古里の暮らしの中で

私の住んでいる地域の文化を紹介する

隣の町内のミニサロン

2011-01-29 17:24:41 | Weblog
隣の町内には、お年寄りさん対象のミニサロンを開設しておられる。
5年くらい前か、市の補助があり2.3の町内がはじめられたが
補助金がなくなった時期があり今は私たちの地区ではこの町内だけになっているとか。
1年に10回ほど、いろんな話を聞いたり体操をしたりの行事を行っておられる。

1月の例会には、夫が頼まれて講演をすることになった。
始めは奥のほそ道を歩いた話をということだったが、2時間弱でということなので
東海道を歩いた話ということになった。
せっかくだから、そちらの町内の方もどうぞ と言っていただいて
町内の皆さんに声をかけたら、私たちの町内の参加者の方が多くなり
総勢18人ほどの会になった。

今まで東海道の話をするときは、まだパワーポイントを使っていなかったので
今回写真をパワーポイントに入れなおした。
最後の三条大橋に着いた夫の写真に、吹き出しで「おれはやったぞ!」
「自分で自分をほめている私」と入れたので、最後に皆さんが大笑いだった。

1時間たったころ旅の前半の話が済んで、世話人さんからの心づくしの
餅いりぜんざいがふるまわれ、お茶やお菓子、漬物までいただいた。

私たちの町内でもこんな会を持つといいことは分かっているのだが、
お世話役がたいへんということもあって、なかなかできない。
老人会さんも、解散の危機になっているとのことで、先日も我が家で、
お世話できる会員が入会しなくてはと相談をしていた。

いずれは私たちも行く道、いや若い人から見ればもう歩いている道である。
みんなで助け合って、少しでも住みよい町内にしなければと
みんな言うことは言っているのだが、さて。






平成23年年始客

2011-01-09 13:10:32 | 日々の暮らし

今年の年始客は8日午後になった。
お茶でいいからとのことだが、ここからができた嫁(?)のつらいところ。
お正月の残り物を集めて、一皿作って出した。
二色卵、丸めたきんとんの上に黒豆、にんじん、くわい、ブロッコリー、
赤貝、松葉に刺した銀杏
使った皿は、小さい刺身用の皿で大正時代のもの。銅板書きでそんなに上等のものではないが、といただいたもの。
柄が古い感じがしておもしろい。

お抹茶は、お菓子は河井寛次郎生誕120年記念のお菓子と普段は使わないお茶碗をだした。
茶筅の新しいのをおろしたらとても点て易く、気持ちの良いお茶が点った。

我が家の中庭の雪は、米子の自分の家の3分の1だそうで、やはり米子は雪の量が多かったようだ。
また、近くのある団地の方が団結して、大通りまで除雪をして車の通れる道を確保されたそうで、
その団結力に感激したといっておられた。

昨年夏の猛暑の時期は、これで冬が来るだろうかという感じだったのに、
この雪はなんだ! 人間なんて勝手なものだ。

8日夜は、交流センターにて地元の各会の方々の新年会。
早速、迎えを頼むとの電話が掛かって来て、新しい年の私もいよいよ動き出す。

1月3日から7日まで

2011-01-07 15:53:37 | 日々の暮らし
3日にはようやく雪による交通の騒動も徐々に解決していく感じが出てきた。
その代わりに、ハウスや漁船の被害が明るみになってきた。
年賀状は3日の11時過ぎに徒歩で配達された。

親戚からの年始客も車が家から出ないので、また雪が融けてから来ると連絡があった。
私が嫁に来てから初めてのことだ。
親戚の沖縄から帰省した孫は、31日飛行機が出雲空港に降りられず神戸空港に降ろされてしまったとか。
そこから新幹線、伯備線を乗り継いで米子駅までは無事着いたそうだ。
でも家までの交通手段がなく、米子の駅前ホテルで1泊した。
あくる朝米子から安来まで、国道に停まっている車の間をぬけ3時間かけて歩いて帰ってきたそうだ。
3日に伯備線で岡山まで出て、岡山空港から沖縄に向ったそうだ。

私の弟は29日に関西から高速バスで帰ってきてレンタカーを借り、2日午後に高速バスで自宅へ帰る予定だった。
2日に米子まではなんとか出たものの高速バスは見込みがなく、
伯備線の特急も3日の早朝の席しかなかったため米子のホテルで1泊し、朝6時台のに乗って帰っていった。
実家の両親は、「隣近所もお正月で若い人が帰ってきてくれていて、
みんなで雪かきをしてくれたので本当に助かった」と言っていた。

