本日は、斎藤実盛の遺物を埋納したと伝えられている斎藤塚について
書きたいと思います。
見学日は2018年07月24日です。
旧妻沼町には斎藤氏にちなんだ史跡が点在しています。
斎藤塚は当地を支配した斎藤実盛の死後、彼の次男の五・三男の六によって
実盛を供養するために築かれたもので、塚には遺物が埋納されていると言われています。
道の駅妻沼の近く、リードという会社の裏にあります。この辺りは弥藤吾郷といわれた地域で、
斎藤氏の所領でしたが、道祖神などがあることから、郷の境界だったのかもしれません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/04/93b5f4a17e1f37e17072069d3d92e7d3.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/3e/272e1eb2b22e51cb6c33021cc3fe7691.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/b6/8fd16c260cd9f1543e61f7a0828078c9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/1f/94fb0cc3bf0d06a04c93eae34b831da8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/89/a9c727bcee6b7ddc292aae3d2a16396d.jpg)
写真のアングルが不自然なのは、この塚の木陰に休んでいる農家の方の車があったからです。
斎藤氏にまつわる塚と言えば、実盛塚というのがありますが、これは、斎藤氏の居館跡と言われているものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/49/3d322a132d7840b24acd6f33f8345e7b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/b6/8fd16c260cd9f1543e61f7a0828078c9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/c5/4130b446710828a9720d85592f9e04e4.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/9a/fd8f01bc3a114fc83d13cfe7815e9f28.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/d2/600afdc1eb6aca91fb6e6f0ef65e030b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/8f/e1f1034a72e525f41bd635f39ec63538.jpg)
板碑は当時のものなのでしょうか?
一般に、初期の板碑は大型で彫が深いのですが、室町期に入ると板碑産業として確立され
庶民でも手軽に購入できるよう、小型浅彫板碑が開発され、大量生産体制が整ったとされています。
庚申塔がばらばらになってころがっていて、荒涼とした印象でした。
書きたいと思います。
見学日は2018年07月24日です。
旧妻沼町には斎藤氏にちなんだ史跡が点在しています。
斎藤塚は当地を支配した斎藤実盛の死後、彼の次男の五・三男の六によって
実盛を供養するために築かれたもので、塚には遺物が埋納されていると言われています。
道の駅妻沼の近く、リードという会社の裏にあります。この辺りは弥藤吾郷といわれた地域で、
斎藤氏の所領でしたが、道祖神などがあることから、郷の境界だったのかもしれません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/04/93b5f4a17e1f37e17072069d3d92e7d3.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/3e/272e1eb2b22e51cb6c33021cc3fe7691.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/b6/8fd16c260cd9f1543e61f7a0828078c9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/1f/94fb0cc3bf0d06a04c93eae34b831da8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/89/a9c727bcee6b7ddc292aae3d2a16396d.jpg)
写真のアングルが不自然なのは、この塚の木陰に休んでいる農家の方の車があったからです。
斎藤氏にまつわる塚と言えば、実盛塚というのがありますが、これは、斎藤氏の居館跡と言われているものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/49/3d322a132d7840b24acd6f33f8345e7b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/b6/8fd16c260cd9f1543e61f7a0828078c9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/c5/4130b446710828a9720d85592f9e04e4.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/9a/fd8f01bc3a114fc83d13cfe7815e9f28.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/d2/600afdc1eb6aca91fb6e6f0ef65e030b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/8f/e1f1034a72e525f41bd635f39ec63538.jpg)
板碑は当時のものなのでしょうか?
一般に、初期の板碑は大型で彫が深いのですが、室町期に入ると板碑産業として確立され
庶民でも手軽に購入できるよう、小型浅彫板碑が開発され、大量生産体制が整ったとされています。
庚申塔がばらばらになってころがっていて、荒涼とした印象でした。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます