最近「リアル」という言葉を頻繁に見かけ、そのリアルが薄れゆくことを危惧する記事が出始めた。
現実的という意味ならば、国民が現実的ではなく、現実の記事を求めていて喜ばしいことに思えてしまうから、リアルという言葉がそういう意味ではないのだろう。
「気球に乗ってどこまでも」という歌があったが、「落下傘ではなく、おっかさん」という駄洒落だと、気球が軍事目的になって歌えなくなる。
大きなおっかさんを百貨店のバルーンの垂れ幕のようにぶらさげている気球は、撃ち落とされるかもしれないけれど、中に入っている気体が「子供の夢や希望だった」と、内輪の問題として横書きの記事が出てしまう。
こういうのが薄れゆく「リアル」なのだろうか?