古里の暮らしの中で

私の住んでいる地域の文化を紹介する

イタチ騒ぎ

2010-05-14 21:55:54 | Weblog
天井裏にイタチが住み着いた。

夜行性だと思っていたのに、昼も夜も天井裏で大きな音をさせる。
夫が屋根の上を走るその姿を見てイタチとわかった。

その後、私も初めてイタチというものを見た。
顔は小さく、口が突き出ていて身体の厚みの割りに足が長い。
色は狐のような色で、しっぽが太く長かった。

同じ町内の方も庭先でイタチを見た、と言われる。
そこの家から、線路と国道を渡って来たのだろうか。
夫はイタチが手をあげて国道を渡ってきたんだなどと、またいつもの調子で言っている。

工事業者に来てもらって、屋根を見てもらった。
来られた人とは心安いので「工事のミスじゃないの」と言うと
「こんなことになったらミスだろうが、まさかこんなところにイタチが出るとは思わなかった」と言われる。
イタチやテンは、頭が入る穴であればほんの小さい穴でも入るそうだ。

その日は、2ヶ所疑いのあるところをふさいで帰られた。
もう1箇所留めたいが材料がなくなったのでまた来るとのことだった。
その夜、天井裏は大騒ぎ。穴がなくなって大あわてをしている様子だ。
天井裏で死なれても嫌なので、天井板をはずせる場所から部屋を通して逃げさせようと思っていた。

ところが次の日の朝、また出ていくイタチを夫が目撃。やはりもう1箇所出入りする穴がある。
それを今日ふさいでもらった。イタチがお出かけになっていればいいが、
中にいれば今夜もまた大騒ぎだね、と工事に来てくれた人とお茶にする。

この方は、武良布枝さんの同窓生で、つなぎ石の記念碑の除幕式の時、
同窓生仲間で布枝さんに花を送られたメンバーである。

私が「布枝さんを電信柱なんて言っていたのは、あんたたちでしょう」とからかったら
「あれは作り事だ。同窓生の中には大きい女性がいて、その方の弟は相撲取りになった。
布枝さんは背が高いなんて思っていなかった」と言われた。
「お父さんは良く知っているが、あれはドラマの通りの人だった」と言われるので
「昔の人はあーだったが」となつかしんだ。

また、「今朝のドラマ放送の水木しげるさん宅に泊まっている紙芝居をしている人は、
昔、時々テレビで見た田辺一鶴さんという講談師がモデルだと思うよ。」「そうか、それは知らなかったな」
田辺一鶴さんを、水木しげるさんより先に知っていたような気がするが、
原作を読むまで関係のあった方とは知らなかった。

お蔭様で、今夜の天井裏は静かだ。
穴をふさいでもらったタイミングが良かったようだ。
イタチゴッコということがあるが、そうならずに今回の騒ぎはようやく収まりそうだ。

ちなみにイタチゴッコとは、遊びから来た言葉だそうです。


連休の一日・古き良きもの

2010-05-07 23:05:24 | Weblog
筍掘りに行っていた夫が帰ってきた。
近所の方と外で花を眺めながらお茶を飲もうと、準備しかけていたところだった。
戸を開け放ちした玄関を見て、何で というような顔をした。
私が、「戸を閉めておいたのにツバメが家に入って来て出て行かないので
開け放しにしている」といい訳をした。
夫が「そうだろうな、ツバメが自分で戸を開けて入ったんだろう」
近所の奥さんはそれを聞いて大笑い。「あんたとこの旦那はおもしろいね」

安来の親戚で、米子の親戚と偶然いっしょになった時、夫は「30分で帰るぞ」と私に言った。
それなのにいくらでも楽しそうに話をするので、私は体調も良くなかったが我慢していて
1時間位して、私がたまらず帰ろうと言ったのでようやく腰を上げた。
帰りの車の中で、「30分と言ったのは貴方だったくせに、ずいぶん長かったね。」
「わしはおまえが楽しそうに話しているから気分が良くなったと思って、つきあって話していただけだ。」
「私は貴方が楽しそうだったから、つきあっていただけだよ」
何十年夫婦をやっていてもこんな行き違いはままある。

この日安来の親戚が、東京にいる家(うち)の孫が夫を連れて挨拶に来た言われた。

この場合、家(うち)の孫とは我が家から嫁に行ったり、分家をしたりして出て行った方の孫を言う。
自分の孫とは違う。私も嫁に来た時、姑が「あれはうちの孫だけん」と言う意味が良くわからなかったものだ。

