暗闇検校の埼玉県の城館跡

このブログは、主に、私が1980年代に探訪した中近世城館跡について、当時の写真を交えながらお話しするブログです。

青鳥城跡(東松山市)

2017-11-18 18:33:20 | 城館跡探訪
本日は、東松山市の青鳥城跡(おおどりじょうせき)についてご紹介いたします。

関越自動車道の開通は、比企郡内の多くの城跡を破壊することになりました。

本ブログでは、越畑城跡は惨憺たるものでしたが、比較的軽微とはいえ青鳥城も同様です。

青鳥城跡は滑川町に城跡を残す羽尾恒儀(はねおごうぎ、或いはごうぎょ)あるいは青鳥判官藤原恒儀によって

平安期に築城されたと伝えられておりますが、肝心の羽尾恒儀がどうした人物なのか定かではありません。

現在の城郭は本丸に外郭を備えた巨大なもので、東側を関越道が跨いで通過しております。

熊谷から自転車でアクセスすると1時間強かかります。


さて、写真は昭和58年頃、夏休み中だったと思います。

東松山市街、関越自動車道の東側から青鳥城に接近すると、出迎えてくれるのは大きな池です。



実は、この池は外郭を囲む水堀の一部なのですが、ここの小字は「首切り場」・・・・・。

そのものずばりな名前にひっくり返りそうになります。

堀端の小祠は処刑された人々を弔うためのものなのでしょうか。

解説板もありました。




関越道をくぐって、本丸に向います。

本丸は深い空堀に囲まれています。



青鳥城跡は北条氏の関東支配期に廃城となっていたといわれていますが、

豊臣氏の松山城攻めで、前田利家らに再利用されたといわれ、この堀もその時に掘削されたのかもしれません。

本丸には城址碑がありました。





今でも思い出すのですが、青鳥城本丸には、どういう訳なのか池があり、樋のようなもので水がひかれていて

唖然としました。

現在はそんなことも無いのでしょうが、当時、腑に落ちないような気持になって・・・

咽喉も乾いたので、自動販売機を探しながら家路についたのでした。


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