古里の暮らしの中で

私の住んでいる地域の文化を紹介する

気を付けて・交通事故

2011-08-12 21:19:36 | Weblog
恐れていたあの場所で、先ほど交通事故が起こった。

けたたましいパトカーのサイレンと「左によってください」と繰り返し呼び掛けるマイク。
その後を、しばらくして救急車が行く。
またパトカー、また救急車と数が増え、それぞれの家々からも顔を出す人が多くなる。

私はすぐに、自宅の車を確認する。

救急車が1台しか、帰って来なかったので、もう1台はどうしたんだろうと言っていたら、
けが人を積んで松江方面へも向かったとか。

30分以上も通行止めとなって、先ほどようやく片側交互通行になった。
その間の車の渋滞の列は、すぐ長くなった。

追突した車は下り車線で運転席がぺちゃんこになっていた。
追突された車は反対車線の縁石に乗り上げたまま、歩道を少しふさいでいた。
対向車がなかったのは、この交通量では不思議なくらいだが、不幸中の幸いだった。

警察官がきびきびと動いておられるのと、ガラスの飛び散った量が印象的だった。

近所にタクシーの運転手さんがおられて、新しい道を教えてあげられて、だいぶ迂回道路を行かれた。
私も尋ねられた方には教えてあげたが、慣れない道で、まして夜道では、やはり不安ではないかと思う。
大型トラックの多さも改めて感じた。

高速道路が有料化になって9号線の交通量が多くなってから、近所でもう3件めの交通事故。
おりしも帰省の時期、お互い気をつけましょう!

無料化社会実験終了と道路

2011-07-29 11:11:03 | Weblog
高速道路無料化社会実験によって、高速道路の交通量が増え、
生活道路である国道9号線の交通量が極端に減った。

先日のテレビでは、期間はわからなかったが、
島根県は鳥取県と並び交通事故死亡者数が全国で一番少なかったと伝えていた。

この高速道路は道はずっと1本でつながっているのに、途中の一部が有料という
私には理解できない構造になっている。
その上、無料区間の方が改善の工事をよくやっている。

現在、高速道路が有料になった関係で、確かに国道9号線は交通量が増えた。
しかし、不景気なのか以前ほどではない感じもあるが、
9号線沿線で商売をしている人にとっては、喜ばしいことではないかと思う。

近くによく交通事故を起こす場所があり、先日も事故があった。
押しボタン信号機を押すと、先頭の車は赤信号で止まるけれど、
2,3台後の車がよく追突する。

この信号機に来る前、長い距離で信号機がなくスピードに乗っていて
油断しているのではと思う。

この長い距離で信号機のない区間では、以前は死亡事故が多く、
通行止めになるとどうしようもなかった。

農道という名の道路がついて、う回路ができたとはいえ、
事故は、関係ない地区民の心にも影を落とす。

新しい農道ができて良かったこと

 ※国道9号線の、う回路ができた

 ※小学生が朝の集団登校の片道だけだが、1時間かかっていたのが、30分に短縮された

 ※避難場所になっている小学校の入り口が、大雨が降ると通行止めになるというおかしな
  ことになっていたが、校庭の奥から農道へ避難できる道ができた。

新しい農道ができてよくないこと

 ※早速、ごみを投げ捨てる人が出てきたこと

事故のないよう、まず自分自身が気を付けて運転しなければと思う。  

農道期成同盟会解散

2011-07-23 21:55:20 | Weblog


先日、農道期成同盟会の解散会があった。
事務局として、夫は最後の最後まで会計報告から、解散会の飲み会の段取りまでしていた。

期成同盟会結成前から十数年、これこそ本当の手弁当だった。
会長と事務局は地権者でもなく、ボランティアだった。

完成した今となって、「自分こそが働いた」などという人がいるが、
夫はそれはそれでいい、みんなの力だと、意に介さない。

それでも市会議員さんが2名とも、欠席の返事の葉書に、、「長い間お世話になりました」と
書いてくださっていたのは、わかってくれる人はいるのだと思い、うれしかった。

せめて私からだけでも夫に感謝状をだそうと、ワードのテンプレートを使って上記の感謝状を作った。
「○○県、○○市民、○○町民代表し」としたものだから、
夫は「日本国が入ってない」と言いながら照れ笑い。

