古里の暮らしの中で

私の住んでいる地域の文化を紹介する

カナダ旅行・ハプニング(その1-2)

2011-11-24 22:56:34 | 
火事騒ぎからやれやれと、ホテルの自分たちの部屋のドアの前に来た私たちに
また問題が起こった。
部屋のカードキーを、室内に残したまま避難していた。

幸いに、持ち出した夫のカバンの中に旅行のしおりが入っていたので、
エレベーター前にあった電話から添乗員さんの部屋番号を押した。

ところが、オペレーターが出てきて、相手の部屋番号を聞いているようだ。
数字を棒読みした。そうしたら今度は私たちの部屋番号を聞いているようだ。
それも棒読みする。
ところが番号が違うと言っているのはわかるのだが、
部屋に入れなくてエレベーター前だと伝えようと思うのだが
悲しいかな、それができない。

仕方がないー添乗員さんの部屋に行き、事情を話した。
部屋の前に帰っていてくださいとのことで、待っていると新しいカードを
届けてくださって、前のカードと変えてくださった。
私たちはお手数をおかけしたことを何度もお詫びしたら、
「何も持たずにとにかく逃げるというのは、賢明な行動だったと思いますよ」
と、言われて少しほっとした。
後から考えると、とりあえずフロントに行けば
添乗員さんに迷惑をかけることもなかったかもしれないと思った。

あくる日、バスの中でこの添乗員さんがおっしゃった。
「皆さんの中で昨夜、私からの電話連絡を待って、じっとしていらっしゃった方はないでしょうね。
非常ベルが鳴ったら、各自が自分の責任で逃げるのが、国際ルールです」とピシャリ。

結局、疲れをとりたい私たちがいちばん疲れた、という結果になった。
夫は、「家内がパンツなんか、はかなくてもいいと言ったけれど、はいておかないと
焼け死んだときにハカナイ人生だった、と言われるから」なんておやじギャグをはいていた。

私は、3年前の癌宣告を受けた頃のことを思うと、
今度の旅行に出ることができたのをとても幸せに感じていた。
また、病気をしたことで日々の幸せを実感していて、
「まー、いつ死んでもいいか」などと思ってもいたので、
一生懸命で逃げた自分を思い出すとおかしかった。

知り合いに話したら、「私たちもいつ死んでもいい、と言いながら
医者通いをしている」と言われて、やっぱり人間は死にたくはないんだね、と笑った。

と、言うようなわけであくる日の朝、行った国境の橋。
添乗員さんなしで2人だけで行ったので、本当に帰って来られるか
ハラハラ、ドキドキだった。
この写真が、橋の真ん中の国境をアメリカ側からみた風景。




カナダ旅行・ハプニング(その1-1)

2011-11-20 22:41:18 | 
「他人の不幸は蜜の味」とも申します。
その蜜をほんの少しお分けしますので、ちょっと長いですが、それでもかまわない方だけ読んでください。
楽しそうであろう今回の旅は、思いもかけないハプニングに遭遇した旅でもありました。

振り返れば、日本国内の旅行でさえ今まで1回も経験したことがないことを
言葉の通じない(ただ私たちが不勉強と言われればそれまで)外国で経験したんだから
その驚きは普通ではなかった。と言えます。
皆様の参考になれば幸いと、とりあえず「その1」を書きますが、2・3が載るのかは不明です。

成田空港を17時に出発したエア・カナダでの直行便は、約12時間の空の旅を終えて、
同じ日の16時にトロント空港へ着いた。
空港から約2時間バスに乗り、ナイアガラのカナダ滝、アメリカ滝が両方見えるホテルに着いた。
ホテルの外にあるレストランで食事後、添乗員さんがナイアガラの滝をライトアップしているのを
案内すると言われた。
また、カナダとアメリカの間に掛かっている橋を渡って、橋の中間にある国境を
歩いてアメリカ分に入りカナダに再入国するとのことだった。

私たちは出発前からの疲れも重なっていたし、明日の出発予定が遅かったので
明日行けばいいと、ホテルに帰った。
後から聞いたら、行かなかったのは私たちだけだったらしい。

夫が風呂に入っている時、私の耳に、車がバックするブー、ブー、ブーという音が聞こえた。
何の音だろうと思いながら荷物の整理をしていたが、いつまでもやまない。
おかしいなと思ってドアを開けたらサー大変。
非常ベルがビー、ビー、ビーとけたたましく鳴り、赤いランプがものすごい勢いで点滅している。
しかし、火も煙も見えないし、何も変わったことはない。
他の部屋からもドアを開けて覗く人はいるけれど、また閉めてしまって誰も動く気配はない。

どうしようと思いながら、反対側の窓から外を見たら、警察車輛みたいなのが来た。
人々がみんなこちらのホテルを見ている。

サー大変、避難しなくちゃ。夫を急き立てて私はとりあえずパスポートだけ持てばいいとその確認をする。
夫が、パンツをはいているので、「そんなものはかなくてもズボンをはいていればわからない」
と、とにかく急がせた。夫の髪はまだ半乾きだけど、そんなことは構っていられない。

私の頭をよぎったのは、以前NHKで放送していた実験だった。
部屋に20人くらい人を入れて、煙を少しずつ入れていく。
そうしたら、部屋の中が真っ白になっても誰も部屋を出なかった。
なぜ逃げなかったか、理由を聞いたら「誰も逃げなかったから」という答えだった。
だから、他の人が逃げなくても私たちは逃げないといけないと思った。

