*美和・・1
阪急電車の改札脇で一人の女が叫んでいる。
「だからさあ!なんとか山から電車に乗ったのよ!」
女は呂律の回らない口で怒鳴り続けている。
「ですから・・それは千里山ですか嵐山ですかって事なんですよ・・」
若い駅員はもはやこれ以上は付き合いきれないという顔をしながら、女を諭していた。
「だから言ってるじゃない!切符は何処へ落としたか、わかんないの!どうしてそう攻め立てるのよ!」
「攻め立てるのではなくて、お客様が乗車された駅が分からないと、運賃をいくら払っていただければ良いか、分からないのですって・・」
「だから、あたしは、切符は買ったわよ!だけどないのよ!切符を買わなけりゃ、電車に乗れるはずがないじゃん!」
「いえ。もしも切符が出てきたら代金はお返ししますから・・とにかく今は何処から乗られたかをはっきりさせてくださいよ!」
「覚えてないわよ!どうしていじめるの!」
そう言ったかと思うと女はポロポロと大粒の涙を流して、カウンターにひじを突いて泣きじゃくる。
「あの・・お客さん・・」
若い駅員の後ろから年配の駅員がやってきた。
「お嬢さん・・千里山からだと220円、嵐山からだと390円です・・とにかくどちらか・・」
女はしばらく泣きじゃくっていたが、やがて、涙でぐしょぐしょになった顔を上げて、財布を取り出した。
「分かったわよ!」
そう言ったかと思うと、財布をさかさまにして、中の小銭を全てカウンターに出した。
「これで全部よ!」
叫んで、立ち去ろうとする。
「じゃあ、千里山ということにしましょうね・・」
年配の駅員はそう言って、小銭をいくらか財布に戻し、彼女に手渡してくれる。
「お気をつけてお帰りください・・」
駅員の挨拶に「うるさい!」女は、叫んでコンコースへ走り出ていった。
「酔いが・・醒めてしまったわ・・」
女はそう思いながらぼんやりと歩いている。
けれども、足取りは危うく、視線は定まらない。
吐き気もする。
コンコースをフラフラと進んでいくが、元よりあてはない。
女は急に左へ向きを変え、広い駅から外に出た。
道を渡ろうとする・・赤信号を無視して、フラフラと車道に出てきた彼女にクルマがクラクションを鳴らす。
歩道脇に止まっていたタクシーが客寄せに開けているドアを、彼女の姿を見てすぐに閉めた。
商店街の脇のコンビニに、女は引き込まれるように入っていく。
「気分が悪いから・・お茶でも買わなきゃあ・・」
独り言を言いながら、泥まみれのコート、長い髪がくしゃくしゃにまとわりついて、涙で顔がぐちゃぐちゃになった、酔いで視線の定まらない女が店に入ると、さすがに都会の夜のコンビニでも、客も店員もギョッとして彼女のほうを見る。
「お茶ちょうーだい・・お茶・・」
店員が慌てて、「こちらでございます」彼女を案内しようとしたが、彼女はお茶やジュースのペットボトルの横の、酒が並んでいる棚に目をやった。
「酔いが・・醒めちゃうから・・これでいいです!」
手には焼酎のビンが握られている。
店員は、彼女をレジへ導き、「878円でございます」と言う。
「はい・・はい・・」
女は財布をコンビニのカウンターの上でひっくり返した。
100円玉と10円玉、それに一円玉が数枚出てきただけだった。
「あれれ・・ちょっと待っててね・・」
カウンター前で立つのも大変らしく、女は身体を左右に揺らせながら、コートのポケットを探る。
「あった!」
女が出したのはくしゃくしゃになった1000円札・・それをカウンターに放り投げる。
つり銭を出す店員を無視して、女は焼酎のビンを抱えて、出てしまう。
「あのう・・お釣り!」
店員の声だけが響く。
女は商店街に入り、歩きながらビンのキャップを取り、焼酎を飲み始めた。
やがて、閉店している商店の店先に座りこんで、それでも女は焼酎のビンに口をつけ、そのままあおっては、泣いていた。
*正一・・2
正一はやけになっていた。
居酒屋を出たときには、前後が分からぬほどに酔っていたわけではないが、フラフラと歩いていて、ラーメン屋の暖簾を見るとそこに入り、ビールばかり飲みつづけた。
飲みつづけている間は自分の失敗を思い出すこともなく、少しでも間が開くとまた情けなくなってしまう。
恥ずかしい・・その思いが彼の心の中で一番の大きさを占めていたし、掌に残った柔らかく暖かい女性の胸の感触もまた、彼に恥ずかしさを思い返させるのだ。