3日の新聞で島根半島の方が停電で大変だとあったので、知り合いにお見舞の携帯電話をかけた。
そうしたら紅白の途中から停電になり、まだ停電状態だった。電柱が折れて道路をふさいでいるとのことだった。
ガスと水はあるとのことだったが、想像以上に不自由で大変な生活のようだ。
携帯電話の充電もままならないとのことで、あわてて電話を切った。
私達の地区は、停電がなかっただけでもまだ幸いとしないといけないと思った。

7日の今日は、31日甲府町のスキー場で亡くなった地元の方のお葬式があって夫も参列した。
甲府町の町長さんはじめ、勤務先の会社関係者など多くの参列者があって
150人入るといわれる斎場はいっぱいだったそうだ。
若い方のしかもこんな事故よるお葬式はたまらない。
逆縁により、残された80代のご両親の悲しみは想像にあまりある。

「もう雪はいらない」という私に、夫は「まだ冬はこれからだ」と言う。
暖冬に慣れていた身にとって、”思わぬパンチをくらった”今回の雪だった。

1月2日

2011-01-02 15:34:01 | 日々の暮らし
昨夜から雨になり、今朝は雪がかなり解けていた。
38年の豪雪はうさぎ年だったそうだが、どうやら今回は根雪になることはなさそうだ。
新聞は元日の13時ごろようやく届き、今朝はBS放送も見ることが出来るようになった。
ただ、年賀状は2日15時30分になった今も届かない。
昨日は近所に来られた車が動けなくなり、夫や息子も手伝いに出て雪をかいたり車を押したり大騒動だった。
今日は、近所の方に声を掛けて皆でわき道の雪かきをして、3軒の家の車が国道に出られるようになった。

東京が少しの雪で大騒ぎをするのを笑ってみているのだが、いつも大雪に見舞われている地域からすれば、おかしいかもしれない。
ただ、昨日我が家から300メートル位のところで国道9号線を上下線とも2時間くらい停めてしまったのは、
岡山ナンバーのトラックが横滑りをして道をふさいでしまったからだった。
近所から16時半ごろ境港に向って帰られた車は、安来の駅前で車が停まってしまい、
いつもなら1時間半もあれば着くのに、家に帰り着いたのは今朝6時だったとか。

私も明日は我が家に年始客が来あるので、今日は実家へ行く予定だったが、止めにした。
せめて市内の叔母の家にでも思ったのだが、わき道に車が入れないとか。
とうとう2日間寝正月になった。こんな正月は初めてだ。

奥大山のスキー場で4人も亡くなられたニュースを見て、始めは同姓同名の方がおられると思っていたのだが、
それが地元の方だと分かりショックは隠せない。

今、大根島からの年始客があった。
我が家へ入る道が雪のため分からず、近くのコンビニに車を停めて歩いてこられた。
大根島は31日の紅白を見ていたら停電になり、今夜ごろにはようやく電気が来るのではないかとのことだった。
それでも灯油ストーブがあったから良かったが、電化住宅で停電の備えがなかったお宅は大変だとか。
実家へ行って早くお風呂に入りたいと言っておられた。

久しく忘れていた雪の猛威。自然の力を思い知らされた年末年始となった。

平成23年元旦の朝

2011-01-01 10:09:59 | 日々の暮らし
昨夜からは多少雪はふえているが、どうやら峠を越えた感じでお日様があたり出した。
今は雪ずりの音がドスン、ドスンと聞こえている。
朝7時半頃には、近所のお家の庭に置いてあった普通車がすっぽり雪に埋まって車の形が見えなかった。
 

いつも思うのだが、写真に写すと現実の迫力が伝わらないのは残念だ。
近年は暖冬のためか雪のないお正月に慣れていたのに、思いもかけない大雪だ。
新聞も10時現在の今も、まだ届かない。全国紙はテレビで配達が遅れている旨放送している。
年賀状も郵便局はどうされるのだろう。オートバイでの配達は無理のような感じなので、
いつ来るかもわからない。
先ほど、国道9号線を除雪車が走った。何年ぶりのことだろう。

近所の方が、これから八幡様にお参りすると出てこられて、夫が「こんな日にお参りすれば、
神様も願いを良く聞いてくださるよ」なんて言うので笑いながら出かけていかれた。
この方が言われるに昔ご主人達はこんな雪が降ると、うさぎ追いに行かれたとか。
「うさぎを追って捕まえて食べたんだろうか」と言うと、夫が「うさぎの肉はうまい、”うさぎ美味しかの山”と唄う歌がある」と。
今年もまた、こんな調子かな。