古里の暮らしの中で

私の住んでいる地域の文化を紹介する

珍しいお客様

2013-08-12 11:47:45 | 
10時前、縁側に布団を干していたら、前の道から「奥さん、ペットボトルに水を頂けませんか」と
声をかけた人があった。

真っ黒に日焼けした50から60歳くらいの、自転車日本一周をしている方だった。
水道の水より冷たい方がいいだろうと、氷に通しながら水を入れた。
「朝4時から走っている。水やお茶を買っていると一日1500円位かかってしまったので」と言われた。

夫も出てきて、話をしていた。
私はその間に、氷をビニール袋に入れてお渡しした。
「これはありがたい」とそれを首にかけたタオルに包んで、首筋に当てられた。

愛知県から出て、太平洋側をとおって北海道に渡り、今は日本海側を南下しているところだとか。

写真を写すと言われるので、写してあげるのかと思ったら、私たちを写したいとのこと。
私は朝から、花を採りに行った畑のズボンをはいたままの憐れな姿、写真なんかお断り。
親切を受けた人の写真を残しておくのが自分のポリシーとか。
「ご挨拶が遅れました」と言って、自転車につけた「一期一会」とかいろいろ書いた板を見せられた。
夫が写真に納まって、またこの炎天の中を出発していかれた。

見送ってから夫と熱いコーヒーを飲みながら、私の一言。
「何を好き好んでこの暑い中を、あんなことをやっておられるんだろう」

夫の苦笑い、見ものだった。



お盆の花

2013-08-12 10:56:49 | 地域の行事
いよいよお盆がやってきた。
昨日夕方から、盆花の準備を始める。
夫は山の畑から、花の木とほうずきを採って来てくれた。
昨年からお花は買わずに済ませているが、今年も盆花にお金を使わなかった。
お金よりも何よりも、花を買いに行った時のレジの行列にはもう耐えられない。

これが花の木

花の木やほうずきは実がついているので、仏さんが喜ばれるそうな。

花はこれ


鶏頭・・・自宅で作ったものと近所のIさんから
桔梗・・・自宅で作ったものと近所のKさんから
初雪草・・花の木を差し上げた先から頂いた
女郎花・・自宅で作ったもの
千日紅・・自宅で作ったもの
ほうずき・自宅、山の畑から 今年は草刈りの時に夫が気をつけて残してくれた。素晴らしい出来だった。
スターチス・・自宅で作ったもの

今年、ほかのお宅へ差し上げたもの
女郎花、ほうずき、千日紅

アスター(江戸菊)は苗をいただいて育てたが、今年もダメだった。
ミソハギは、お盆に咲くように途中で1回切るのだが、切り時が悪く間に合わなかった。
桔梗も切り時の失敗で、我が家のは短かった。

明日13日の朝は、先を争うようにお墓に花を立てに行く。
帰ってすぐ、仏壇に花をたてる。

16日朝、また先を争うように花を替えに行く。
替花(かえばな)といって、お盆に立てた花を抜き、花の木やしぶきと取り替える。

家の仏壇に立てた花は、15日の盆さん送りで送り、
16日朝、また新しい花に替える。



小さな幸せ

2013-08-08 09:08:11 | 乳がん
今年5月、乳がん手術から丸5年を迎えた。

主治医が「5年になりましたね」と感慨深げにおっしゃった。
私は「はい、有難うございます」とは言ったものの、
1年ごとの詳しい検査の時期が少しづつ、ずれていて、
5年目の今年の検査はまだだったので、心から喜べる心境ではなかった。

その検査が先日あり、画像を見る限り”再発は認めない”とのこと。
本当にほっとした。
再発もなく、元気で5年生存できたことはありがたいと思わなくてはならない。

主治医に「少しホッとしました」と言ったら
「この病気は5年でホッとしたらいけません、まだまだ頑張ってください」と言われた。

丸3年たった時、「次は5年を目指します」と言ったら
主治医は「もっともっと先を目指してください」とおっしゃった。

私の5年生存が統計の確率を少し上げるかも・・・・・
でも、いつも思うのだけど、再発率、生存率と言っても自分にとっては0が100しかない。

がんになってから初めての同窓会の時、誰にも言わなかったけれど
これがみんなに会える最後かも、と思っていた。
それから2年後の同窓会の時も、そう思った。
次回はどうなんだろう。
でも、次回出ることを考えているということは、きっと自分は大丈夫と思っているということかな。