けれども恥ずかしさと同じに、忘れかけていたと言うか、思わないようにしていた女性への思いも湧き上がってくるのだった。
恋愛など知らないし、ましてや女性の身体など見たこともない。
そこはかとない思い出の中に、幼児期に見た母の姿・・母のやさしそうな輪郭や声、そしてぼんやりと思い出す母の身体のかすれた映像・・
女というイメージで捉えることができるのはそれだけだった。
もちろん、彼でもテレビドラマや映画、雑誌に溢れる肌を露わにした女性の映像は飽きるほどに見ているのだが、それは何故か彼には現実のこととは思えず、作り物の人形を見るような意識でしかなかった。
中学校までは彼も共学で、クラスメイトにもちろん女子もたくさんいたけれども、彼女たちに思いを馳せることもなかった。
なかったというよりは、馳せるようにしなかったと言うほうが正しかったかもしれない。
その彼に、彼自身は今は気がついていないが、女性の香りと柔らかさを彼の本能の奥から目覚めさせたのが、さっきの女性たちだったのだ。
いくら飲んだかも分からず、足元もふらつくけれども、視線が定まらぬほどではない。
ただ、アルコールが充分回っているからか、妙な度胸のようなものが出来ていた。
ラーメン店を出た彼は、尿意を催した。
普段なら必ずトイレを探すのだが、彼自身、大量のビールを飲んでいたためか、探している間もない。
正一は建物の影を見つけ、そこに隠れこむようにして用を足そうとした。
暗闇のほうへ向けて彼のモノをだし、手でつまむ・・そのとき、先ほどの感触が残っている右手はそのまま置いておきたい気がして、左手だけで用を足した。
ふう・・落ちついてあたりを眺める。
「どうでもいいか・・」つぶやきながら、どうでも良いという感情になっていない自分を見ている。
「俺は・・まだ酔っとるんやろか?」
長い小便のあと、正一はそこから立ち去ろうとする。
「こら!誰や!人の家の横で小便しくさるのは!」
男の太い声が聞こえたが、彼は聞こえないそぶりでそこから立ち去った。
しばらく歩くと、銀行の店先でうずくまっている人影があった。
黒いコートで体を包むようにし、長い髪は前のめりにかぶさっている。
「女か?」
正一は、こわごわその人影に近づいていった。
*美和・・2
女は、焼酎のビンを持て、時折、それをあおりながらフラフラと歩いている。
「なんだよー!くそったれ!」
時に大声で叫んでいる。
既に終電車の過ぎた夜中の町・・半ば明かりの消えた商店街・・
誰もこの女に近づこうとはしないし、近づける雰囲気ではない。
「美和はね!タケシのこと・・本気で好きだったのよ!」
女はよだれとも口から溢れた焼酎ともつかぬ液体と、汗とも涙ともつかぬ液体とで顔中を濡らしながら叫んでいる。
「タケシーー!バカやろう!」
声がむなしくアーケードにこだまする。
何度も転んだからか、髪もコートも泥や埃にまみれ、化粧は流れ、女を見る人は面白いものでも見たかのように、にやにやとしながら去っていく・・
「お前たちも別れるんだぞ!」
通りがかったアベックに悪態をつく。
つい数時間前、夕方の神戸・東灘・・
美和は会社での仕事を終えると、そのまま電車に乗って「摂津本山」駅までやってきた。
恋人だと信じているタケシの誕生日だった。
彼女はもうタケシとは3年も付き合っていて、毎年ならお互いの誕生日には外で食事をすることになっていたのだけれど、今年はタケシの仕事が忙しいと言う。
それなら、直接、彼のアパートで何か手料理を作ろうと、彼女は思い立った。
それも彼には内緒で、疲れて帰ってきたときに驚かせてやろうと思ったのだ。
忙しいと言うからには帰りも遅いのだろと、美和はじっくり時間をかけて料理を作るつもりで、彼のアパートにやってきた。
そこは摂津本山駅を降りて線路に沿ってしばらく歩き、踏み切りのところを少し入った閑静な住宅街だった。
「タケシのアパートも久しぶりよね・・」
独り言を言いながら、彼女は少し浮かれて、彼のアパートが見える角まで来た。
意外にもアパートの二階、タケシの部屋には明かりがついていた。
「帰ってるのかな?電話くらい、くれても良いのに・・」
つぶやき、二階に上がり、彼の部屋のインターフォンのボタンを押した。
返事がない。
胸騒ぎを押さえ、美和はカギを使ってドアを開けた。
ドアを開けて、玄関をみるとそこにはきれいに揃えられた2足の靴があった。