廊下に出た夫は、考えれない行動を起こした。
何とエレベーターで逃げようと、ボタンを押した。もちろんそれはもう効かなかったが、
「こんな時にエレベーターなんかだめ、非常階段!」という私に「あそこだ」と誘導してくれた。
ホテル側の館内放送もなければ、避難誘導もない。

私たちは8階から降りたが、降りていくうちに人数が増えて15人くらい、みんなアジア系の感じだった。
3階か、4階あたりへ降りた時、消防士が2人ホースを肩に担いで上がって来られた。
火事なんだ、とその時になって確信した。

外に出た私たちは、まず高い場所に立ち、一面のひとごみの中から添乗員さんの姿を探し、見つけた。
20分も経った頃だろうか、ホテルのボーイさんが玄関から出てこられて、
両手の親指を立てて、それを中へ動かす動作をされたら、皆が、ぞろぞろと中に入り始めた。
誰か、責任者でも出てきて「お騒がせしました」とか言ってお詫びでもするのかと思いきや、
私たちにしてみれば全く拍子抜けだった。

部屋に帰るエレベーターの中で、西洋系の、上着にオーバーを着た女性が私に、
ピンク色のパジャマのズボンをつまんで見せて、肩をすくませてにこっと笑われた。
その気持ちはよくわかったので、私も笑い返した。

話はここで終わって、一応、めでたしめでたしとなりましたが、この話はもう少し続きます。







カナダ旅行(その2)

2011-11-19 19:41:00 | 
10月初旬出発の旅行は、9月下旬の出発より全く同じ旅程で、金額が2万円安かった。
例年9月の方が紅葉がきれいということだったが、
こちらの行事の都合で10月にしていた。
今年は紅葉が遅く、私たちでもまだ4~5日早いかもということだった。
この紅葉の時期、カナダの観光客の8割は日本人だとか。

ガイドさんやお店やカメラマン等で働く日本人を、こんなに多く見るとは思わなかった。
カナダの観光の時期が終わると、オーストラリアなどに移動して仕事をする方もあるようだ。

カナダでは車は右側通行なのだが、みんな日中でもライトをつけていた。
ライトをつけることが決まっているので、エンジンをかけると同時に
ライトがつくような仕様になっている車がほとんどだそうだ。

また私たちが乗った観光バスも、夜でも車内はライトなしで真っ暗だった。
これも決まっているそうなのだが、シートベルトは私たちの感覚と違っていた。
シートベルトがついていないバスもあり、注意されることも全くなかった。
高速道路を飛ばしているときなどは、自然にシートベルトをする自分がいた。

高速道路は道幅も広く、また通行料もいらない。
国立公園内を通る道には、動物が道路ではねられるのを防ぐためにずっと柵がしてあった。
ところがこれでは動物が自由に移動できなくなるので、動物のために道路をまたぐ道が作られていて
車はトンネルをくぐるような形になっていた。
また、動物のための地下道もあるようだ。

1戸建ての家には地下室のある家がかなりあるようで、
建物を見て、地面から少し上がったところに窓があると
それは、地下室のための明かり窓だとか。
洗濯場だったり、下宿として貸したりするそうだ。

洗濯物を外に干すときは、滑車を使ってロープを延ばして干すようになっていて、
夫は「幸せの黄色いハンカチ」のやり方と同じだと言っていた。

どっちみち私たちの観光は、日本との比較から抜け出せないようだ。

カナダ旅行(その1)

2011-11-14 23:12:12 | 
6月初め、乳がん術後3年を迎え気分の良くなった私は、3年前に見送ったカナダ旅行を予約した。
もう1回行くこともないだろうからと思い切ったのと、3年間の思いもあったので
私達にしては贅沢な、10日間でホテルもいい方のコースを選んだ。

3回も取りやめの危機に見舞われながら、10月初めとうとう思い切って出発することになった。
出発した最後の決め手は、キャンセル料が惜しかった、といういかにも私らしいことだった。

カナダの景色などのことは、あちこちで見たり聞いたりできるので
私が驚いたことや、感じたことを書いてみたい。

初めてのホテルで驚いたこと。
なんと、這い上がって登るようなベットの高さ。これはここだけでなく泊まったホテル全部がそうだった。
良くわかるように、近くに立って写真を写したのだけれど。


それからトイレ。こちらは写真を撮るわけにはいかなかったが、
前方の扉と、左右の壁の下が20センチくらい空いていて、隣の荷物や時として足が見えたりした。

ウオシュレットはどこでも1度も見なかった。(ホテルは高級な方だったが、部屋の程度のせいかも)
季節的なこともあったかもしれないが、暖房便座もなかった気がする。
公衆のトイレでも、手洗いのところには、必ず紙が備え付けてあり、ハンカチは一度もいらなかった。

ホテル以外のトイレのトイレットペーパーは30センチくらいの大きな巻きのが2個、横向きでケースに入っていた。
なんでこんないいやり方が、日本に入っていないのだろうと思った。

水道の蛇口にも戸惑った。
左に回しても固いだけで、水が出ないのでふっと思って右に回したら出てきた。
お風呂の蛇口が、右に回しても左に回しても出ないのがあったが、それは引っ張ると水やお湯が出る蛇口だったり。

日本でも、バーで上げ下げする蛇口は、逆になっているのを見かけるから
固定観念では驚くことが多く、こんなことも旅の一つの楽しみだろう。

そうそう男性の女性も、太っている程度が半端じゃない人が多かったこと。
そして、デザートの甘いこと、甘いこと。
小さいケーキでも、甘すぎて半分しか食べられないのもあったくらいだ。

今回の旅は思いもしないハプニングが3つもあった。このお話は次のお楽しみに。