「終戦忌 父はテレビに正座せり」
「兵たりし日の父おもう麦畑」 義姉が父親を詠んだものです。
舅は幸いにも終戦の翌年の3月2日わが子の命日に帰ってきたそうです。
舅の弟は、昭和20年8月15日・終戦の日が命日です。
フィリピンの山の上で終戦を知り、山を下りるよう命令があったのに、
山から下りることができなかったそうです。
妻であるおばさんは、大風の吹く夜など、戸がガタゴトと音を立てると
もしや夫が帰ってきたのでは・・と、起き上がる と言っておられました。
舅の妹婿は、女の子が生まれて3日目に召集令状が来て
家族はその子の母親の産後に響いてはいけないと、隠していたのですが
近所の方が次々と「おめでとうございます」と出征を祝いに来られるので、
わかってしまったそうです。
それから4日後に出征されたのですが、外地に向かう船が沈んで亡くなられたとのことです。
戦後も69年になり、夫を戦争で亡くした方たちも、
またその遺児たちも亡くなる時代になりました。
私たちは親、親族から直接戦争の話を聞ける、最後の世代となりました。
私と同年の方が先日、こういわれました。
「親は苦労したかもしれんが、私等はいい時代を生きた」と。
わが子、わが孫たちにも、私たちと同じく、幸せな時代を生きてほしいものだと思います。
「兵たりし日の父おもう麦畑」 義姉が父親を詠んだものです。
舅は幸いにも終戦の翌年の3月2日わが子の命日に帰ってきたそうです。
舅の弟は、昭和20年8月15日・終戦の日が命日です。
フィリピンの山の上で終戦を知り、山を下りるよう命令があったのに、
山から下りることができなかったそうです。
妻であるおばさんは、大風の吹く夜など、戸がガタゴトと音を立てると
もしや夫が帰ってきたのでは・・と、起き上がる と言っておられました。
舅の妹婿は、女の子が生まれて3日目に召集令状が来て
家族はその子の母親の産後に響いてはいけないと、隠していたのですが
近所の方が次々と「おめでとうございます」と出征を祝いに来られるので、
わかってしまったそうです。
それから4日後に出征されたのですが、外地に向かう船が沈んで亡くなられたとのことです。
戦後も69年になり、夫を戦争で亡くした方たちも、
またその遺児たちも亡くなる時代になりました。
私たちは親、親族から直接戦争の話を聞ける、最後の世代となりました。
私と同年の方が先日、こういわれました。
「親は苦労したかもしれんが、私等はいい時代を生きた」と。
わが子、わが孫たちにも、私たちと同じく、幸せな時代を生きてほしいものだと思います。