古里の暮らしの中で

私の住んでいる地域の文化を紹介する

一俵香奠(いっぴょうこうでん)

2011-09-16 12:14:52 | 地域の行事


米子の親戚の105歳のおばあさんが亡くなった。
お葬式に参列したら、一俵香奠の張り紙があった。

聞いたことはあったが、見るのは初めてだった。
見るまでは、「米1俵」と書いてあるものかと思っていたが
「玄米1俵」と書いてあった。
一緒に行った親戚はこれを見て、この分を香奠とは別に届けないといけないと
思ったというほど、珍しい光景だった。
が、地元の親戚の方は、それを聞いて逆に驚いておられた。
精米した米は日持ちしないので、昔は玄米で届けたからだと言われた。
ところ変われば、ということだろう。

昔は、町内の方が香奠の受付をした際、香奠に米1俵も届ける親戚が
こんなにあるという誇りで張り出した、名残りだそうだ。
米が現在とは比べ物にならないくらい高価な時代の話だ。

親戚の話では、これはいらないと町内に言ったそうだが、
もう半紙に書いて準備がしてあると言われたので、
親戚の主だったところを書いて渡したのだとか。

これも今は米子の市内ではほとんどないそうだが、
米子も少し田舎になると、今も残っているのだとか。
米子というより、伯耆の国の風習のようだ。







八朔さんの万燈籠(はっさくさんのまんとうろう)

2011-09-15 22:56:24 | 地域の行事


だいぶ前の話になってしまいましたが、8月29日夜、伯太町井尻の夏祭りに行きました。
それも、万燈籠と花火が目的でした。

以前見た、万燈籠の美しさが忘れられず、ちょうど都会から来ておられる方が
ぜひ見たいと言われるので、一緒に行きました。

このお祭りは、武内神社のお祭りで、ずっと前は8月31日でしたが、
31日では、あくる日から学校が始まるので29日になったと記憶しています。

神事さんが出られる時の、明かりとして灯されるものですが、
近年は、以前よりずっと範囲が広がっていました。

この写真は地元の方にお借りしたものです。
山の形をした万燈籠の右手の下の方が、ずっと長く延びています。
あまりの美しさというか神々しさか、自然と涙がにじむような、
不思議な感覚でじっとながめました。

私たちは高台に上がって見たので、全景がとてもよく見えました。
花火も900発が15分間であがり、これもきれいで感激しました。
立派なカメラを持った方たちは、私たちよりもっと上の方に上がって行かれました。

失礼ながら、こんな山の中の小さい街で、これだけの屋台や人出を見るとは
地元の方のご苦労を思いました。

万燈籠は自治会ごとに、設置する担当場所が決めてあるそうそうです。
設置前には草刈をしたり、孟宗竹を切ってきて準備をされます。
布切れを入れ灯油を入れた後、火をつけるという昔ながらのやり方です。

子供のころ、お寺での盆踊りの夜、この万燈籠が道の両側に立ち
足元を照らしていたのを思い出しました。

来年はもっと早めから出かけて、夜店の金魚すくいや地元の文化祭などもあわせて、
ゆっくりした時間をもってみたいものだと思いながら、
消えつつある万燈籠の間の道を通って帰途につきました。