![天海祐希の似顔絵](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/f3/8cfb6b99ae24f98855e4be94940c7ddd.jpg)
来週の(都内は今週発売)週刊朝日「山藤章二の似顔絵塾」に、私の作品が掲載されました!!
掲載されたのは、女優の天海祐希さんの似顔絵です。
![似顔絵塾](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/11/a7a1524151de31fe1a25c843e8a93f30.jpg)
当たり前なのですが、似顔絵塾に掲載されると嬉しいです。
また、描く目標にもなります。
この天海祐希さんの似顔絵は、理性的に顔パーツを分析して、再構成したスタイルです。
この描き方は、左脳系(文字言語化できる)といいますか、あまり心的負荷が少ないのですが、掲載されていなかったので自信がなかったんです。
若干「毒」があるのに、掲載されたということは、このくらいはOKということでしょうか。
以前の似顔絵塾は、ものすごく毒のある似顔絵も掲載されていたのですが、最近は淡白なものが好まれると思っていました。
女性の掲載率(描く割合も)が低いので、これから増やしていけたらと思います。
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デッサン力というのは、似顔絵にとっては邪魔なものかもしれないと思っています。
一般的に使う(マティスなどではない)デッサンというのは、教え方がシステム化されていて、ある程度までは「指導」が出来ます。だから、習うとステップアップできるのです。
けれど、意識的に「光源」やら「明暗」やら「形態」やらを表現する「練習」をしていると、それが無意識にできるようになってしまいます。
ということは、逆に学習したものを省略したり、なくしたりして描くには、より意識的にならなくてはなりません。
そうしないと、無意識にそれらを表現してしまうからです。
だったら、習わなくて使えないほうが、使わない努力をするより楽です。
特に個性的な、独自的な似顔絵を描こうとするには、邪魔なものばかりです。
デッサンの呪縛から逃れるには、無意識やアウトサイダー的なベクトルの要素が必要になってきますが、それを頻繁に使っていると、病んでしまう恐れがあります。
デッサンのイロハは、(おそらくアメリカンカリカチュアや肖像画を除いて)確実に似顔絵にとってマイナスに感じます。
「よし、今回は形態や構造、骨格は無視して描くぞ!!」
なんて、余計なことを最初に意識して、肝心の何を表現したいかが揺らぎながら、似顔絵を描く訳です。
自分でも、アホか?と思います(^^;
オリジナリティを求めて描くと、必ずいつも(つたなくても)デッサン力が無意識に邪魔をしてきます。
「似ているか」という判断にさえです。どんどん客観的に判断しようとしてしまうのです。
本当に、独自性を求めるときには、デッサン力はやっかいだと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/b6/fbc96464af63dfa721ef733fe503fc1e.jpg)
P.S
素人の人は、玄人の人の肖像画に憧れるかもしれませんが、素人の無垢な絵にはかなわないのです。
玄人はそのまま技術を磨くか、技術を捨てて「無垢」に近い状態に自分を持っていかねばなりません。
けれど、それは一般的には「下手な絵」な訳で、分かる人にしか分からず、その低評価に耐えうるだけの目標と強い意志が必要になってくると思います。
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けれど、意識的に「光源」やら「明暗」やら「形態」やらを表現する「練習」をしていると、それが無意識にできるようになってしまいます。
ということは、逆に学習したものを省略したり、なくしたりして描くには、より意識的にならなくてはなりません。
そうしないと、無意識にそれらを表現してしまうからです。
だったら、習わなくて使えないほうが、使わない努力をするより楽です。
特に個性的な、独自的な似顔絵を描こうとするには、邪魔なものばかりです。
デッサンの呪縛から逃れるには、無意識やアウトサイダー的なベクトルの要素が必要になってきますが、それを頻繁に使っていると、病んでしまう恐れがあります。
デッサンのイロハは、(おそらくアメリカンカリカチュアや肖像画を除いて)確実に似顔絵にとってマイナスに感じます。
「よし、今回は形態や構造、骨格は無視して描くぞ!!」
なんて、余計なことを最初に意識して、肝心の何を表現したいかが揺らぎながら、似顔絵を描く訳です。
自分でも、アホか?と思います(^^;
オリジナリティを求めて描くと、必ずいつも(つたなくても)デッサン力が無意識に邪魔をしてきます。
「似ているか」という判断にさえです。どんどん客観的に判断しようとしてしまうのです。
本当に、独自性を求めるときには、デッサン力はやっかいだと思います。
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P.S
素人の人は、玄人の人の肖像画に憧れるかもしれませんが、素人の無垢な絵にはかなわないのです。
玄人はそのまま技術を磨くか、技術を捨てて「無垢」に近い状態に自分を持っていかねばなりません。
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