古里の暮らしの中で

私の住んでいる地域の文化を紹介する

「ああ3年」その後

2011-05-28 06:38:51 | 乳がん
お礼を言いたかった3人には早々に報告した。

私を病院に連れて行ったりしてくれた人は、自分も手首を骨折して運転できない時、
私に乗せて行ってもらったので、お互い様だと言われた。
そういえばそんなこともあったかなと思った。
私は「人にしたことは忘れ、人にしてもらったことは忘れない」ように心掛けているため、
(その割にはよく忘れるが)そういわれるまで気がつかなかった。

すいかを持ってきてくれた人は、「今年はうちは小玉のスイカをつくっちょうけん、また持ってきてあげる」と言われた。
ところがあくる日、こんな時期に大きいままのスイカ1個を持ってこられてこちらはびっくり。
「あんたが元気になってくれてほんとうにうれしい、これは私からの祝いの気持ちだけん」と言われた。

看護士さんは「よく頑張ったね、でもお礼を言われるようなことをした記憶はないけど」と言われた。
以前、私が張りつめた気持ちで迎えている検査日を、主人が忘れていたことを話したことがあった。
「それはあなたの甘えだ」とはっきりおっしゃった。あれから私はしゃんとした。
どんな結果が出ようと自分自身が受け止めないといけない、と当たり前のことを自覚した。

それ以来、3か月ごとの検査はもちろん1年に一度の大きい検査でも一人で行き、一人で結果を聞いてくる。
夫がもし、こんな検査を受けるんだったら私はきっとついていくだろうな・・・と思いながら。

私が前回のブログで、再発していたら誰にも言わず一人で闘うつもりだった、
と書いたのを見た方があなたは強い人だと思った、と言われた。
でもあれは検査の良い結果が出てから書いたものだから、そう書けたのかもしれない。
ただ、検査前はそう思っていたことは確かだ。
最近はパソコンのことで病院のある市まで出かけることも多くなったので、
その中で月2回位通院が増えても夫は多分気が付かないだろうから、などどと考えていた。
案外、悪い結果だったら夫の胸でシクシクと泣いていたりしたかもね。(これはさすがにないとは思うけど)

夫は喜んでいるとは思うけれど、それがこちらに伝わってこない。
友達と「この年代の男は表現が下手だがー」と共感しあった。

3年前の今ごろ、カナダ旅行を計画していた。思いつくのが遅く、いいなと思うコースはもう締切になっていた。
それでもなんとかこのコースでと決めて旅行社に頼もうとしていた矢先、検査を受けることになった。
検査結果を見てから申込金を払うから、と延ばしていたが最悪の結果になり中止した。

あれから3年、3年後の検査結果がでたら、これを復活しようと思う元気が湧いてきた。
元気なうちに行ける所へは行っておかなければという気持ちもある。
まずパンフレットを取り寄せて、っとなんだか忙しくなりそうだぞ。





ああ、3年

2011-05-21 10:33:56 | 乳がん
昨日は術後3年目の大きな検査の日だった。

検査の前、もし再発が告げられたら今度は夫にも誰にも言わず、自分ひとりで闘っていこうと覚悟を決めていた。
乳がんはリンパ腺や乳房なら局所再発で対処もあるのだが、骨や肝臓などに転移したら完治はない、と聞いている。

検査の結果はがんマーカーもその他の検査も今の時点でOKが出た。
乳がんの統計では3年後から再発率は下がってくる。
患者にとって率、例えば生存率などいくら数字が出ていても自分には100%か0%でしかない。
それでも3年という区切りにはなにかほっとした、感慨のようなものがある。
主治医に「今度は5年を目指します」、と言ったら「もっともっと先ですよ」と言われた。

晩御飯の時、夫や息子に検査結果を伝えた。夫はそんな検査を受けたとは知らずびっくりしていた。
そこで私は宣言した。「これからも張り切りもせず、落ち込みもせず、普通に暮らす」と。

今回3年を無事に迎えたことで私はしたいことがある。
通院の際、夫の都合がつかない時、送り迎えをしたり、買い物についていってくれた人。
抗がん剤治療の副作用で食べられない時、よその家の畑にある西瓜をもらってまで届けてくれた人。
病気がわかったとき、今の病院に転院を勧めてくれ、何かと相談にのってくださった知り合いの看護師さん。
もっともっと、いろいろの方にお世話になったが、特にこの3人には感謝の気持を伝え、今回の結果を報告したい。

ちょうど、これから笹巻きの季節にむかう。
張り切りはしないとは言ったものの、そろそろ血が騒ぎ出しそうな予感がする。
笹巻き友達との笹取りの日にちも決まったし、初節句の笹巻きも頼まれた。
また今日から、気持を新たに、新しい大切な日々が始まる。



ブロードバンド工事

2011-05-19 21:46:00 | パソコン
地元にケーブルテレビがようやく出来、市内の各所でこんな光景が良く見られる。

これが、各家についた放送端末で災害無線になったりラジオ放送、地域の行事の放送などをする予定になっている。


このほかに、光ケーブルのインターネットやIP電話が利用できるようになった。
料金が安いので、今までのADSLから変更したが、IP電話やパソコンの設定変更、アドレス変更やで大変だった。
私は意地でも業者に頼らずやろうと、自分でパソコンの設定を試みたが、結局最後は周りに迷惑をかけながら完了した。
一番わからなかったのは、無線での接続だった。初めて使うときは自動でつながるらしいが、
私のは今までADSLで使っていたので、変更方法が難しかった。

それでもバッファローの美男子?(声が良かったし、とても親切)が良い具合に教えてくださってこちらも解決した。
「お陰で今日は良い日になりそうです」とお礼を言ったら笑っておられた。

ケーブルテレビの契約も予定に達していないそうだ。
我が家も入っていないのだが、どういうことがあれば加入するかと聞かれた。

NHKの受信料、WOWO、ケーブルテレビを払うと月6,500円かかる。
ケチな奥さんは、今のアンテナが壊れて使えなくなれば考える、と答えた。
他の人は、自分や孫が映るとなったら加入されるかもしれないが、良い案は浮かばなかった。

パソコンクラブもようやく全員がインターネットやパソコンメールに接続が出来るようになった。
これから連絡やテキストの配布が楽になると期待している。

交流センターもパソコンクラブがお願いして、市内の交流センターの中で初めてインターネット接続をしてもらった。
早速、インターネットの楽しみ方と、安心安全な使い方について講習会を開くことした。
今まで話を聞くだけだと、やったことのない方は怖がって「しない」と言われるし皆さんに理解してもらうことが難しかった。
これからは自分のパソコンで受講できるので、今度の講習会の成果を楽しみにしている。