「想像力のある絵」ではなく、「想像力になる絵」が描きたいという気持ちがあります。
すべて細密に描き込むと、鑑賞者から想像力のある絵描きとして評価されるかもしれません。
一方、鑑賞者の想像力をかき立てる絵ですと、想像力のない方、あるいは作者の想像力や描写力を評価しようとする方にとっては、何も描けていないと酷評されることもあるかもしれません。
以前、絵を描く場所がなく、人から見える鏡のある場所で自画像をデッサンしていたとき、画塾の講師のアルバイトしていた同級生から
「画塾の講師は、絵が描けない人ばかりだ」
と教えられたのですが、今考えてみると観てはいないですが
「描きかけの作品」で、その先は生徒が自力で考えて描いてほしかった習作だったのではないか、あるいは抽象画まで進んで、具象は描かないと心に誓った絵描きだったのではないかと想像したりします。
アカデミックなデッサンでは、描いていないところは「描けていない」となってしまいますが、その論法に合わせて言葉を用いれば、描けていない部分や、描いてはいけない部分を、肯定的にとらえる絵描きもいると思います。
「想像力になる絵」は、描けていないと思われることも含め、他者から模倣される危険性はあります。
遊びなら結構なのですが、私の絵の描いていない部分を描きこんで、自慢したりしないほうが賢明です。
それ以上の自身の想像力をもって先を描き続けられれば別ですが、知らないうちに、まわりの指導者や絵描きが減っていくかもしれません。