
展示用に一枚仕上げてみました。
以前、似顔絵として高い評価を頂いた作品の構想のまま展示物を作って、全く見てもらえないことがありました。
親切な方が、自身の展示の話をして頂いて、なぜ見てくれないのかが明確になりました。
(普通の読む方への)「ところで」、テレビを観ていて気付いたのですが、話法としての嘲笑を用いる方がいて、その瞬間に、敵に塩を送るではないですが、主格を省略して、その嘲笑した人の組織の利益が無くなってしまわないことを提案すると、真剣な表情のフリというのでしょうか、真っ向から反対するという奇妙な対話がおこることがあるのを思い出しました。
スカイツリーの名刺の似顔絵の時にも、常に笑顔のまま来られた方がいらっしゃったのですが、私の似顔絵がどなたかの似顔絵より劣っていると感じさせながらの笑顔を作っておられるとき、名刺の脇役である似顔絵であり、その人にとってよい名刺であればうれしいという主旨の会話をすると、名刺の似顔絵ではなく、なぜか似顔絵のみの、「もっと上達して下さいね」という、名刺だと言う主旨を全く理解されないことがありました。
似顔絵がメインであるなどと一言も書いていないので、「似顔絵が付いてくるんですね」という反応が普通なはずなのに、不思議です。
このような不思議な感覚をこの展覧会でも体験するのではないかと、危惧しています。
特定の誰かの似顔絵を全肯定されている方がいらっしゃる予感がします。
「ギャラリーで似顔絵展って、めずらしいですね」
という反応が普通なはずなのに、似顔絵の展示が普通であるかのような態度で、何か他者に聴こえるように発する人形。知り合いの先輩が、その人がしゃべっているように感じる人形を作って飾っていたこともあったのですが、そういう怖いことはしたくないので、アートとは認められないことを自覚しつつ、精一杯の展示方法を模索しています。