古里の暮らしの中で

私の住んでいる地域の文化を紹介する

平成25年荒神まつり

2013-10-28 21:55:55 | 地域の行事
H25年10月27日(日)荒神まつりでした。
2年に1度のお祭りです。

「講」から「町内会」の主催に変わってからの初めての荒神様です。

尾の長さは変わりませんが、頭がこれまでの半分の大きさになりました。


子供が隠しに行き、大人が捜しに行くというのも、やめになりました。
引っ張り合いもやめる予定でしたが、それでも形だけでもと少しだけ引っ張り合いをしました。


これが「荒神まいと」の全体です


荒神様です。
町内での披露を終えたマイトは、中央の神木に巻き付けます。昔は大木でしたがそれが枯れたので、今は小さい木です。
これを含めて5か所の幣串(へいぐし)がある所で祭られています。
ここの右手に進んだところにはもう1か所「子荒神さん」が祭られています。
この前で、神主さんが拝まれて町内の者もおはらいを受けました。
拝まれるのは夕方なので、これはあくる日撮影したものです。
荒神さんはアラガミ様なので、お断りしてから映しました。
罰が当たらないといいのですが。


最近は高齢化で人手が足らず、前日に出られるものだけで幣串の下準備がされました。
頂いて帰った幣串は、このように水回りに立てます。

ふるさと祭り

2013-10-28 12:43:22 | 地域の行事
10月26・27日の両日、恒例の荒島ふるさとまつりが開かれました。
パソコンクラブ・初心者教室からも作品を出品しました。


今年は「布プリント」などの作品を展示したので、結構派手になりました。
各町内に貼られた「あらしま市」「ふるさとまつり」のポスター
旅行のアルバムなど、皆さんの力作が並びました。

布プリントは初めてでしたので、作った後で「ああすれば良かった、こうすれば」と
いろいろ反省点がありましたが、楽しい作業でした。

子供さんと来られた若いお父さんが、布プリントの説明書を読んで
「これならできる」と子供さんに作ってあげることを約束しておられたそうです。



ウオーキング大会終了

2013-10-16 19:26:59 | 地域の行事
秋晴れの絶好の天気に恵まれ、ウオーキング大会が開かれました。
事前申し込みが約450名、当日申し込みが約50名、
当日取り消しや来なかった方が50名で、結局450名ほどだったようです。


近頃珍しくなった稲ハデと電車を見ながらのんびりと


ウオークの後にはおにぎり2個と豚汁をいただきました。
その後、3人に1本当たる抽選会がありました。
当たる家族にはなん本も当たるのに、
私も、そしていっしょにいた町内の方にもとうとう1本も当たらずに終わりました。

会場に設けられた あらしま市で買い物も楽しみ、いい汗を流して帰りました。
やはり、天気がいいのはそれだけで「成功」というのを実感しました。

多数のお世話焼きの方のおかげで、今年もいい大会になりました。

JR西日本の大きな壁

2013-10-14 13:52:16 | 日々の暮らし
8月7日、地区のおじいさんが列車にはねられて亡くなった。
300mほどの間でこの30年間に4人目の犠牲者となられた。
踏切を渡ってから、線路の向こうに道さえあれば防げた事故だ。
子供1人とお年寄りが3人。特にこの場所は2人目だ。
それというのも松江側が急カーブになっているため、見通しが悪い。

これが亡くなられた場所


いつの間にか看板の字句が変わっていた。
国鉄時代は「列車が来ます。気をつけて渡ってください」
以前写真を写したときは「ここは危険です。安全な踏切を渡ってください」
今回見たら「線路横断は危険です。ここは踏切ではありません」と。
踏切を渡っても、道がなくて行くことができないから、踏切でない線路を横切るしかないのに。

この度、地区として線路の向こう側に道をつけてもらうよう、
市にお願いしていっしょにJRに申し入れをしたところ、地域住民とは面会しないとのことで
市役所から出かけてくださった。

しかし、「赤道(あかみち)である昔の出雲街道を線路が横断していることは承知している。
線路を横切らなければ自分の畑に行くことができないことも承知している。だから通るなとは言わない。
対策としては、警笛を鳴らすくらいだが、これだと地区民から苦情が出るのではないか」とのこと。
現状の改善は少しも考えられていないようだ。

もう4人も亡くなっているのに、対策はないのか。
あと何人亡くなれば考えてくれるのか。
列車の乗客だって非常ブレーキがかかれば危ないだろうに。

市役所に職員の方が、JRとの話し合いに憤慨しておられたのは少しの救いにはなるが、
公共の為にはどうしようもないのかという、むなしさだけが残る。

線路がついたのは明治41年、犠牲者が出だしたのはここ30年のこと。
列車が電車に変わり高速化されても、施設はそのままでいいというのだろうか。

おりしも今日、踏切近くで工事が始まった。


そこはもし私たちの要望が聞き入れられるならば、岩を削る場所なので警備の方に聞いてみた。
「雪が降った時、上の竹が線路に覆いかぶさるのを防ぐため、柵を作る」とのこと。

これ以上、犠牲者を出さないためにはどうしたらいいのだろうか。
「明日は我が身」地区民の声はJRには届かないのだろうか。