この客は、若いのに古いものが好きで「この建物は150年たっている」と言うと
大喜びであちこち見ていたとか。何でも古いものが好きだと言うので、
捨てるに捨てられない古いカメラを見せたら大喜びなので、
あげることにした。あんなに喜んでもらえてこちらもうれしかった。と話された。

米子の親戚はそれを聞いて、「この家は古いものがあるからいいね、うちには何にもないわ」
それを聞いたわが夫いわく、「とっておきの古い宝があーがん、100年物ですよ、差し上げますって言えばいいがん」
「そんなもんないわ」と言った米子の親戚が、いち早く夫の言葉を理解して笑い出した私に気がつき、
自分たちもようやく気がついて笑い出された。
この家には105歳の母親がおられる。今でも畑の草取りに出られたりするもののいろいろ手がかかり、
さっきまで夫婦の喧嘩の種だと話しておられたばかりだ。
「そうだ、この間は散髪をしてやったら初めて礼を言われましてな」などと
これがきっかけで、このおばあさんのいい話がいろいろ出てきた。

私も姑を6年介護していた間には、こんな夫のユーモアに何度か救われた。
それにしても、今の私は自由な身分だなーとつくづくありがたく思う。

ゲゲゲの女房(5)

2010-05-03 20:54:34 | Weblog
買い物ついでに安来の親戚へ庭の花を届けた。

偶然、米子の親戚が夫婦で、ゲゲゲの女房の大塚へ見学に行った帰りだと立ち寄られた。
お土産に、つなぎ石に彫られた水木しげるさん夫婦の姿と同じ焼印のついた、お饅頭を買って来ておられた。
今日も人出が多かったそうだ。
布枝さんの御実家で長靴を履いた中年の男性がおられて
「私がテレビで、おばちゃんいつ帰るの、と言った子供です。」と言われたとか。

安来の親戚への土産なら、千鳥羹のほうが喜ばれたろうにと内心思ったけど
たぶん、千鳥羹を知っておられなかったのだと思う。
千鳥羹はテレビドラマのお見合いの席へ、主人公が持って出たのだが
気づいた人はいただろうか。

安来がでる場面がこれで最後の放送だという時、王陵の丘の風景が写真で出たね、と
都会に出ている娘も連絡してきて、「ゲゲゲの女房のテレビ放送はこっちでもだんだん
評判が良くなって結構話に出るよ」と言う。

家に来た子供たちが水木さんの色紙を見て、どうしてこんなのがあるのと聞くので
遠い親戚だからと答えると、遠いと言ってもどんなに遠いか教えてと、子供は妥協がない。
私も良くわからないから、もう一度どんな関係か教えてくれという。

「大杉漣さんの安来節が、下手だけど歌ったという設定だとしてもひどすぎて、
聞いていられなかった」と私が言ったら、娘は「それはいつも聞きなれているからだ。
こちらの者はそんなことないと思うし、私はあれでも上手だったと思うよ。
うちのお母さんなんか、大杉漣さんが安来節を歌うシーンは涙を流して見ておられたよ」と言う。

地元では、思いがけない所や思いがけない人の上手な安来節が飛び出すから、うっかり唄えない。
一度でいいから、誰も本場の安来節を聞いたことがない所で、素人の安来節を唄ってみたい。
これなら案外、娘の所ならいいかな・・・

私は初めての見合いで結婚したので、母は、「一度でいいから断ってみたかった」と言った。
布枝さんの時代はもちろん、私達の時代のほんの少し前の田舎ではまだまだ見合いが多く、
仲人さんが行ったり来たりでまとめることが多かった。
なかなか返事がないと、お菓子を持って行ったりして仲人さんが動かれた。

早く返事が欲しい時には、生魚を持って行く。冷蔵庫のない時代のこと、早くいい返事をとせまった。
これで、その魚を食べてしまうようでは、しっかりした母親とはいえない。
賢い母親は、その魚に塩をしておくものだ、と母は私に言った。今ならさしずめ冷凍か。

最近は草食系男子が多くなり、自分でプローポーズも出来ない男が多くて嘆かわしいなどとテレビで言っている。
そうだろうか。昔の男はプロポーズなんかしなくても、みんな仲人さんがいい具合にしてくれて、
仲人さんにお願いします、と言えば全部段取りをしてもらえた。

私もプロポーズはなかった・・・思い出したら悔しい気持ちになってきた。
魚が来るまで待って、塩をしてもう少し粘ればよかったかな。