教室の心構えを書くところに、かなり分かりやすいように手順を文章として書いてみた。
我ながら斬新なアイデアであったと思ったし、受講生もたくさん来て下さった。
けれど、「分かりやすい手順」が、分かりにくい方が来ることまで想像できなかった。
なぜ受講生が出来ないのかが、私には分からない。
絶対に陥らないようにしていたはずなのに、受講生が分からないことがなぜ分からないのか、仮説を立てられずアドバイスが難しくなった。
今、分かりづらい説明文にしたので、受講生は増えない。
その代わり、分からないことがなぜ分からないのかは、検討が付けられるようにしています。
「分かりやすいの扉」も問題ですが、この日記でよく用いていた、分かったように思って馬鹿にされたまま退出して頂く、「ただのダジャレっぽい自動ドア」は、多重言語であり、流布されたときに言葉の自爆装置にもなり得るので、ゴールだと思わせたことを反省しています。