暗闇検校の埼玉県の城館跡

このブログは、主に、私が1980年代に探訪した中近世城館跡について、当時の写真を交えながらお話しするブログです。

城之内(熊谷市・旧妻沼町台)

2019-09-02 14:23:42 | 神社仏閣・その他
本日は、旧妻沼町の利根川堤防沿いにある城之内について書きたいと思います。

調査日は2019.08.11です。

ここは、長井斎藤氏の支城の一つです。

利根川沿いの台と呼ばれる地区にあります。

近くに男沼樋門と呼ばれる農業用排水路の利根川排水門があります。







男沼には妻沼と対になる「おどろ沼」があり、これが転じて男沼となったそうです。

鎌倉期には既に開拓者が入っており、草分けの土豪が名家として残っています。

おどろ沼と言われるくらいですから、利根川氾濫原の沼沢地で、度々、洪水に見舞われ

自然堤防が形成され、その自然堤防上に土豪たちが根を張ったのでした。

この洪水地帯の氾濫水が妻沼に流れ込むのを防ぐために、雉子尾堤がいつごろからか築堤され、

妻沼は繁栄しますが、男沼は長らく水害に悩まされることになります。


城の内はこの雉子尾堤の堤内地でこれにうまく接続するようになっていることから、

雉子尾堤もその原型は少なくとも中世に構築されたものと考えられるでしょう。

それでは、現地の状況を見てみましょう。

現在、城之内跡には、民家、寺院、農地、牧場があります。

遺構と思われるものは排水路脇、牧場付近で見ることが出来ます。

水路脇には、雉子尾堤はこの排水路下流の樋門に向かって右側にあります。

下の写真は上流に向かって撮影しているので、雉子尾堤は左側です。






雉子尾堤の内側には一段下がった畑があります。この部分が堀跡だと思われますが、これは、樋門付近に

行くとよりはっきりとわかります。







樋門裏から利根川土手に登って、城之内を見下ろせる場所に移動します。

樋門裏には、雉子尾堤がはっきり残っているのがわかります。





雉子尾堤の堤内のユーカリが植えられている場所が、先ほどの雉子尾堤内側の水堀跡と一連の

堀状の低地になっています。











城跡の郭跡と思われる高台にが集落として利用され、堀状の低地は農地として利用されているようです。

排水路に沿った堀状低地には連続性が認められ、幅もかなり広いものです。

土塁の痕跡は発見することが出来ませんでした。








城之内には、近世台地域の開発に貢献してきた円満寺があります。

お盆近くで、里帰りの方が訪ねてきているのでしょう。

にぎやかな笑い声が聞こえてきました。

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