古里の暮らしの中で

私の住んでいる地域の文化を紹介する

ミニサロン

2013-01-28 23:18:03 | 地域の行事
今年度のミニサロンの行事の一つとして、「そうだったのか、わが町内」と称して
ミニ講演会が開かれた。



①卜藏孫三郎(ぼくらまごさぶろう)について
私たちの町内は池を埋め立てて造られた部分が多い。
この事業を約290年前に、自費で行った方が卜藏孫三郎さんである。


②婦人会の記録
前回アップしたような内容を町内の方に説明
蚊帳の金具集めで89個供出したことも記録にあった。

③合併運動
郡を変更しての分村合併運動のこと
これは昔のわが町内周辺の出雲街道(参勤交代の道)絵図

についていろいろ話を聞いた。

最後に14年前の八幡様の遷宮を記録したCDを見た。
町内あげての餅つき、飯台作り、歌の練習、神社までの行列などなつかしかった。
たった14年なのに亡くなっている方も多く、今と比べ勢いのあった昔を思い出した。

「ああ面白かった」というお年寄りの方の声を聞きながら、
私は「あのころは幸せだったんだ」そんな思いが残り、
「いやいや今が幸せと思わないと!」と自分自身を励ました。

次回は各家にある昔の写真を持ち出して話をしよう、ということになった。

婦人会記録簿

2013-01-08 19:32:26 | 地域の行事

昭和12年に私の住む町内で結成された婦人会の記録である。
これが終戦の年の一部を除いて現在まで記録に残されている。

特にこの12年から22年6月までは筆で戦争中の様子が
またその後は戦後の暮らしが綴られている。

このままでは散逸してしまう恐れがあるので、今日は図書館に行って相談してきた。
貴重な資料なので、図書館に郷土資料として残す価値があるとのことだった。
多少でもパソコンを使う私の使命と思い、これを画像として残してから
皆さんの了解を得たうえで寄付したいと考えている。

昭和12年4月14日
○○氏16日に北支へ出征のため会として千人針を製作することに決め役員2名にて午後制作す

昭和15年4月15日
朝7時出発 能義神社、稲荷神社、宇賀荘八幡様、東蒿山、清水寺、祇園様、出征軍人武運長久祈願す

昭和15年6月17日
農繁期に出征遺家族へ手伝いの相談をなす。1軒2.3名宛行くことに決定す

出征兵士の見送り、戦傷者の迎え、病院への見舞、戦死者のお葬式、慰問袋
蚊帳の金輪の供出、藁仕事 一升の醤油を二升にする方法などの講習会 等々 詳しく記録されている。

この綴りを画像保存して、パワーポイントで発表したり、皆さんにコピーをお渡ししたらなどと
思い、二度と戦争のないことを願って、少しでも役立つことがあればと考えている。






平成25年お正月

2013-01-04 08:51:39 | 日々の暮らし

心配した雪は大したこともなく、新しい年を迎えた。
元日、叔母に呼んでもらって年始に行く。
2日、実家に年始。
3日、我が家に年始客。

今年も、もらいもので作ったおせち料理だが、友達がオードブルが手づかずで残ったから
食べてくれと持ってきたので、品数は多くなった。
品数を数えたら24種にもなったが、やはり華やかさに欠ける。
この中で買ったものと言えば、高野豆腐、きんとんの中に入れた栗、2色卵の卵、にんじん位かな。
きんとんの裏ごしや、2色卵の黄身の裏ごし、赤貝の殻洗いなどは夫にやってもらった。
このほかに、茶わん蒸し(生協の冷凍品で)と宍道湖産しじみ汁、亀次米のご飯。
          
赤貝の殻蒸しやハム、ブロッコリーもつけるつもりだったのに出すのを忘れた。
お酒はこれまたいただいた、どじょう米で作った吟醸酒。

今年の特色は、ぜんまいとぎせい豆腐。

年始客の前に来ていた息子の友達の子供が、「おばちゃん、これみんな手作り?」
と言うので、夫が「そうだよ、手で作っていたよ、足では出来んなー」
ところが子供が食べたいものがひとつもなかったのには、その時になって気が付いた。
いつの間にか、大人だけのおせちになっていた。

食事の後は定番のお抹茶。一保堂の「福昔」と坂田真月堂の「千鳥羹」
これは偶然手に入ったものをお正月用にとっておいたもの。
なんかすべてにおいて、夢に欠ける感じがする。

4日朝、外は白銀の世界だった。

9時半、陽があたってきた。

新しい年、いよいよ外に向かって始動!
とりあえず運動を兼ね、郵便局と銀行へ歩いて行こう!

参考     亀次米:http://www.pref.shimane.lg.jp/kochokoho/photo/185/6.html