story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

風の中のあなた

2017年10月27日 23時23分34秒 | 小説

本作は「秋色の貴女」を銀河詩手帖用にリファインし、285号に掲載されたものです。

 

 

土手の線路際、僕は三脚に望遠レンズ付きのニコンを載せ秋風を肌に受ける

線路は僕のいる場所から数百メートルで大きく湾曲し

その向こうに神の山が聳える

 

やがて、神の山のふもと、はるか遠くに紫煙があがる

ファインダーに注視して、風を受けながらシャッターレリーズを握る

大きく湾曲する軌道の先で、紅いディーゼル機関車が姿を現し

それはゆっくりと軌道をトレースしながらファインダーの中で大きくなっていく

 

続けてシャッターを押す

風音と機関車のエンジンの音、僕が切っているシャッターの音が耳に入るすべてだ

列車がファインダーいっぱいになって、やがて青い客車が次々と現れる

ファインダーから列車の姿が消える

 

ふっと、こういう秋の日、この場所ではあなたに会える・・そんな想いがわく

 

間髪を入れず、「わたしに会えると思ってくれた?」

懐かしく、優しい声がする

後ろを振り返ると、秋色とでもいうのか

オレンジや茶、深緑をパッチワークのように組み合わせたワンピース姿の

・・あなたが立っていた

 

「思ってたよ、なんとなく、気持ちの良い秋風の日だから・・」

「嬉しいな、そう言ってくれるの」

柔らかな秋の日差しを浴び、霞のように現れたあなたが優しく僕を見つめてくれる

ショートの髪、朱色の口紅、色白で頬のあたりが紅い、いつものあなただ

 

「ここに来るの、ずいぶん、久しぶりでしょう」

「うん、仕事と家事に忙殺されてね」

「いいなぁ、幸せな家庭があるの・・」

あなたはそういって神の山のほうを見る

「君にだってあったじゃないか」

「幸せ?ないよ、そんなもの」

「仕事のできるご主人と、可愛い子供さん二人と」

「見た目はね‥功徳とやらがいっぱいの家庭の演出」

「そうかなぁ・・取り方はいろいろだろうけど」

 

*****

 

あれはもう何年前になるだろうか

この線路が湾曲する少し先の、当時は田圃の真ん中だった細い道を

一人の主婦が所用のために北へ向かっていた

そこに人だけが通れる小さな踏切があった

この地方特有の大きな太陽が神の山の脇に沈むその頃だ

 

ちょうど踏切の警報音が鳴り、夕陽の下に強いヘッドライトが見えたことだろう

主婦は一瞬立ち止まり、そのヘッドライトを見つめ、意を決したかのように

降りている遮断桿を持ち上げて線路に入り込んだ

 

そして軌道敷に座り込み、ヘッドライトを浴びせる機関車を見つめる

電気機関車EF210の泣き叫ぶような警笛があたりに響く

ブレーキシューが車輪踏面を押さえつけ

車輪とシューの鉄粉が線路に飛び散り、その接触の金属音が激しく長くこだまする

主婦はじっと電気機関車をにらみつけていた

「わたしをきちんと轢きなさい」と命じるかのように・・

 

*****

 

その場所は今は住宅に覆われ、町の中で線路と細い街路が交差する目立たない踏切だ

僕は数度、そこへ祈りに訪れたけれどそこであなたに会うことはなかった

あなたに再開したのはその数年後の秋に、ここの土手に来た時

今日と同じように列車の撮影に来た時だ

 もちろん、僕は現れたあなたに対して、非常に驚いた

だけれど、もともとが僕にとって憧れの女性だ

中学生の頃の清楚な美しさが今も心から消えることはなく、

ほかの人ならたぶん驚いて恐怖のあまりその場から逃げ出したかもしれない

そのシチュエーションで親しくあなたと話をして

あなたの生前に聞けなかったことを伺うことで却って嬉しく思ったものだ

 

中学生時代はあなたから見て、僕がかなりガキに見えたこと

今でも中学生の頃と同じようにカメラをもって列車を追うことに

ちょっと呆れていること、でも、そんな僕が自由に見えて羨ましかったことなど

 

名門といわれる宗教系の高校に進んだあなたは

本来は凱旋して帰ってきたはずなのに、心を病んでいた

やがてお見合いで結婚し、幸せに見える家庭を築いたけれど

あなたが家庭の中で笑う姿を、あなたの夫は見たことがないという

 

「わたしはただの親の道具、幸せの演出も組織を守るため」

「そこのところは僕にはよくわからないけど、僕には十分、幸せに見えたよ」

「親の言うままに、教団の学校に行って、エリートとして帰ってきた時の、わたしの心はボロボロ、そこには人間らしいものは何もなかったわ」

「そうか、僕はその頃には中学校を出て、鉄工所で仕事をしながら夜間高校に通っていたから、名門の学校に進めた君がうらやましかった‥」

「わたしには、自分の力で社会で生きて、自分の力で切り開くチャンスを持ったあなたが羨ましかった」

「そうかぁ・・えげつないものだぞ・・あの年ごろで一人で生きるのは‥」

「でも、それって親の意思はないでしょう…自分で決められるでしょう‥」

「確かにね‥」

あなたは神の山のほうを向いて立ったままだ

気に入らない言葉を僕が発するとあなたは消えてしまうかもしれない

でも、僕はあなたとの今のこの時間を大事にしたい

あなたに恋した中学生時代には持てなかった時間だ

 

「ねえ、優子さん」

僕はあなたの名前を呼んだ

「今の君から、僕を見てどう?ちょっとは男として成長したかな」

あなたは振り向いた。

秋色のワンピースに包まれたその顔形は中学生時代の

あなたが幸せだった時代の姿だ

「成長?」

そういったかと思うと大きな声で笑いだした

「あなたが成長なんてしているはずないでしょ」

「そうかなぁ・・この頃、商売も手広くやっているんだけど」

「商売も何も、いまこうしてカメラを抱えて線路際に来ていること自体

あなたがあの頃のまんまってことよね」

そういってあなたはさらに声を上げて笑う

まるで中学生時代の天真爛漫なあなたを見ているようだ

 

遠くから機関車の警笛が聞こえ、僕はカメラのファインダーを覗く

ふと、横を見るとあなたが興味深そうに僕を見ている

「ほんとに列車が好きなのね・・」

「うん・・・」

やがてファインダーの中に沢山のコンテナ貨車を牽いたEF66形機関車が現れ

僕は夢中でシャッターを切る

列車が去ってまた秋風の吹く土手、オレンジの光が辺りを占め始めている

 

もう少しであなたを撥ねたあの貨物列車の時刻だ。

 

「一つだけ、わたし、あなたに謝らなきゃ・・」

「なにを??」

「あなたの好きな列車を傷つけたこと、列車に恨みはないからね」

 

 陽が沈む・・この列車の牽引機は、あの時と同じようにEF210のはずだ

遠くで踏切が鳴る

僕はカメラのファインダーを覗く

あなたが横で、カメラを扱う僕を見てくれているような気がする

呆れたような、不思議そうな表情で

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