暗闇検校の埼玉県の城館跡

このブログは、主に、私が1980年代に探訪した中近世城館跡について、当時の写真を交えながらお話しするブログです。

高見城(別称:四津山城)1985年 (小川町)

2018-04-08 13:04:50 | 城館跡探訪
今回は、小川町にある高見城について書きたいと思います。

1985年頃と言えば、大学受験そっちのけで、城を探して山野を放浪する生活をしていました。

食べるのは、里の雑貨屋で売っているパンとまんじゅうばかり・・・。

あの頃は、100円で10個入りという味噌まんじゅうとか売っていたので、そんなものばかり食べていました。

でも、そんなことを繰り返している中で、目が鍛えられたような気がします。


高見城は、増田四郎重富公が、上杉氏によって深谷市と妻沼町にまたがった増田地区から追われ、立てこもった城とされて、

います。江南町から小川町へ向かう途上、関越道の下をくぐらなければなりませんが、そこから南を見ると、

4つの峰がある山を見ることができます。

四津山城の呼び名は、この四つ峰が元になっています。





高見城本丸には四津山神社がまつられており、神社の参道入り口には城址碑があります。

城好きの方は、城址碑を見るとホッとする方が多いと思いますが、わたしもホッとします。

時には、城址碑の写真だけ撮影してお終いにしてしまうこともありました・・・。

腹が減っていると、山登りたくないんだよなあ・・・などと思うこともありました


この時は、比較的、気力が充実してたので本丸を目指して登り始めました。

初めは緩やかな坂の傾斜がググッときつくなって、本丸に到着です。



本丸は大きな広場になっていて、なんだか、お祭り広場のようです。

隣接する郭の写真も撮影した気がするのですが、写真が見つかりませんでした。

荒廃しているというほどではありませんでしたが、それでも、郭の内部の構築物がはっきりわかるというほど

ではなかったです。

下の写真は、本丸と隣の郭を分断する竪堀です。



当時の空堀に熱中していた記憶がよみがえって、(笑)です。

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