熊野市紀和町は、鉱山の町でした。
その中でも行ったことがなかったのが、水車谷鉱山跡でした。
谷川沿いの山道を歩いて入ります。車を止めたところから距離はさほどありません。
入り口付近は道がわかりにくいですが、赤いテープに沿って歩けました。
途中には標識があります。
入り口付近は道がわかりにくいですが、赤いテープに沿って歩けました。
途中には標識があります。
もともと、この沢沿いに米をつくためや鉱石を砕くための水車があったため水車谷と呼ばれていたそうで、水が豊富ですが、湿度が高いらしく、苔が多く道や階段、石仏など苔に覆われているところが多かった。
扇形の手水舎。
ここの屋敷は特別だったのかな。
苔むした階段を上がると山ノ神が祀ってありました。
同行した娘が手を合わせてお参りしたが、このあたりで怖くなりはじめ、もう帰ろうよコールが・・・・。
今も残る鉱石を製錬した窯。
このあたりで、さらに娘の早く帰ろうよコールがけたたましく・・・・・。
六地蔵でお参りをして下山。
後で調べるといくつか見落とした場所も。
人が生活していた場所の遺構ということもあって、それほど気持ちの良い感じがするところではない。
ある意味、子供の怖がり方は正しいのだろう。
それでも、もう一度、一人で撮影に訪れるだろう・・・・と思いながら帰りました。
帰りは、温泉「さつきの湯」に入って汗を流しました。
子供は貸切状態の温泉(ほとんど毎月どこかの温泉に行っていたが、1年以上行けてなかった。他所からやってくる人が多いところには子供たちは絶対行きたくないと、今も頑なに言っています)を楽しんで、帰りました。
後で調べるといくつか見落とした場所も。
人が生活していた場所の遺構ということもあって、それほど気持ちの良い感じがするところではない。
ある意味、子供の怖がり方は正しいのだろう。
それでも、もう一度、一人で撮影に訪れるだろう・・・・と思いながら帰りました。
帰りは、温泉「さつきの湯」に入って汗を流しました。
子供は貸切状態の温泉(ほとんど毎月どこかの温泉に行っていたが、1年以上行けてなかった。他所からやってくる人が多いところには子供たちは絶対行きたくないと、今も頑なに言っています)を楽しんで、帰りました。