私も、いろいろ手伝ったりしたこともあったけれど、
それでもこの期成同盟会の事務局の仕事には頭が下がる思いがある。

ようやく、一仕事が完了した今日この頃、どことなく夫が様子がふだんと違う。
なんと、また別の会の事務局を引き受けて帰り、パソコンで住所録を入力することを
教えて欲しいと、のたまった。

やっと、一仕事済んだばかりなのにという私に、
「元上司の会長に頼まれて、会長兼事務局は大変だから頼むと言われて」と言い訳する。

頼まれると断ることができないんだから、と言いながら、私もまた
パソコンを「やさしく!・やさしく?」教える妻となった。


採れすぎ野菜

2011-07-19 19:59:29 | Weblog
近頃、きゅうりがあふれている。

畑のないお宅に聞いても、きゅうりはもらっているのでいらないと言われる。
我が家にも、きゅうりはいらないかと電話がかかってくる。
サラダ、酢の物、漬物以外に煮て食べるという人もあるが、私は煮てまで食べないなと思う。

捨てるわけにもいかないので、ビール漬けにして会がある時に持って出で食べてもらったり、
生のきゅうりも、誰かもらってくれる人を探すような状態だ。

不思議なことに、今年はみんながきゅうりが豊作だ。
ピーマンやなすびはみんな揃って良くない。

都会の親戚に送っても、運賃のことを考えれば向こうで買った方が安い。
たけのこ、梅などの季節も同じことが起こる。
欲しい人はいるのに、その時に欲しい人を探して渡すのはなかなか大変だ。

商売は、これでみんなの役に立っていることを実感する。
欲しい人が、欲しいときに、欲しいものを、欲しいだけ買うことができる。

きゅうりもこんなに騒ぐほどあふれるのは、ほんのいっときで、
秋風がちょっと吹くと途端になくなってしまって、あれほど邪魔みたいに
扱っていたのを、今度は貴重品みたいにお金を出して買うことになる。


田舎の道路事情

2011-07-10 15:20:11 | Weblog
4月、新しい農道が開通した。

これまで、安来市の西のはずれから東出雲町までは、
片側一車線の国道9号線しかなかった。

いったんここで事故でもあれば、う回路がなく、通行止めで動きがつかなかった。

地元の要望で、紆余曲折を経て、今度の新しい農道がようやく開通したときは
高速道路の無料化社会化実験が行われていた。
国道9号線でさえ、交通量が極端に少なくなっていて
せっかくできたこの農道は、不要な道路の感じになってしまっていた。

ところが高速道路が有料になり、その途端に国道9号線は
以前の大変な交通量が戻ってきた。
「夜の高速道路」と言われていた、そんな時代に帰ってきた。

この農道を知っていれば、渋滞や交通止めの際の、う回路として
便利に使えるようになった。

松江方面からは、米子方面に向かって、東出雲町のはずれの山の上から右折して、
橋をわたりみちなりにすすめば、いい。
農道の終わりが、高速道路の側道に便利につなぐための工事中。

農道の終わりからは、国道9号線にも出ることができるし、
既設の道路を通って、高速道路の側道に行くこともできる。
それにここまでくれば、国道9号線も、旧国道もある。

お暇なときに、ぜひ一度通ってみておかれることをお勧めします。


イソヒヨドリ (ジョウビタキ?)

2011-06-03 07:53:53 | Weblog
当初、ジョウビタキ?としていましたが、この度、知人が「イソヒヨドリ」と教えてくださって、
調べたら、これだと確信しました。2011年9月13日、修正します。

我が家の中庭に小鳥が2羽、餌をくわえてたびたびあらわれる。
かなりの警戒心で、どこに巣を作っているのかなかなかわからなかったが、屋根の下のほんの小さな隙間に作っていた。
じっくり、写すことができないのでいい写真がなかなか撮れない。
ジョウビタキという鳥のようで、色のきれいなほうがオスだろうか。
いい声で鳴いているが、時々「かっ、かっ」とからすのような声も聞こえる。
 
この頃、ようやく巣立ったようだ。
今朝は、親子の写真を写そうと窓を全部開け放っていた。
ところが子供が2羽部屋に入って来ていた。恐怖からか、2羽とも固まっていた。


