昨日昆虫標本の作り方Q&Aみたいなのをアップしておいてなんですが、標本作りについてどういう態度をとるべきか、くらげびとは実のところ迷っておりました。手当たり次第に虫をちぎるよりはマシとはいえ(あ、息子達これはやってませんよ^^;)、息子達の性分から言ってのめりこむと昆虫の大量虐殺につながってしまいそうだし、知的探究心は満たされるだろうけど命の教育?としてはどうなんだろうと。。。(倫理学のトロッコ問題※1のような?あるいは「目的が正当な殺人(もとい殺虫)はあり得るのか?」みたいな?)
で、名和昆虫博物館にお邪魔した時、その手のことをポソリ、とつぶやいてしまいました。虫の研究を生業としている方に。今思い出しても失礼なことをしてしまったと冷や汗ものなのですが、、、。大事なことだからと、わざわざ時間を取ってじっくりお話ししてくださいました。以下、博物館の方のお話です。
『博物館の立場としては、お子さんには虫にたくさん触らせてあげてくださいと言いたいです。興味や好奇心の赴くままに虫を触っていると死なせてしまうこともあるでしょう。でも、その積み重ねこそが、身体の深いところで<殺したらかわいそうだな>と感じることにつながってきます。それが倫理観の形成にもつながると信じています。』
『小さいお子さんって、大人からみると残酷なことを平気ですることありますよね?虫の羽や足をちぎったり、カエルのお腹を割いてみたり。・・・あれは、いじめてやろう、痛めつけてやろうと思ってやっているんじゃないんです。純粋に仕組みはなんだろう、どうやって動くのだろう、と中を覗いてみたいだけなんですよ。そういう時のお子さんの目の輝きを大事にしてあげて欲しいです。そうやって自然に親しんだ人の方が長じて自然に共感できるし、他者への思いやりも芽生えると思います。その中から大きな視点で人や自然のことを考えて行動する人が出てくれると嬉しいと私たちは考えています。』
『なお、虫は人間の子供が多少採ったところでそうたやすく根絶やしにはなりません。弱い個体が淘汰されて、広い意味では種にとっての益になるとも考えられます。むしろ人間の大人による環境破壊の方が虫にとっては打撃となると思います。』
『話は少し変わりますが、種の保存について付け加えると、、、私たちは研究や展示のために虫を飼育することがありますが、その個体は自然界には決して戻しません。飼育個体はいくら飼育環境を自然に近づけても結局は過保護に育てられているので、いろんな意味で自然の個体より軟弱なのです。その軟弱な個体が運良く繁殖してしまったらその種全体としては逆に不利益につながります。だからウチではたとえ博物館の敷地内で採取した卵からの飼育個体であっても(=国内外来種に該当しなくても)、再度自然界には放しません。』
他にも精神病理学的なお話や道徳に関するお話、環境問題にまで内容は多岐に渡りましたが、要旨は大体このようだったと記憶しております。迷えるくらげびとにとって大きな道標となりました。ご助言ありがとうございます。博物館のご了承を得て今回の記事にしました。くらげびとと似たような迷いを持たれた方のご参考になれば幸いです。
↑飼っていたカマキリが死んでしまったので息子その1が標本作りを始めたところ。
※1 分岐の先、右のレールに5人の作業員、左のレールに1人の作業員が作業中、ブレーキの壊れたトロッコが走ってくる。そのまま行くと右の5人が確実に死亡、分岐レバーを切り替えると左の1人が確実に死亡する。レバーの切り替えの有無以外に選択肢のない場合、あなたはどうする?という問いかけ。
参考:名和昆虫博物館