ひとつは見覚えのあるタケシの通勤靴、もうひとつは女性用のパンプスだ。
「タケシ・・あたし・・」
奥に声をかけると、タケシが少し苛立つような顔つきで出てきた。
「帰ってたの?電話くれたら良いのに・・でも、何か作ってあげようと思って・・」
彼女が言い終わらないうちにタケシは叫んだ。
「ウザイんだよ!邪魔するな!」
タケシの剣幕に美和はひるんだ。
「ごめんなさい・・でも、今日、あなたのお誕生日だし・・」
そのとき、奥から女が出てきた。
「折角二人でパーティーしてるのに、邪魔しないで頂けますかぁ」
女はタケシの後ろに立って美和に言葉を投げる。
「え?・・このひとは?」
「誰でもいいじゃんか!今日はこいつと一緒にいるんだから・・お前はまた今度でいいだろう!」
「どういうこと?」
「お前なぁ!俺はいつまでもお前一人だけに構ってられないんだよ!」
信じられなかった。
美和にとってタケシは、彼女の全てを賭けてきた恋人だった。
タケシにとってもそれは、同じことだと信じていた。
「信じられない・・・」そう言ったまま彼女は持ってきた荷物はそこに残したまま、アパートから飛び出していった。
頭の中が混乱して、何がどうなっているのか判らなかった。
彼女はただ・・あてもなく歩いた。
ここから逃げたい・・死んでしまいたい・・でもなんで?どうして?
普通の精神状態でいるのが怖くなってきた。
「お酒でも飲めば・・」何かが変わるかもしれない・・そう思ったとき酒屋の自販機が見えた。
ビールは苦手だったからカップ酒を2本買った。
買ってすぐに口に入れた。
「不味い・・」一瞬、そう思ったけれど、一気に飲み干した。
余計に哀しくなった。
すぐに次の一本をあけて飲んだ。
身体が火照るのに心は凍り付いていた。
少し酔いが回ってきたけれど、心に錘がぶら下がっている感じがする。
美和は踏切を渡り、広い通りに出、そこにあったコンビニでもカップ酒を2本買った。
歩きながらあおる。
瞬く間に飲んでしまい、また次の自販機で酒を買う。
それを何度か繰り返した。
彼女は酔った頭で、あたりを彷徨し、人波に誘われるように歩くと、気がつけば電車の駅らしいところに出た。
適当にボタンを押して、切符を買い、ちょうど今着いた電車から降りる人を避けるように、反対側ホームへの地下道を渡り、そこでしばらく座りこんだあと、やってきた梅田行きの阪急電車に乗りこんだ。
まだ、一本残っていたカップ酒を、電車の座席に腰掛けてからあおる。
そのまま、彼女はシートに横になり、眠ってしまった。
起こされたのは終点の梅田駅で、無理やりに降ろされ、フラフラと改札のほうへ向かったと言うわけだ。
美和はシャッターの下りている銀行の前に座りこんでしまった。
目が回って歩けない・・
焼酎をあおる。
もう、いくらも残っていなかったらしく、美和はそのビンを放り投げた。
ビンの割れる音がする。
「寒いよ・・」
コートを身体に巻きつけるようにしてうずくまってしまった。
気分も悪い。
吐き気がする。
寒い・・それでも、彼女は動きたくはなかった。
動けなかった。
「どないしたん?」
男の声が聞こえる・・
*二人・・1
正一はその女性に声をかけてみた。
いつもの彼なら考えられないことだが、やはり酔っていた。
「どないしたん?」
女はうずくまったまま動かない。
「生きてるの?」
そう訊くと、かすかに女は頭を動かした。
「風邪をひくで・・こんなところで寝たらアカンよ・・」
女はかすかに首を振る。
正一は女の背に触れた。
女はようやく顔を上げた。
美和は泣きつかれて、どうしようもない顔を見られるのが嫌だった。
けれども、背中に触れられたとき、始めて人の暖かさを思い出した。
それと同時に吐き気を催した。
「う・・う・・」
美和は四つん這いになり、地面に吐いた。
濁った液体ばかりが、いくらでも腹の奥から出てくる。
苦しい・・吐いても吐いても、液体は出てくる。
胃を何かで揉まれているような気がする。
正一は、女が吐くのを見て咄嗟によけた。
けれども、四つん這いになって苦しげに吐いている女を見て、何とかしないとと思い始めた。
もう一度近づいて女の背をさすってやった。
美和は自分が吐いた液体が自分の手やコートや長い髪や、スカートを汚しているのは判っていたが、避ける余裕は無い。
何度も何度も吐き続ける。