親はこの頃、庭に下りている子供の鳥に相変わらず、警戒しながら餌を運んでいる。
子供は窓ガラスにぶつかったり、部屋に入ってしまったり、親に心配をかけているようだ。
今日も、庭の隅から「ぴいぴぴいぴ」という可愛い声が聞こえている。

私のまわりの大震災(1)

2011-04-21 10:19:52 | Weblog
東北のM市にいる従姉のK子の元気な声が聞けたのは、震災後1ヶ月が近くなってからだった。
テレビの映像を見たとき、私を襲ったのは後悔の念だった。
住所から地図で調べるととても海に近い。もしかしたらと不吉なことを思ってしまった。

M市には、伯母家族が住んでいた。しかし、伯母もその連れ合いの伯父も、私は一度も会わぬまま亡くなってしまった。
夫が奥の細道を旅する時同行して、お墓参りをしたりまだ会ったことのない従姉に会おうと計画した。
しかし盛岡から急行バスで2時間と聞いたので、体力に自信が持てず見送りにしてしまった。

無事だということだけはとりあえずわかったものの、詳しい様子は全くわからなかった。
私は往復葉書を出し、今、募金などはしているが個人的にでも、なにかお手伝いをすることがあれば連絡してください と書いた。
葉書より、直接声が聞きたかったからと電話がかかってきた。

電話での話で、従姉の家は前は海、後は山になっている住宅地で少し高台にあるという。
電気が1週間来なかっただけで水も出るし、周りがあまりに大変な状況なので申し訳ない気がすると言っていた。
従姉の夫はその日、海端の福祉会館で碁打ちをしていて、地震がおさまったと同時に解散して、自宅に帰って来た。
後でそこに行ってみたら、海に浮かべてあった大きなラワン材が屋上に乗っていて、びっくりしたそうだ。

自宅から目前の状況を見ていたのだから、映像で見ている私たちとは比べものにならない情景だったのだろう。
そのことについて言葉少なに語った。津波の第1波が来て、それが引いたと思ったら、第2波が来てその後に来た第3波が、
第2波を呑み込んでものすごい高さになり、家や人をさらって行った、と。

私の病気を知っていて、反対に励ましてもらった。
彼女の妹のM子が3年ほど前に亡くなったこと、私に連絡しようかどうかM子のご主人や叔父と相談したこと、
それで私が気が付くまで成り行きにまかせようとなっていたことなどを聞いた。

病気になった時、これからは後悔しない生活をしようと思っていたのに、結局私は同じことを繰り返しているようだ。


ししなべ

2011-02-10 15:21:49 | Weblog
パソコンクラブの定例会の日。
この日は、交流センターの掃除を11時からすることになった。
交流センターはいつも無料で借りられるので、年に1回自分たちが使わせてもらっている部屋を掃除することになっている。
掃除にあわせお弁当を取って昼食会をし、午後から勉強会ということになった。
私が毎年いのししの肉を親戚からもらうので、ここ3年ほどししなべを作ってみんなでいっしょに食べている。

前日は私が半日かかって下ごしらえをした。


材料は、いのしし肉1.7キロ・大根・にんじん・えのき・ぶなしめじ・さといも・
ごぼう・ねぎ・白菜・こんにゃく・油揚げ・とうふ・しょうが・にんにく・醤油・酒・みそ
濃い目の味噌汁という感じだが、ごぼうを「ここにごぼうがある」という感じに大きく切ること、
さといもは溶けやすいのであまり早くから入れないことが注意点だろうか。
白菜、さといも、ねぎはパソコンクラブの会員の方が持ってきてくださった。

いのししの肉は半解凍したものを5ミリ弱の厚さに切る。これは夫がやってくれた。
それを沸騰したお湯の中ヘ入れ、湧き上がったアクと共に水に放してよく洗い、
ごぼう、にんにく、しょうがと共に2時間以上柔らかくなるまで煮込む。
他の野菜なども洗って切って、すぐなべに入れられる状態しておいて前日の準備は完了。当日は10時半に出発。
まず大根、にんじんを入れる。次に白菜の芯の部分、油揚げ、白ねぎ、さといも、白菜の葉の部分と順次入れていき、
最後に、えのき、ぶなじめじ、醤油、酒、味噌、豆腐を加えていく。
器に盛ってから、ふりねぎ、丁度あったのでゆずの皮を載せて出来上がり。
他の方が掃除をしておられる間に、パソコンクラブのその日の当番の方が、台所方を手伝って下さって、
こんな大きななべの味付けが苦手な私は大助かりだった。

