本日は、高負彦根神社とポンポン山(玉鉾山)について書きたいと思います。
訪問日は2020.01.19です。
高負彦根神社(たかおひこねじんじゃ)は、和銅3年(710)に創建、延喜式内社と、
古い社格の高い神社です。吉見町には、式内社が三社もあり、高負彦根神社・伊波比神社・横見神社と
三社もあります。これは古代吉見の地域的特異性を表すものと言えるでしょう。
高負彦根神社はこのように社格の高い神社なのですが、時季外れに行くと寂しいです。
戦後昭和30年代半ばころまでは周辺の小学校の遠足の対象として選ばれるなど繁盛していたそうですが。
境内脇には獅子封じ塚というものがあります。
これは古墳ではないのかなと思いますが・・・。
高負彦根神社の背後には玉鉾山、通称「ポンポン山」です。というよりも、この岩丘の上に、高負彦根神社を
祀ったと考えるのが正しいと思います。玉鉾山自体が神降ろしの磐座だったのではないでしょうか。
岩山にはよくあることですが、滑りやすいので注意しましょう。
下を見下ろします。
遠望にも優れています。
庚申塔がありました。
古代この地域は、河川水運が発展していたといわれています。高負彦根神社はこの水運に大きく関係していた
と言われています。玉鉾山は水を司る神の宿る地としての象徴的意味合いも大きかったでしょう。
訪問日は2020.01.19です。
高負彦根神社(たかおひこねじんじゃ)は、和銅3年(710)に創建、延喜式内社と、
古い社格の高い神社です。吉見町には、式内社が三社もあり、高負彦根神社・伊波比神社・横見神社と
三社もあります。これは古代吉見の地域的特異性を表すものと言えるでしょう。
高負彦根神社はこのように社格の高い神社なのですが、時季外れに行くと寂しいです。
戦後昭和30年代半ばころまでは周辺の小学校の遠足の対象として選ばれるなど繁盛していたそうですが。
境内脇には獅子封じ塚というものがあります。
これは古墳ではないのかなと思いますが・・・。
高負彦根神社の背後には玉鉾山、通称「ポンポン山」です。というよりも、この岩丘の上に、高負彦根神社を
祀ったと考えるのが正しいと思います。玉鉾山自体が神降ろしの磐座だったのではないでしょうか。
岩山にはよくあることですが、滑りやすいので注意しましょう。
下を見下ろします。
遠望にも優れています。
庚申塔がありました。
古代この地域は、河川水運が発展していたといわれています。高負彦根神社はこの水運に大きく関係していた
と言われています。玉鉾山は水を司る神の宿る地としての象徴的意味合いも大きかったでしょう。
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