正一は女の背をさすりながら、あたりを見まわした。
通行する人たちが奇異の目で見ていく。
「兄ちゃん、女の子を酔わせたらアカンがな・・」
そう言って通り過ぎる人もある。
何分ほどだろう・・ようやく吐き気がおさまったらしく、女はその場に座りこんで、呆然とあたりを見ているようだった。
「あんた、どこから来たんや?タクシーでも呼んでやろうか?」
正一は女に話しかけた。
女は土気色になった顔を彼に向け、彼の顔をじっと見つめた。
「ここ・・何処?」
消え入りそうな声でようやく口を開いた。
「ここは・・梅田の・・阪急の近くや」
女は彼の顔を見つめたまま、しばらく呆然としている。
「あんた・・何処から来たんや・・」
正一はまた問いかけた。
「梅田?大阪の?なんで?・・」
「そやから、あんた、何処から来たんや?・・」
「あたし?あたし・・北区・・」
「北区?梅田も北区やけどなあ・・」
「ちがうよ・・スズランダイ・・」
「は?スズランダイ?」
女は何か言おうとして、また表情を歪めた。
ウェ!ウェ!・・女は前にむけていきなり吐いた。
そのまましばらく、吐き続けた。
女の吐いた液体が正一にもかかる。
もはや女の座りこんでいるあたりは吐いたもので一杯になっていた。
美和は自分が何故大阪にいるのか、理解できなかった。
ようやく正気が戻りつつあったけれども、胃の中が爆発したような感覚を覚え、それにこれまで感じたことのない寒さが彼女を襲っていた。
震えが止まらない。
目の前にいる男はどこの誰か知らないけれど、彼女を助けようとしてくれているのが分かった。
吐き気がし、また吐く・・彼女の周囲は既に吐いたものが広がり、彼女はその上に座っている。
「寒いの・・苦しい・・」
美和がそう言うと男は彼女の顔を覗き込んだ。
「タクシーを・・呼ぼうか?」
美和は首を横に振り、嫌だと答える。
「お金がないの・・何処か暖かいところでじっとしていたい・・」
男はしばらく彼女を見ていたが、やがて、彼女の手を取った。
「じゃあ・・俺のアパートへ来るか?ただで休めるし・・」
彼女の背を支えて、立ち上がらせる。
まともに立てない。
「うわ・・コートもぐちゃぐちゃや・・」
そう言いながら、男は彼女のコートについた汚れを自分のハンカチでふき取ってくれる。
正一は女の手を取って、背中を支え、立たせてやりながら、ふと、女の胸のあたりを見た。
妙な艶めかしさを覚える自分に戸惑いながら、それでも彼女を立たせ、自分の肩に彼女の手を回させてやり支えて、歩き始めた。
女の胸の柔らかさが、彼に伝わり、不思議な気持ちになった。
商店街から出たところでドアを開け放しているタクシーに乗りこんだ。
「桜川・・」それだけ言うと、運転士は「あいよ」とだけ答えてクルマを走らせた。
正一の横にはさっき始めて会った見知らぬ女がいて、女は彼の背に凭れかかり、安心したかのように眠りこけている。
*二人・・2
太陽の光がまぶしく、美和は目を覚ました。
ベッドの上で、きちんと布団を被って寝ていたようだ。
頭が痛い。
「ここは・・どこだろう?」
思わずつぶやく。
体を起こす。身体中が痛い。コートは着ていなかった。
スカートとセーターのまま寝ていたようだ。
ベッドの下を見た彼女は声を上げそうになった。
見知らぬ若い男が、狭い部屋の、ベッドと家具の間で窮屈そうに眠っている。
思い出そうとする。
この男が、助けてくれたような気がする。
彼女が動く気配で、男は目を覚ます。
「ああ・・起きたんかいな・・気分はどない?」
男が眠そうに彼女に話しかけてきた。
「あたし・・とんでもないご迷惑をお掛けしたように思うのですけれど・・」
「迷惑・・別に・・どうってことないで・・それよりもう気分は大丈夫か?」
「頭が痛い・・くらいです」
男はじっと彼女の顔を見詰めた。
見つめながら男の顔が少し赤くなっていく。
「名前・・なんていうの?・・・あ・・俺、正一」
美和も不思議な気持ちになり、少し頬のあたりが痒くなる気がした。
「あたし・・美和・・」
「美和さん、よろしく・・」
「こちらこそ・・」
正一は立ちあがり、窓をあけた。
「酒臭いから、空気をいれかえるわ・・」
美和は自分の身体を匂ってみた。
「ホントだ・・お酒臭い・・・」
二人は顔を見合わせて笑った。
少し冷たい空気が部屋の中に入りこんできた。
春はまだ少し先だ。