このいのししの肉は、鉄砲で撃ったもの。
解体許可をとった設備で処理したものでないと、売ることは出来ないのでいつもいただいている。
今回のも、冷凍庫がいっぱいで次に取れた時困るから、取りに来てくれといわれてもらってきたものだ。
また、有害鳥獣駆除で檻で取ったいのししの肉をもらうこともある。
とりたてのいのししの体温を下げてから解体するため、川でいのししが泳いでいることがある。
いつもその珍しい写真を撮ろうとねらっているのに、川につけてあるときにはカメラがなく、
今日こそはと持って行ってもそんな時に限って泳いでいない。

出来上がりのなべの写真を撮るつもりだったのにバタバタしているうちに忘れてしまった。
大なべ2つ分を20人ほどで食べて、残りを欲しい人で分けた。
みんな美味しかったといってくださったが、ものめずらしかっただけかもね。
「物もらい、こと起こし」ということがあるが、みんなで楽しい「こと起こし」だった。


隣の町内のミニサロン

2011-01-29 17:24:41 | Weblog
隣の町内には、お年寄りさん対象のミニサロンを開設しておられる。
5年くらい前か、市の補助があり2.3の町内がはじめられたが
補助金がなくなった時期があり今は私たちの地区ではこの町内だけになっているとか。
1年に10回ほど、いろんな話を聞いたり体操をしたりの行事を行っておられる。

1月の例会には、夫が頼まれて講演をすることになった。
始めは奥のほそ道を歩いた話をということだったが、2時間弱でということなので
東海道を歩いた話ということになった。
せっかくだから、そちらの町内の方もどうぞ と言っていただいて
町内の皆さんに声をかけたら、私たちの町内の参加者の方が多くなり
総勢18人ほどの会になった。

今まで東海道の話をするときは、まだパワーポイントを使っていなかったので
今回写真をパワーポイントに入れなおした。
最後の三条大橋に着いた夫の写真に、吹き出しで「おれはやったぞ!」
「自分で自分をほめている私」と入れたので、最後に皆さんが大笑いだった。

1時間たったころ旅の前半の話が済んで、世話人さんからの心づくしの
餅いりぜんざいがふるまわれ、お茶やお菓子、漬物までいただいた。

私たちの町内でもこんな会を持つといいことは分かっているのだが、
お世話役がたいへんということもあって、なかなかできない。
老人会さんも、解散の危機になっているとのことで、先日も我が家で、
お世話できる会員が入会しなくてはと相談をしていた。

いずれは私たちも行く道、いや若い人から見ればもう歩いている道である。
みんなで助け合って、少しでも住みよい町内にしなければと
みんな言うことは言っているのだが、さて。






河井寛次郎生誕120年記念

2010-12-29 20:19:22 | Weblog
郷土出身の陶芸家「河井寛次郎」の生誕120年記念行事が行われている。
すでに、終わったものもあるが、来年の春まであるようだ。http://www.kanjiro.jp/information/120/

先日知り合いからお菓子をいただいた。
河井寛次郎さんは「紅梅」というお菓子が好きだったが、これを作っていた御菓子やさんが廃業されて今はもう作っていない。
そこで実行委員会の方々の相談で、昔を振り返るより新しいものを作ったらということになって、今回つくられたのがこのお菓子だそうだ。

 

お菓子の表面には寛次郎さんゆかりの図案の焼印が押してある。
著作権の関係で、今回のみの発売だったそうで、これは最終分の貴重なお菓子だそうだ。
賞味期限がまだあるので、お正月の来客用に話の種にしようと、仏様にお供えしている。

常盤堂のそば饅頭、浜重の紅梅など、昔からの地元の有名なお菓子が次々消えていく。
この御菓子が新しい名物として今後も発売が続けばいいのにと思う。