5年の歳月は、徐々に以前の怠惰な平凡な生活に戻しつつある。
やりたいことをやっておく、という気負った感じがいつの間にか薄くなっている。
でもそれが幸せなことではないのかなー。

先日、親戚の者のがんがわかり、夫がその家族にお見舞いの電話をしていた。
「本人が一番つらいけれど、家族も大変だろう」と。

私のつらさをちっともわかってくれない感じの夫に、いつも内心苛立っている私だが、
それなりに夫もつらさを隠しているんだ。
本当は私もそれをわかっているのだが、少しは心配している様を見せてもいい、と
思うのは私のわがままかな。



列車人身事故

2013-08-07 17:53:45 | 日々の暮らし
パトカーや救急車がけたたましい音で行きかってはいたが、どこか遠くのことと思っていた。
テレビに列車の運休の字幕が出て、あわてて外へ飛び出した。

本当に忘れたころ、また列車と人の事故が起こった。
まだはっきりしないが、80代のおじいさんとのこと。
線路の向こうに畑があるそうな。

今回の現場は、以前ここに書いたこの記事の写真から西に行った所
環境はここと同じだが、西側がカーブになっていて、私たち通る所よりまだ見通しが悪い。

線路の向こうに畑があるのに、踏切ではない線路を横切るしか行く方法がない。
2009.11.9 新聞記者をごまかすための看板? に記載

http://blog.goo.ne.jp/koyakoya-07/e/aed514ca36267e16f676cc55c6ef832c

また同じことが起こってしまった。
この30年ほどで、これで4人目だ。

ミニ同窓会(がんのこと)

2013-08-07 04:12:33 | 乳がん
地元の女性の同窓生が時々集まっておしゃべりする。

5月にそのメンバーの中の息子さんが、33歳の若さでがんで亡くなられた。
すっかり気落ちした最近の彼女の様子を聞いて、
初盆で忙しくなられる前に集まろう、ということになった。

当日、「今日は彼女を慰める会だから、彼女の話をしっかり聞いてあげんといけんで」という人がいて
私はあえて「そんな意識をせずに、普通に会話すればいい」と言った。

何時も必ず出るのは、体育教師から受けた「しごき」のこと。
今回は私が美術の教師から受けた「理不尽な扱い」の話をして、
「その時、クラスの全員が私を笑った、ここにいるアンタ達もだ」と言ったので
「そんな記憶が全くない」と盛り上がった。

笑いの中にも、また自然に彼女の息子さんの話になり、
彼女はもちろん、皆が涙を浮かべて話を聞いた。

私は自身が乳がんで入院していた時、若い男の子が帽子をかぶって
脱毛をみせないようにしているのを見ると、息子でなく自分でよかったと何度思ったことか。

彼女の息子さんは、がんがわかった時には余命1か月とお医者さんから本人に言われたそうだ。
息子さんはその帰り道、母親の職場に訪ねてきて、それを告げたとか。
結局、5か月ほどもちこたえた感じで、すべきことをしておいて亡くなられた様子だった。
3歳と1歳の子をこれから育てていく嫁を助けてやらないと、と話しておられた。

いくら話を聞いても、結局は自分が経験しないとそのつらさ、やるせなさは分からないと思う。
帰り際、彼女が「今日は良かったわ」と言って笑顔をみせてくれたので、救われる思いがした。

それにしても私がこのメンバーにあれだけ言っている、乳がん検診にまだ行っていない人がいる。
集まったメンバーの中で行くようになったのは2人だけ。
私が乳がんだということをあえてみんなに公表してまで、検診に行くように
口を酸っぱくして言っているのに、行かない言い訳ばかり。

私の場合は、検診にはきちんと行っていたのに、結果的に早期発見ではなかった。
でも、それでも言いたい。
これを読んだ方、検診に行ってください。奥様にも検診に行くよう言ってください、と。